スイッチ
煌々と教室を照らす、眩いばかりの蛍光灯。
一瞬誰もが目を細める。暗い場所に慣れた目にはその光は目くらましとして十分だった。
だがメイが警戒していたのはそれではない。もっと別の、狼女の能力に関することであった。部屋には、まだ何も起きていない。一同がまぶしそうに目を細め、手でひさしを作って明かりを遮る。
しかしその時点ですでにメイは弾かれたように跳躍し、キリエの傍に駆け寄ろうとしていた。
キリエの方はというと、鬼気迫る表情のメイの突進に驚いて硬直している。
その時、キリエの影がもぞりと蠢いた。それを読んでいたメイは右足を大きく振り上げて踏み潰すように影を蹴ろうとするが、しかし一瞬遅かった。
メイの足は床を踏みつけ、盛り上がった影は一瞬のうちに狼女の姿を形作る。ちょうどメイの踏み抜きを跳躍して躱すように。
先手を優先して動いたメイは前後に大きく足を開いた状態で着地、何とか体幹は崩れていないものの、沈み込んで二の打ちに移れない状態、手には得物も持っておらず、無手である。
「忌々しい女だ、何故気付いた!?」
やはりメイの危惧した通りであった。
影の中を移動する敵、その条件の一つとしてやはりある程度影と光の部分の濃淡差がなければ「移動」は出来なかったのだ。
その「スイッチ」を、チカが押してしまったのである。
狼女が大きく腕を振りかぶり、攻撃に移る。
メイにはその動きがスローモーションのように感じられていた。戦闘中、彼女の脳は誰よりも早く動き、状況を解析する。
(ユキ君を抱えていない……一人だ。他人を抱えて影の中の移動は出来ないのか? いや、そう考えるのは早計ね。それよりも今は体を拘束されてどこかに確保されているのか。もし「影の中の世界」なんてものがあったりすると厄介ね)
思考は早く回るがしかし彼女自身迅雷の如く動けるわけではない。敵の強烈な一撃を躱すこともいなすこともできずに左腕で受け、右手でそれを補助する。
(予想通り、無茶苦茶な膂力だ)
彼女自身一般人とは比べ物にならないほどの剛力の持ち主ではあるのだが、しかしそのメイの体が浮き上がるほどの一撃。爪が食い込み、グラブが破れ、肉を引き裂く。
しかし当然それでは終わらない。返すように左腕の斬撃が今度は飛んでくる。肉弾戦が主力となっている彼女のファイトスタイルではあるが、しかし獣人の怪力の前では直接受けるのは無謀である。
メイは空中で身をよじって、かろうじて爪の直撃を避けたが、わき腹から胸にかけて、爪はメイの体の表層を切り裂き、鮮血が舞う。
しかしメイはここで終わりではないのだ。そのまま回転を続け、ダメージを受けながらも左足での後ろ回し蹴り。狼女は何とかそれを三角筋で受け、吹き飛ばされる。
(この状況から反撃してくるなんて!?)
正直敵はメイの命をこれで取れると思っていたが、しかし甘かった。二十年間闇の中で命のやり取りをしてきたベテラン魔法少女の実力を甘く見ていた。
そして、尻尾を振り回しながら空中で体勢を立て直す彼女の視界には、抜け目なく銃の照準を自分に合わせているスケロクの姿が映っていた。メイ以外では彼だけがこの咄嗟の状況に対応できていたのだ。
右手で銃を構え、左手でそれを包み込み、支えるように構える姿は確実な死を予感させる。前情報として彼女はスケロクの弾丸がベルガイストにダメージを与えるほどのものだと聞いていた。
しかし照準が彼女に合う前に資料棚の陰に到達し、再び姿を消したのだった。
「チッ、素早い奴だ」
舌打ちをしてスケロクが構えを解き、銃の安全装置を戻す。それと同時にようやく状況の把握の出来た魔法少女三人が負傷したメイのもとに走って集まってきた。
「メイ先生、大丈夫ですか!?」
「ち、血が出てるわよ」
チカだけは顔面蒼白になってしまっており、一言も言葉を発することができないでいる。
彼女もなんとなく気づいてはいるのだ。今の一連の動き、自分が照明のスイッチを入れたことが引き金になっているという事に。
「わ、私……私……」
「チカ、落ち着いて!」
アスカが声をかけるが、チカの耳には入っていないようである。完全に恐慌状態となっているのだ。
「ご、ごめんなさ……わたしが、私が明かりをつけたせいで……ひぅっ」
しでかしてしまった事への恐怖により瞳孔が開き、過呼吸気味になっている。
「チカちゃん、落ち着くニャ」
フェリアがそう声をかけて、彼女の肩の上に乗ってチカに頬ずりをした。
小動物の接触には安心させられる効果があるのか、ようやくそれでチカは恐慌状態を脱し、涙を拭いてから大きく深呼吸を二度、三度とする。
「青木さん、傷はそんなに深くないわ。それより回復をお願いできるかしら」
「す、すみません、すぐに!」
メイの言葉によりようやく自分がすべきことに気付き、チカはすぐに魔法でメイの怪我を回復させる。青白い光がふわりと洩れ、メイの怪我はみるみるうちにふさがっていった。脇腹の怪我は肋骨にまで達し、胸も切り裂かれていたが、すぐに元の美しい乳房に戻る。メイはその能力に感心したように怪我のあった場所を観察していた。
「ケガが治ったのはいいんだけどさ、その格好でこの先戦うつもり?」
キリエが半笑いでメイにそう言う。
確かに狼女の攻撃により体は勿論の事、魔法少女の衣服まで切り裂かれてしまって、上半身の衣装は完全に破損、乳房が露出して、かろうじてそれを手で押さえて隠している状態である。こんな状態では戦闘は勿論移動もままならない。
「……まあ、どうせ男はロリコンのスケロクしかいないから私は気にしないけど」
メイは事も無げにそう言ってスケロクの方を見る。一方スケロクの方は全く彼女に関心を払っておらず、教室の外を眺めて警戒しているようである。
「あのね! あんたが良くてもユキが良くないのよ! そんなだらしないおっぱいを私の息子に見せて誘惑するつもり!?
ユキはあんたみたいな汚れた大人と違って『そういうもの』に触れないように大事に大事に育てたんだから!!」
「未婚の女性に向かって『汚れた大人』とはえらい言い様ね」
とは言うものの。
実際彼女もこのままでは収まりが悪い。さらに言うならいくらスケロクの恋愛対象にはならないと分かっていても、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
「とはいえ、学校に着替えなんて置いてないし……」
メイが思案しているとチカが声を上げた。
「あ! 私、あります、着替え!!」
メイは気にしていないようであるが、どうやら彼女は少しでも先ほどの失態を取り戻そうと必死なようだ。
「ジャージか何かあるの? あなたのじゃ着られないかもしれないけど……」
メイの身長は百七十五センチ、さらに胸も尻もメジャーリーグ級であるが、一方のチカは百四十センチにも満たない小柄な体格である。確かに合いそうにないが。
「あ、夏服が。前の衣替えの時に間違えて着ちゃってきてて、その日はジャージで過ごしたんですけど、持ち帰るのを忘れててそのままになってたのがあるはずです。取ってきます!!」
一年生の教室は理科室と同じく校舎の一階にある。すぐにチカは理科室の外に駆けだそうとするが、スケロクがそれを止めた。
「おい、まだ敵がいるんだ、危ないぜ」
「あんたと一緒なのが一番危ないんだけど?」
メイの言葉を無視してスケロクはチカについていく。
先ほどは影の中の移動で役に立たなかったが、フェリアの索敵と、スケロクのサポートがあればある程度は大丈夫であろうと、メイは二人と一匹を見送ったのだった。