金玉とられちゃった
「もっと自信を持っていいニャ。実際『怪我を回復できる』ってだけでこっちは凄まじく有利ニャ」
少し落ち込んでいるような様子を見せていたチカに黒猫のフェリアが慰めるような言葉を発する。
「昔悪い女に騙されて動物病院で金玉取られちゃったんだけど治せるかニャ?」
キリエが口を真一文字に結んで視線を逸らす。
「すいません、身体欠損は治せなくって……」
「使えないガキニャ。前言撤回ニャ」
「とりあえずは、敵の位置の把握よ。フェリア、できる?」
悪態をつくフェリアを押しとどめ、メイが落ち着いた口調でそう言う。フェリアはゆっくりと体の向きを変え、校舎の方を睨む。猫としてはかなりの高齢のはずである。動きは緩慢であるが、それはそのままマスコットとしての能力が衰えていることを意味はしない。
校門から見て校舎は二つ。一方は体育館、もう一方は通常の教室や職員室のある棟である。フェリアは迷わず教室のある方を目指してゆっくりと歩き始める。
「ついてくるニャ」
かなりゆっくりとした歩きである。それは敵を警戒しての事なのか、それとも肉体の衰えから来るものなのか。
「フェリア、あなたもう二十歳くらいでしょう? 年なんだから無理しないでよ」
彼を気遣うような声をかけたのは少し離れたところからついていく後方集団のメイである。
「何言ってるニャ。人生百年時代。二十歳なんてひよっこニャ」
フェリアは歩きながらもはっきりと答える。動きは緩慢であるが、受け答えははっきりしている。しかしメイは小さくため息をついてからさらに彼を気遣うような言葉を続けた。
「猫の二十歳って言ったらそれこそ人間の百歳くらいでしょうが……」
「え?」
思わずフェリアは立ち止まってメイの方に振り返った。
「ひゃく……え? 百歳……?」
ぐわっと瞳孔が広がる。
どうやらこの猫、猫の寿命がどのくらいか知らなかったようである。
「え? ちょっと、知らなかったの? キリエ、言ってないの? 猫って一年で人間の二十歳くらいまで成長してそっからは毎年四年くらいプラスしてくはずだから……うん、やっぱり百歳近い筈よね?」
「あ……うん。別に改めて言う事でもなかったと思ったから」
キリエは何でもない事のように答えるが、しかしフェリアは大分ショックだったようで、ふらふらと数歩歩いてから廊下の真ん中にへたり込んでしまった。
「し……知らなかったニャ……ひゃ、百歳? ど、どうりでここ数年体がずっとだるいと思ってたら……」
眉はないが、眉間をハの字に寄せるように悲しそうな表情をしてしおれていくフェリア。ぶっちゃけて言って老衰寸前の猫である。
「いやあ……最近ずっと寝てばっかだし、そろそろかな? って覚悟はしてたんだけど……まさか本人に覚悟が出来てなかったとは」
キリエが半笑いで申し訳なさそうに言うが、フェリアはショックを受けたままである。
「そんな……童貞のまま、人生を終えることになるなんて……せっかく回復魔法を使える魔法少女にも出会えて、希望も見えてきたっていうのに。ボクの人生設計が台無しだニャ……」
プルプルと震えるフェリア。とてもではないが悪魔を追うどころではない。
「いや、もう『ボク』なんて言える年齢じゃないニャ……今日からは『ワシ』って言うニャ」
「別に一人称はどうでもいいから」
「ワシの人生設計が台無しじゃ」
「語尾も変えなくていいから」
メイが細かくツッコミを入れるがフェリアはろくに反応しない。まあ、人生これからと思っていたら老衰寸前だったのだ。そのショックは計り知れない。
「気にすんな、俺も一生童貞を貫くつもりだぜ」
ロリコンの言葉など、慰めにはならない。
「だ、大丈夫ですか、フェリアさん」
そう言ってチカがフェリアを抱き上げる。本当に気の毒そうに。元来優しい性格の彼女は本気でフェリアの事を気遣っているのだろう。
「チカちゃんやさしいニャ。おっぱい揉んでもいいかニャ」
「…………」
「……はい」
「なっ……!?」
少し考えてから出したチカの答えに驚愕の声を上げたのはスケロクであった。歯を噛み締めてフェリアを睨みつけるが、当のフェリアは涙を流しながら、母を思い出すかのように、ごろごろと喉を鳴らしてチカの小さな胸を左右の手で交互にぐにぐにとマッサージしている。
「揉みながらでもいいから、索敵をお願いするわ。狼女はまだ遠い?」
メイはあくまでも他人事、という感じで冷静である。
フェリアは胸を揉むのをやめ、廊下の先を眺める。
「まだ距離があるニャ」
「そう……一旦そこの、理科室に入りましょう」
メイがそう言うと、周りの人間は戸惑いながらもドアを開けて理科室に入っていく。中には固定式の机がいくつも並んでいる。流し台も設えられている頑健な机である。
真っ暗なため慎重に机をよけながらメイを先頭に教室の中央に集まる。
「白石さん、ここに魔法陣の罠を仕掛けて貰える? 直接戦闘で倒せればそれには及ばないけど、いざという時はここに追い込んで一気にカタをつけましょう」
「罠の魔力の消費量はどうなんだ? 消耗するようならよほど確実な策でもない限り温存してた方が良くないか?」
スケロクは自分の銃の弾倉を確認しながらアスカに訊ねる。アスカは「問題ない」と答えた。先ほど狼女と戦った時は切羽詰まった表情であったが、今は大分落ち着いている。
彼女にとって年上の、頼れる仲間との戦いは初めての事なのだ。これまではルビィにはアシストは殆ど期待できず、全て自分達の考えで動き、戦ってきた。
仲間内でも冷静に見える彼女だが、その実闇の中、人食いの化け物と独力で戦うことはどれほど心細かったことか。
アスカは表面上は落ち着いて、いつもと変わらない態度で、メイの言う通り教室の中央に魔法陣を描き始める。
その間メイはフェリアの様子にも注意しながら周囲を警戒し続けていた。魔法少女歴二十年のベテラン。何もしていないように見えても彼女の頭の中では状況の整理と、未知の能力への対抗策がはしっている。
(敵の能力……影の中から何の前触れもなく表れるけど……一面闇の中では使えないみたいね。もし使えるなら遮蔽物の多い理科室に入った時点ですぐに使っているはず。今も、現れる気配はない)
教室に入ってから中央に移動するまで、彼女は傍目には無造作に歩いているように見えていたが、十二分に周囲を警戒していた。むしろここで攻撃を仕掛けるように誘っていた節すらあるのだ。
(一面闇の状態で影の中を泳ぐように移動は出来ない……ある程度光があって光と影の濃淡があないと出来ないのか……? 他にもルールがありそうね)
一方他の人間達もアスカが魔法陣を描いている間は慎重に周囲を警戒している。今が一番無防備な状況だとみな分かっているのだ。
「手元、見えるか?」
「はい。少し暗くてやりずらいですが、何とか」
スケロクの問いかけに答えながらアスカはステッキで魔法陣を描き続けている。床とステッキが触れた部分だけが光が漏れるように明かりが灯っている。
(それにしても夜の教室って暗い……怖いな)
マリエはふてぶてしい表情でアスカの作業を見ていたが、チカだけは恐怖に押しつぶされそうな表情でフェリアをぎゅっと抱きしめている。
(むしろ昼間よりも周りの暗い今の方が敵にはやりづらいのかもしれないわね)
メイは相変わらず考え事をしながら周囲を警戒していた。
一方チカは静かに教室の端まで移動する。
(暗闇が……怖い。明かりをつけた方が、アスカちゃんも作業がしやすいだろうし……)
それは、メイの失態であったかもしれない。
敵の能力の「仮説」が行きつくのが少し遅かった。もう少し早く「仮説」に辿り着いて、注意喚起をするべきだったかもしれない。
なんにしろ、ほんの少し、遅かったのだ。
「ダメ! 明かりをつけないで!!」
「え?」
パチン
ほんの少し、遅かったのだ。
チカは、教室の明かりを、つけてしまった。