怒りの炎
「グルルォォォ……」
虎のような唸り声を響かせてフェリアがゆっくりと間合いを詰めてくる。
虎のような外見ではあるが、しかし特徴が虎というだけでその体は随分と規格外である。体高とは地面から肩の部分までの四足歩行動物の大きさを表す言葉であるが、それだけで3メートルはある巨体。
体長に尾を足せば6メートルほどにもなる異様な体格である。
漆黒の体毛は変わらないが、虎の模様の金色の筋がいくつも走っており、どうやら構造色らしく、体を動かすたびに色が微妙に変わる。首輪についていた大きなウィッチクリスタルは額にはめ込まれるように組み込まれており、怪しげな光を放っている。
「ガルォッ!!」
丸太のような太い前足の攻撃。ユキを抱きかかえたままのキリエは恐怖を感じて必要以上のマージンを取ってそれを避けたが、バランスを崩して倒れ込んでしまった。
「め、メイ! ボーっと見てないで助けてよ!!」
「いやあ、ねえ……」
ユキもなんとか自分の足で立ち上がり、そしてキリエも魔法が使えるはず。しかし余りにも強大で凶悪なフェリアの攻撃の前に戸惑いを隠すことができない二人。この巨大な魔物に勝つことができるようには見えない。
しかし幼馴染みのメイの答えはなんとも煮え切らないものであった。
その間にもフェリアは恐ろしい威嚇の声を上げ一本一本がジャックナイフほどの大きさと鋭さの爪を振るう。キリエをユキは悲鳴を上げながら這う這うの体で逃げ回るばかりでとてもそこから反撃できそうにないし、そう遠くない未来に餌食となりそうである。
しかしメイの反応はイマイチ冷淡なものであった。
「だってあんたたち家族の問題でしょう?」
「家族……って!」
家族、と言えば確かにそうである。親子であるキリエとユキ、そこにその飼い猫であるフェリアがじゃれついてる様子であるが。
「飼い猫に去勢手術をするのは飼い主の義務で正しいことでしょう! そうしないと年頃のオス猫は荒れまくるし、結果的に無計画に増え続けると猫のためにもならないのよ!!」
実際に去勢されていない猫が密集する地区では病気が蔓延したり飢えなどの死亡率も上がる。結果的に去勢する方が猫のためにもなるため、飼い猫だけでなく野良猫に去勢手術をする地域というものもある。
「それさあ……」
しかしメイはその理屈では納得しないようだった。
「言葉の通じるフェリアにも、同じことが言えるの?」
キリエは思わず言葉を失った。
確かにその通りなのだ。
特にオスのネコは性成熟すると攻撃的になったり部屋に尿をかけてマーキングをしたりする症状が現れ、ネコによっては攻撃的になったりする。
しかしそれは言葉の通じない猫の事。会話し、意志の疎通ができるフェリアに対して同じことをするのが果たして正しいことだろうか。
「ふざけるニャッ!!」
地響きを思わせる程の怒気を孕んだ声。メイにまとわりついていたガリメラはびくりと驚いて彼女の体にしがみついた。
「人生を奪われた奴の気持ちがわかるかッ! 相談もなしに異性と愛し合う機会すら奪っておいて、よく家族だなんて言えたもんだニャッ!!」
今「家族」と言ったのはメイであるが。一瞬メイはこちらに火の粉が飛ぶかと思って身構えた。ガリメラは彼女にしがみついたまま離れない。
「一方では言葉も通じない化け物なのに信頼関係があって、一方では仔猫の時から相談相手になってるのに何の信頼もないその違いがわかるかッ!!」
フェリアの怒りに呼応してか、彼の体表の模様がギラギラと発光し、周りの空気がバチバチと閃光を放つ。怒りのあまり魔力が溢れ出しているようだ。
「オオオオオッ!!」
凄まじい咆哮と共に稲妻が奔る。それはキリエ親子に命中したかに見えたが、2人は無傷であった。見れば、薄い光の幕が親子を包み込んでそれを弾いたようであった。キリエが魔法により保護膜を張ったのだ。
絶体絶命の状況、それでもメイは複雑な表情をして二人の援護にまわれないようであった。
彼女もキリエの所業に対しては思うところあったのだ。
彼女も婚活中の身。究極的に言えば、それは子孫を残すための営みの一部である。メイには特に不幸な過去があるわけでもなければ複雑なコンプレックスがあるわけでもない。平凡な家庭に生まれ、特に大きな問題のない夫婦の元で育てられた。
それゆえに自分も同じようにいつか暖かい自分だけの家庭を持つことを夢見ていた。
もしその夢が、誰か関係のない他人に邪魔され、不可逆的に破壊されたとしたらどうだろうか。
フェリアのその怨嗟が、とても他人事だとは思えなかったのだ。
何の説明も相談もなく、恋も知らずに去勢された、人の年齢にして百歳近い化け猫の、高齢童貞の魂の叫びが、彼女の心には深く響いたのだ。
そしてその行為に対して何の反省もなく、自分はちゃっかり結婚して二人も子供を作り、今目の前で心に一点の曇りもなく被害者ムーブをして、あまつさえ自身の子供まで巻き込んでいるキリエに対して思うところがあるフェリアの気持ちが、痛いほどによく分かったのだ。
「グルルォォォ!!」
再びフェリアが咆哮を上げると二発、三発と雷がキリエを襲う。一方キリエは逃げ回りながらもバリアを張るが、しかし雷は避けられても逃げ道は見つからない。彼女らのいるフロアには外への出口はないのだ。
「メイ、助けて……」
悲痛な幼馴染みの叫び。苦渋の表情を見せるメイ。
「お願い、クリスタルが濁ってきたの! 記憶を失うなんて、いや!」
当然ながらキリエにも魔法を使った事へのリスクはある。クリスタルの自浄作用を越えて魔法を使えば、記憶をその代償として差し出し、それはいずれ人格にも影響する。
ここまで順風満帆だったキリエの人生。いろいろあったが暖かい家庭を手放すのも、その記憶を失うのも、耐えられぬ苦痛なのだ。
「フェリア……」
たまらずメイは声を上げた。一つ気になることがあったのだ。
「あなたのその魔力、一体どこから来るの……?」
人生の全てを復讐に注ぎ込もうとするフェリアに魔法を節約しようという心づもりはない。高齢童貞である彼は魔法使いとしての力も備わっているのかもしれない。
しかしそれにしてもいくら何でも強力な魔法を連発しすぎだと、そう思ったのだ。
「フン、いいニャ。冥途の土産に全て教えてやるニャ」
フェリアは攻撃の手を休めて話し始めた。キリエは不安そうにウィッチクリスタルの色を確認している。
「ボクが復讐の意志を話した時、アルテグラは快くその計画に応じてくれたニャ」
キリエ達にウィッチクリスタルを譲渡した組織。メイは最初に会った時以来会ってはいないのだが、それでも時々成長に応じて衣装が合わなくなったり、破損してしまったりすると差出人不明の衣装が送られてきたりしていたから、どこかでモニタリングはしていたのだろう。
「そしたら、このウィッチクリスタルと、そして魔法を使った魔法少女から『魂の力』を集め、貯蔵するシステムを開発してくれたニャ」
ざわりと。
空気が震えるような感覚があった。
それはメイの殺気であったか、怒気であったか。
周りを見回しながらどこか逃げ道がないか探していたキリエも、その異様な雰囲気にメイの方に振り向いた。
「……事情が変わったわ」