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積年の恨み

 その部屋の中は、ダンジョンの他の部屋や通路の薄暗い光に比べ、明るい光に包まれていたが、ユキが瘤から解放されると他の部屋と変わらないような薄明りに戻っていた。


「何やらせても中途半端。流石キリエのガキだニャ」


 まるでその暗闇が意志を持って喋り出したようだった。


 実際には薄明りの中で彼の黒い体が保護色になって見えにくかっただけの話なのであるが、しかしようやくここで問題も全て解決、と思っていたキリエに彼の言葉は恐怖以外の何物でもなかった。


「ま、目的の物は大体手に入ったからよしとするニャ」


「やっぱりあんたが後ろで糸を引いていたのね、フェリア」


 黒猫のフェリア。


「フェリア……本当にあなたが黒幕なの?」


 かつてキリエが魔法少女だった時代、彼女のマスコットとしてサポートし続けた魔法生物。DT騎士団にも強い影響力を持ち、今回のダンジョンでもDT騎士団と魔族のまとめ役として上に立ち、メイ達の排除に向けて陣頭指揮を執っていた存在である。


 フェリアは黙して答えなかったが、暗闇の中怪しげに光る緑色の瞳孔がキリエの問いかけに対する答えを雄弁に物語っていた。


「なんで……こんなひどい事を? 大勢の人が死んだのよ。町がボロボロになって……こんなことに何の意味があるの?」


「ふん、自分達の勝手な理屈で他の生き物を犠牲にするなんて人間がさんざんやってることニャ。今更そんな十人並みのお説教を始めるとは思わなかったニャ」


 キリエにとってはやはり二十年間一緒に暮らしてきた家族も同然のネコなのだ。ユキよりも、夫よりも長く一緒に暮らしてきた相棒。多少のいさかいがあったとはいえ、彼の事を信じたい気持ちがあるのだ。


 だが、事ここに至ってはもはや疑う余地もないだろう。


 話してるうちに段々と目が慣れてきた。薄暗がりの中にフェリアの姿が浮かび上がってくる。ふと、キリエはあることに気付いた。


「フェリア、あなた、その首輪につけてるの……」


「ふふ、やっと気づいたかニャ」


 きらりと輝く大粒の結晶石がフェリアの首輪につけられていた。


「ウィッチクリスタル……」


 それもキリエのクリスタルと比べても極大と言っていいサイズである。殆ど動きの邪魔になるのではないかと思えるほどの宝石を首輪にぶら下げている。


 なぜフェリアがそれを。それを使っていったい何をするつもりなのか。色々と疑問が浮かぶのだが、メイは真っ先に違う事を思った。


「私ですら持ってないのに……」


 言いたいことは分からないでもないがこの意見は捨て置こう。それよりもキリエの動揺が大きかった。人間がウィッチクリスタルを使って変身した姿が魔法少女であるが、それを魔法生物が使うといったい何が起こるのか。フェリアはそれを使って何をしようとしてるのか。


「フェリア、いったい何をするつもりなの、やめて! 私たち家族でしょう!」


「ふざけるニャ!! 人に黙ってキン〇マぶっこ抜いておいて、何が家族だニャ!!」


 なんと。


「家族だと思ってた奴に騙されて、玉ァぶっこ抜かれた奴の気持ちがお前に分かるんかニャ!!」


 分からない。


「急に動物病院連れてかれて『いつもの予防接種かなぁ?』とか思ってたら麻酔注射で目が覚めた時にはエリザベスカラー! やっとそれも外れて久しぶりにお尻の手入れしようと思ったら『あれ? キン〇マがない!!』って目にあった奴の気持ちがお前に分かるんかニャ!!」


 分かろうはずもない。


 ああ、しかしやはりそれほどショックだったのだ。たしかに以前「悪い女に騙されて動物病院でキン〇マ取られちゃった」と言ってはいたが、それを深く恨みに思っていたのだ。


「……それはあんたが悪いわ」


 無情。メイも味方はしてくれなかった。キリエはユキを抱きしめたまま脂汗をダラダラと垂らしている。


 この前代未聞の大災害の原因が、まさか自分だったとは。


「……え……ホントに、そんな事が原因で……?」


「そんな事とは何だニャ!!」


 尻尾の毛が狸のように膨らんでいるフェリア。キリエは的確に逆鱗を撫で上げたようだ。


 実際キリエからすれば「そんな事」でもフェリアからすれば「人生の一大事」なのである。「種を残す」という生物の最大の目的を奪われてしまったのだから。


 さらに彼の神経を逆なですることに、キリエは今自身の愛息子を抱きしめている。


 それはつまり、フェリアがどんなに渇望しても手に入れることのできなかった、誰もが持つべき『きらきらした日常』だったのだ。


 息子に対しては『なんてことない日常』の大切さを力説していたキリエ。しかしあろうことか、フェリアからその『なんてことない日常』を奪った張本人こそが、キリエその人だったのだ。いったいこれほどの皮肉がそうそうある事だろうか。


 事の重大さに今更ながら気づき、恐怖に震えているキリエ。その少し後ろでメイは頭を抱えていた。


 争いというのは大抵『話し合いの不足』と『代えがたい事情』から発生する。そしてまさにこの案件はその両者を満たしており、もはや「落としどころ」などない状態に見えたからだ。


 そしてフェリアにはもう失うものなど何もない。老い先短いこの人(猫)生で、せめて宿敵に復讐してから死んでやろう、と思っても何の不思議もない存在である。


 ならばこの決着はおそらく『死』以外で贖う事などできはしまい。


「見てみるニャ! これが本当のウィッチクリスタルの力ニャ!!」


 フェリアがそう叫んで全身の毛を逆立たせると、彼のウィッチクリスタルはまばゆい光を放ち始めた。


「まずい、キリエ、逃げる準備をして」


 メイにそう言われて立ち上がるキリエとユキではあるが、しかしどうやって逃げろというのか。この部屋に入ってきたのは部屋の中腹の外壁。そこに行くには今フェリアのいる中央の柱を登らねばならない。


 おろおろしているうちにフェリアのウィッチクリスタルは輝きを増して、光に包まれた。次に彼の姿が見えた時、フェリアは体高が3メートルはあろうかという巨大な猫……のような姿に変貌していた。真っ黒な体は変わらないが、そこに虎のような金色の模様が走っている。


「さあ……今こそ積年の恨みを晴らしてやるニャ」

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