わたシコ
「方法があるんなら、それをやるしかないわ」
キリエは主張する。有村ユキを助け出すための現状取り得る唯一の方法、彼の精神世界に潜入してナイトメアを除去する方法を。
「そもそもこの女が信用できるの? って話でしょうが」
しかしメイは反対する。その方法を取れる唯一の人物が、よりにもよってこの人物、魔王ベルメスだからだ。
その意図としてはキリエも分かる。
何しろついさきほどもガリメラが現れたと見るや「逆転の目アリ」と判断して速攻で裏切り行為を見せたような人物だからである。
この女に無防備な状態で体を預けるのはどう考えても危険。その理屈はキリエも理解しているのだ。
「他に方法はないの?」
「ない……と思う。ナイトメアはこのままユキに寄生して、死ぬまで生気を吸い取り続ける。余り時間はない。物理的、または精神的にダメージを与えて追い払うしか道は……」
メイの問いかけに対してカルナ=カルアは極めて簡潔に答える。
「へ……へへ……」
そして半笑いの魔王ベルメス。
信用できるか。
この女が。
「やっぱ無理だわ」
冷たく言い放つメイではあるが、正直なところを言うとキリエも同じ気持ちである。
「そもそも精神の中に入ってダメージを与えるっていうのがふわふわしすぎてて何すりゃいいのか分かんないのよ。悪口でも言えばいいわけ?」
カルナ=カルアに訊ねるが、彼自身もよく分かっていないのだ。そんなことやったことがないのだから。
「人の顔色ばっか窺ってるこんなメス男子の頭の中に入るだなんてゾッとしないわね」
「ぐぅっ……」
「ん?」
全員の注目がこん睡状態の有村ユキに注がれた。
「今……」
震える指でキリエがユキを指差す。メイが無言で頷いた。
今確かに、メイがユキの事をディスった瞬間、ユキが呻き声を上げたような気がしたのだ。
「そんなはずはない。外部からの刺激に反応する事はないはずだ。確かに今は昏睡状態……」
カルナ=カルアが改めてそういうが、しかし確かにうめき声が聞こえたのも事実。いったい如何なることが起きたのか。
メイが小さく咳払いをしてから声を発する。
「気持ち悪いのよこのメス男子。服装だけいかにも『ボクかわいいでしょ』みたいな格好して、周りに媚びるような行動ばっかして。自分に自信がないのか」
「ぅ……ああッ……」
今度は間違いない。確かにメイのディスりに反応して苦しそうに呻き声をあげている。
「女の恰好するだけならともかく、男に媚びるのが気持ち悪いのよ。LGBTだってコイツに味方面されたら迷惑よ」
「ぐあぁッ」
先ほどのようにユキの額がボコリと盛り上がり、そこに小さな眼が開いて、涙を流した。メイが言葉を止めているとすぐにそれは消えてしまったが。
「どういう事かしら……?」
しばらくの沈黙ののち、ゆっくりカルナ=カルアが口を開いた。
「確信はありませんが……」
誰もが経験したことのない状況なのだ。確信がなくともそれを実施検証していかなければならない。
「今のメイさんの言葉が、ユキへの精神攻撃になり、それがナイトメアにダメージを与えたのではないかと」
「!?」
キリエの表情に色が差す。希望の光が見えてきたのだ。
「つまり、有村さんを精神的に追い詰めることでナイトメアを体から追い出すことができるかもしれないという事ね。任せて。私そういうの得意中の得意だから」
「凄く不安なんだけど」
メイは自信満々の顔をしているがキリエは急に不安そうな表情に変わった。そりゃそうだ。これから自分の自慢の息子が目の前でいいようにディスられるというのだから。
「そもそもコイツ女の恰好してるけど別にトランスジェンダーってわけでも同性愛者ってわけでもないんでしょう?」
「ぐっ……」
効いている。
「こういうファッションゲイが一番迷惑なのよ。私達にとってもそうだし、本物のトランスセクシャルにとっても迷惑以外の何物でもないわ」
メイの連続攻撃に息を荒げるユキ。再び額に瘤のような物が現れ始めた。
「ただ自分の『特別性』の演出のために女装してるだけでしょ。そんな迷惑なアイデンティティの確立に利用されるLGBTが不憫でならないわ。この承認欲求の塊が!」
少しずつ瘤が大きくなり始め、単眼が姿を現してくる。
「そもそもこいつ狼女のロディに攫われた時、短小の分際で勃〇してたじゃん。女の恰好しながら性欲駄々洩れにしてんじゃないわよ。本当にキモい」
「ぐああッ」
だいぶはっきりと苦しみの声を上げるようになってきた。額の瘤に現れた単眼は涙を流している。相当苦しいのだろう。
その後もメイはテンポよく精神攻撃を続けていく。どうやら「得意中の得意」というのは伊達じゃないようだ。
だがうめき声は上げるものの、中々ナイトメアが分離しない。もうハンドボールくらいの大きさになってきており、あと一息という感じはするのだが、しかしどうも今一歩決め手に欠けるようである。
そもそもがほとんど学校に来ていなかった有村ユキである。いくらメイが担任とはいえ情報が足りないのである。
「最初から性的な視線で見てくる男子と違ってそういうの隠してるところがキモいし、女子からもエラい嫌われてるし、ホント終わってるわこのオス堕ちメス男子が!」
メイの額に脂汗が浮かび始める。そろそろ手詰まりになりそうなのである。せっかくここまで来たというのに。ここまでの攻撃を無駄にしたくない。あと一歩、あと一歩なのだ。何か決め手になる情報が欲しい。
「そういえばさ」
なんと、ここでキリエが参戦してきたのである。この女に出来るのだろうか。今までの経緯を見ると「溺愛している」といっても差し支えのない自らの息子を、精神的に攻撃するなどということが。
「前にユキくんが部屋に一人でいるときにね、ナニしてるのかな~、って思って足音を忍ばせて踏み込んでみたのよ」
「……ぃ……ぃやめ……て」
まずい。これは非常に良くない。思春期の中学生男子の部屋に足音を忍ばせて突入。ジュネーヴ条約でも禁止されている、悲劇しか生み出さない非人道的行為である。ユキも大分はっきりと言葉を発するようになってきた。
「そしたらね、パンツ下ろしてスマホの画面見てたみたいなのよね。椅子に座って反対側向いてたからはっきりとは分からなかったんだけど」
良くない。
これは非常に良くない。
こんなことをしてしまったら後はもう戦争しかないのだ。悲劇が悲劇を呼ぶ泥沼の戦争である。プリゴジンもブチ切れだ。
しかしキリエはまだ言葉を止める気がないようであった。
「でね、よく見たらスマホの画面、メイが髪をかき上げてうなじの汗をハンカチで拭いてる写真だったのよねぇ」
「ぅあああぁぁぁぁぁッ!!」
ユキが両目を見開いて大声を上げた。もはやこれは覚醒状態であろう。ナイトメアも分離しかけて、ボールのような体についている眼球には毛細血管が血走っている。メイは半笑いで、勝ち誇ったような表情でユキに声をかけた。
「あんた……わたしでシコってたの?」
「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁああぁぁッ!!」
とうとうナイトメアが完全にユキの頭部から離れ、べちゃりと地面に落ちた。