ナイトメア
「説明してもらおうかしら? これはいったいどういうことなの?」
メイのような口調であるが、これは必死に怒りを抑えようと努めて冷静に振舞おうとしているキリエの言葉である。
「そのぅ……」
脂汗を額に浮かべながらベルメスが所在なさげに視線を逸らす。
その視線の先には昏睡状態の有村ユキ。魔法少女の服装をしているが、この部屋の空間を下から上に貫く巨大な柱の根元の瘤になっている部分に埋め込まれるように同化しているのだ。
「どうかしてるぜ」
茶化すようなメイの言葉を無視して キリエは詰め寄る。
「これ今どういう状態なの? 元の状態に戻せるんでしょうね!」
実際メイに比べればキリエの実力はたいしたことないのは事実なのだが、ベルメスからすれば二人の違いなど分からないし、こう詰め寄られてしまっては恐怖心ばかりが勝ってしまい、ろくに弁解もできなくなる。
「一旦落ち着いて、キリエ。まずは今どういう状態なのか聞きましょう」
やはり中学校の教師だけあってこういう場のまとめ方には慣れている。生徒同士の問題解決も(積極的ではないものの)メイの仕事の内である。
「その、アルニウスと地球のゲートを開いたまま、固定をしたかったので……今は半覚醒、半睡眠の状態のまま精神を固定化してるんです」
アルニウスとは魔王ベルメスの元々いた世界の事である。
「で? どうやって戻すのよ!」
「それは……そのぅ」
「こいつもしかして自分でもよく分かってないんじゃないの?」
メイの言葉にベルメスはビクリと震える。どうやら図星のようである。
「いま……その少年は、ナイトメアによって悪夢を見せられている状態です」
メイとキリエの背後から声が聞こえた。振り返ると、先ほどメイとキリエのツープラトン攻撃によってダウンしていた魔王ベルメスの参謀、カルナ=カルアがふらりと立ち上がったところであった。
なんとなくはそんな感じがしていたが、やはり思った通りこういった面倒くさそうなことはこの男に一任していたようである。もしマジカルドッキングによってこの男が死んでいたらとんでもないことになっていたところだ。
「ナイトメア?」
聞き返すキリエ。キリエも一般人に比べればこういった魔物、悪魔の類に疎いわけではない。むしろ7年も魔法少女として戦っていた経歴があるのだから詳しい部類に入る。
それでもナイトメアという悪魔に遭遇したことは無かった。ヨーロッパのどこかの伝承にある黒い馬の姿をした悪夢を見せる化け物の話は聞いたことがあるが、もちろん自分がそれを目にしたことはないのだ。
「ひっ!?」
訝しんだキリエがユキを見ていると、額の一部分がもこりと盛り上がり、そこに小さな亀裂が走った。その亀裂が大きく開いて人の目のようなものが現れて彼女を睨みつけたのだ。キリエは驚いてのけ反り、尻餅をついてしまった。
「ナイトメアがユキの精神世界に入り込んで半覚醒のまま能力を使い続ける状態を維持してます」
「まさかとは思うけど物理的には引きはがせないってこと?」
メイの鋭い質問にカルナ=カルアは目をつぶって俯いた。黙して語らぬことが最大の答え。その様子を見てキリエは気が遠くなって、ふらりとよろけた。
「完全に癒着してしまっていて、もうここまでの状態になると、物理的に引きはがす方法はありません……」
「ど……どうしてくれるのよ」
震える声で責めるキリエ。しかしメイは別のところに着眼していた。
「『物理的には』……? 何かほかに方法があるっていうの?」
「……助け出す方法が、全くないわけではないです」
「教えて……方法を教えて!!」
縋りつく様にカルナ=カルアに詰め寄るキリエ。まだ本調子になっていないカルナ=カルアは彼女に押し倒されるように尻餅をついてしまった。
「教えてくれるなら、なんでもしますから」
そう言ってごそごそとカルナ=カルアの下を脱がそうとする。
「えっ、ちょっ、なにを!?」
「ちょっ、やめなさいキリエ! あんたがそれやると色々としっちゃかめっちゃかになるのよ!!」
危ないところであった。またキリエの必殺技が炸裂するところであった。あの技が炸裂すると、直接的な描写がないとはいえこの小説のレーティングが非常にあいまいなものになるのだ。
「今、ナイトメアは物理的にも精神的にもユキと癒着してしまっている、非常にデリケートな存在です」
カルナ=カルアは言う。物理的にも精神的にも癒着しているのであればやはり引きはがすことは出来ないのではないか、とキリエの表情が再び絶望に染まる。
「無理矢理引きはがすことはできませんが、ナイトメアが今の状態を『不快』か、もしくは『危険』と感じて自ら逃げ出すように仕向ければ、剥離できると思います」
理屈としては分かる。しかし『物理的』にしろ『精神的』にしろ、いずれにせよどうやってナイトメアにそう思わせればよいというのか。
「『物理的』っていうのはもちろん物理的にダメージを与える事です。生命の危険を感じれば、ナイトメアは自然にユキの身体から逃げ出るでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 物理的にダメージを与えるって、ユキくんを攻撃するってこと!?」
もちろんそうなる。しかもただ攻撃するだけではない。ナイトメアに「命の危機を感じさせるほどに」攻撃しなくてはならないのだ。
「冗談じゃないわ!! そんなことしてユキくんが死んだら……そうでなくとも障害が残ったりしたらどうするのよ!!」
母親からすればそんな案を通すわけにはいかない。当然却下である。
「精神的に攻撃する事なんてできるの?」
メイが問いかける。物理的に攻撃するのが却下ならば当然そうなるのだが、しかしその方法が全く思いもつかない。少なくともメイもキリエもそんな方法を持ち合わせてはいないのだ。
「非常に危険ですが……ベルメス様の力で、お二人をユキの精神世界に送り込んで内側から攻撃を仕掛ければ、あるいは」
「ま、待って!」
基本的には『物理的』でも『精神的』でもやることは同じ。ナイトメアに攻撃を仕掛けて自らユキから離れていくように仕向ける、という事である。しかし『同じ』と言うならば一つ気になることがある。キリエはそこに気付いたのだ。
「それってユキくんに危険はないの? 精神世界を攻撃するならユキ君にもダメージが入るんじゃ……」
カルナ=カルアは難しい顔をしてユキの方をちらりと見た。
「正直そこもやってみたことがないのでどうなるのかは分かりません。ただ、人間は物理的にダメージを食らって死ぬことはよくありますが、精神的ダメージではめったに死なないので……大丈夫じゃないかと」
なんとも確実性の低い話である。
そもそも、話を聞く限りその「ナイトメアを引き剝がす」という行為自体あまりノウハウがないようにも感じられるのだ。
だがメイはそれ以外の部分を気にしていた。
「そもそもがさあ」
メイの視線の先には魔王ベルメスがいる。
「この女を信じろっていうの?」