無職転生
「それでもまだ立ち上がるのね」
「自分が何者であろうとも、もはや立ち止まれぬ身。それだけの命を背負っておる」
その意気やあっぱれ。肉体的拮抗を崩せぬと判断したメイは勢いに任せたのもあって口撃にて夜王を攻め、これに大ダメージを与えたと思われたが、しかしそこはDT騎士団の長。その程度では戦いを放棄しなかった。
「とはいえ、あんたの手下はみんな広間で死んでるけど? もう戦う意味無いんじゃないの?」
くい、と親指で背後の広間の方を指差す。しかしここでは夜王に動揺は見られなかった。
「まだサザンクロスに残してきた手下がおる。NPO法人もある。我が体制は盤石だ」
「ホントにそうかしらねぇ?」
にやりと笑ってメイはスマホの画面を見せた。そこにはどうやらメッセージアプリの画面が開いているようであった。
「如月杏……多分あんたは直接この女は知らないわね。ダンジョンに入る前に連絡を受けてたのよ」
夜王は知らないが、スケロクの大学の後輩であり、キリエを使ってサザンクロスに何らかの調査をかけていた女性である。当然夜王はその女が誰か知らない。画面に何が映し出されているのかも意味が解らなかった。
「覚せい剤所持の容疑で、サザンクロスにガサ入れが今まさに入ってるわ」
「なに!?」
目を見開く夜王。最後の拠り所としていたところに、今まさに捜査のメスが入っているというのだ。彼が最後の拠り所としていた物、そしてここまで築き上げてきた物の結晶、そこに今まさに手入れが入っているというのだ。
「今この部屋の奥にいるキリエ、あんたんとこに出入りしてたでしょう?」
常連客である。正直言ってそこまでマークしていない人物ではあった。一度メイと一緒に来店したことがあったが、その時も大きな問題は発生しなかったし、サザンクロスに出入りしているユキについて何か抗議を受けることもなかった。
ダンジョンに乗り込んでくるまで元魔法少女だという事も把握していなかったのだ。
「キリエが囮になって捜査してたのよ。下っ端の方は危機感が薄いわね」
まさかこんなバタバタしている時期にガサ入れが入るなどとは思っていなかった。いや、それ以前におかしなところが一つあるのだ。夜王はその疑問を口にした。
「ま、待て! 日本では囮捜査は違法だ! 違法な手段によって収集された証拠は裁判で使えぬはず!!」
「警察の捜査の事を言ってるの? だとしたらとんだ間抜けね」
スマホをスカートの内側のポケットにしまいながら、メイは笑みを浮かべた。
「如月杏は警察じゃなくて麻取よ」
麻取、正式には麻薬取締官という。警察の組織ではなく、厚生労働省管轄の組織であり、広く一般の犯罪を取り締まる警察と違い、麻薬関係にのみ逮捕権を持つ。
元薬剤師も多く、警察と違って薬物に対する専門知識を有する。そのため警察と違っておとり捜査によって実際に薬物を受け取ることが出来る。これに一般人のキリエを巻き込むのは少し拡大解釈が過ぎるが、敢えてそれを開示することはないだろう。
「公安が動いていたのに……警察の縄張りに麻取が踏み込んだというのか!?」
「同じ目的の別組織だから縄張り意識で敵対してるとでも思ってたの? ドラマじゃあるまいし。日本の行政ナメすぎね。
はっきりと言うわ、もうあんたの居場所なんかないわよ。今まで築き上げた地位も、居場所も、金も全部無に帰るの。NPO法人にだって捜査の手が入るでしょうね」
呆然とした表情で両手のひらを見つめる。何の予兆もなく、いや実際にはそれを見落としていたのだが、全てを失ってしまったのだ。その絶望を推し量ることはできない。
しかしその状態はメイにとっては千載一遇のチャンスである。そしてその隙を見逃すメイではない。
一瞬で、爆発的に距離を詰める。
(チャンス。たった一撃でも決めれば、圧倒的に有利になる。回復する隙など絶対に与えない!)
全体重をかけたロシアンフックの体勢に入る。未だ茫然自失としている夜王はまだ回復の兆しを見せていない。この距離なら、絶対に入る。そうメイは確信していた。
「なにっ!?」
しかし轟音をうならせてメイの拳は空を切ったのだ。何が起きたのか全く分からなかった。何が起きたのかは分からないが、しかし事実として夜王は足音もさせずに直前でメイの拳を躱したのだ。
「こっ……この動きは」
しかし攻撃の手を止めることなどできない。千載一遇のチャンスをみすみす逃すわけにはいかないメイは体勢を立て直すことなく今度は左の裏拳をお見舞いしようとしたのだが、これもまた躱される。
今度ははっきりと見た。
羽根のように軽く、そして体幹のブレが一切ない移動。正中線に一切の歪みがなく、すり抜ける様にメイの拳を躱したのだ。
メイを凝視しているようでその実、どこも見ていないように見える瞳。それは深い哀しみを湛えているように見えた。
「まさか、ここにきてこの技を会得することが出来るとはな……」
苛烈な性格の夜王に似合わない穏やかな口調であった。いったい彼に何が起こったのか。
(まるで実態が存在しない幽霊とでも戦ってるみたいな……)
「無職から転じて生を拾う。このホスト神拳7年の歴史の中で、ただ一人の伝承者も現れなかった伝説の究極奥義、それがこの無職転生だ。職を失ったという真の哀しみを背負った者にしか体得できぬ技!」
「ふざけんな! ホストなんて無職みたいなもんでしょうが!!」
相変わらず酷い偏見である。
さらに言うなら無職にならないと体得できないなら誰も使えないのは当たり前だし、そもそもホスト神拳の歴史が浅すぎる。しかし数多のツッコミ所を残しつつも今のメイにこの技に対して為す術がないのも事実。
一計を案じ、メイはゆるゆると拳を突き出す。全く攻撃の意図を感じさせないハエのとまるような突き。それはゆっくりと、夜王の鳩尾に着弾した。
(寸勁ならどうだ……!!)
しかし力を発揮しようとした瞬間、またも夜王の体がフッと消え、同時にメイの背中に衝撃が走った。
吹き飛ばされ、しかし咄嗟に前転受け身をとりながら距離を取る。今度は回避行動をとりながらカウンター攻撃を放ってきたのである。
追撃のつもりでサザンクロスのガサ入れの情報を流したメイであったのだが、完全に藪蛇であった。まさか追い詰められて奥義に目覚めるなどとは思っていなかった。五分の条件でも不利であったというのに、この状態で戦わねばならないのだ。
「せめて、ガリメラがいれば……」
ガリメラのサポートはいつも非常に気まぐれである。ジャキとの戦いの時のように直接的に関わってくれる時もあれば、全く興味を示さない時もある。
しかし大抵は何らかの形で呼べば応えてくれる。最低でも武器の供給くらいはしてくれる。それがあれば夜王との差を埋めることもできるのだが。
メイがそう呟いて少しした後、何もない空間に静電気のような物がバチッとはしった。
「ん?」
またも空中にバチバチと稲光のような物が発生し、やがて何もない空間に黒い亀裂が入った。
「まさか」
「ギェェェェ……」
まさに僥倖。メイの呼びかけに答えたのか、次元の扉を越えてガリメラが空間の裂け目をこじ開けて出てきたのだ。しかもそれだけではなかった。
「メイさん……」
「メイ先生!!」
ガリメラに続いて堀田コウジと白石アスカも姿を現したのである。