物理無効
「ふん、ようやく来たか」
くらく、響く、野太い声。夜王は大広間の先の部屋に入ってきたメイに声をかけた。
メイの方はと言うと鋼鉄で出来た重厚な扉をバタンと閉め、夜王の言葉には答えなかった。扉をわざわざ占めたのは、大広間でこれから起きるであろうことを自分の視界に入れないためであった。
「さっきの悪魔か……」
部屋にいたのは夜王とそして魔王ベルメスの側近、カルナ=カルア。さらに中央には巨大な化け物が鎮座していた。
「ブフー……」
一言で言えばサイの様な角の生えた、カバのような巨大な口を持った貪欲そうな化け物、といったところか。下あごから生えた巨大な牙も角と同様天を向いている。知性は感じられない。
「キリエはどこにいるの」
「あの女はこの先だ。大切なゲストだからな。だがうぬは違う。招かれざる客だ」
それは即ち「ここで死ね」という事を意味する。
「さっきはよくもやってくれたなあ、葛葉メイ!!」
「見逃してあげた記憶しかないけど?」
口を挟んだのはカルナ=カルア。どうやらメイが魔族を壊滅状態に追い込んだことを大変恨みに思っているようなのであるが、そもそも有無を言わさずメイに襲い掛かってきたのは魔族の方であるし、四天王は勝手に自滅したのだ。
逆恨みもいいところである。
むしろその後でメイはベルメスとカルナ=カルアを半ば何者か分かっていた状態で見逃してやったのだ。「この程度の奴らならいつでも殺れる」という考えもあったが。
「ふん、デカい口叩けるのも今の内だ。知能が低いから戦力に数えてなかったが、四天王に匹敵するこいつの力を試すいい機会だ。いけ! ゴルダン! あのババアを食い殺せ」
カルナ=カルアがそう言って化け物の尻をパン、と叩くと、ゴルダンと呼ばれたその化け物はカルナ=カルアの服の襟首に噛みつくと、彼の身体を宙に引き上げ、そして床に思い切り叩きつけた。
「……このように、こいつ……は、大変凶暴な奴だ」
凄い説得力である。
ゴルダンは鼻から大きく息を吐き出しながら四つ足でメイに近づいてくる。動きは鈍重である。野生動物のようにテイクバック無しの凄まじい突進力を警戒していたメイであったが、この動きには正直拍子抜けした。
「こんなのが切り札?」
そう言った瞬間ゴルダンは一気に間合いを詰め、メイの胴よりも太い首を生かして『かちあげ』を仕掛けてきた。しかしその角と体格からかちあげ攻撃を読んでいたメイは突進と同時に右に回り込み、ショートフックを二発、前足へのローキックを一撃入れて、すぐに距離をとる。
通常であれば体格で勝る野生動物に基本的に人間の打撃は一切効かない。しかし、魔法少女の衣装と、そしてキリエやアスカ達には劣るものの、長年の戦いの中で少しずつ使えるようになっていた魔力を絡めたメイの物理攻撃は確実にダメージを与える……筈であった。
「なに……今の感覚」
打撃を打ち込んだ際の異様な感覚に戸惑うメイ。カルナ=カルアはその様子に這いつくばったままニヤリとほくそ笑んだ。
その後もメイはゴルダンの攻撃を捌きながら攻撃を加えていくのだが、どうも違和感がぬぐえない。とうとう壁際まで追いつめられたメイは突進しての頭突きをギリギリまでひきつけ、直前で跳躍して躱し、ゴルダンを壁に突っ込ませた。
「ふふ、違和感の正体は分かったか?」
石壁を砕いて頭部がめり込んだゴルダン。普通ならば頸椎を砕くか、脳震盪を起こして勝負あり、という事態。だがそれでもカルナ=カルアは笑みを崩さなかった。
ゴルダンは当然のようにずぼりと壁から頭部を引き抜き、何事もなかったかのようにメイの方に振り向く。
「違和感の正体は皮膚だ。鎧状の表皮により打撃のダメージを分散、第一真皮の棘刺状ダンパー構造によってその衝撃を熱エネルギーに変換、さらに第二真皮によりその熱をエネルギーとして吸収して自らの力とするのだ!!」
凄い早口。
「つまり、お前の攻撃など何一つダメージになっていないどころか、ゴルダンを回復させているに過ぎない!! その上余剰エネルギーを……」
がぱり、とゴルダンの巨大な口が開いた。その喉の奥が光を放っている。危険な兆候を感じたメイはとっさに横に跳んだ。
それと同時に極太の光線がゴルダンの口腔内から発射された。
「あぶなっ!!」
光線は偶然メイの後ろに位置していた夜王に向かって放たれたのだが、夜王はとっさに腰を深く落し、両手を交差させ、風車のように両腕を廻して光線を霧散させた。諸手廻し受けである。
「笑止」
「魔族の格が落ちるからそういうの気軽にしないで」
夜王の両腕はぼうっと淡い光を放っている。おそらくDT魔法を使用した防御なのだろう。しかし直撃すれば大ダメージは必至。その上エネルギーのチャージ元はメイの攻撃なのだ。
当然ながらそれでゴルダンが攻撃の手を休めることはなく、再びメイに向かって猛然と突進を仕掛ける。
「くそっ!」
悪態をつきながらも、マタドールのように突撃を華麗に躱し、側面からボディアッパーを、ローキックを乱れ打つ。
「無駄だ無駄だ!! ゴルダンは物理無効の特殊能力持ち! お前とは相性が悪いんだよ」
山田アキラから聞いているのか、どうやらカルナ=カルアはメイが物理魔法しか使えない事を知っていたようである。その上で急所となる敵を仕掛けてきたのだ。
二度、三度とそんな攻防を続けると、エネルギーが溜まったのか、おもむろに口を開き、レーザー攻撃を仕掛けてくる。先ほど軽々と躱されたのを気にしてか、軽く首を振り、攻撃範囲を広げて。しかし動きが単純なためまたもメイはこれを躱す。あとには無残に黒焦げになった石壁が残った。
「まさかとは思うが攻撃を仕掛け続けてスタミナ切れを狙ってるのか? 言ったろ? エネルギーはお前が供給してるんだ。先にスタミナが切れるのはお前の方さ」
そういったカルナ=カルアは夜王の陰に隠れている。レーザーの誤射による決着にも万全の構えである。情けないが。
「分かってないわね」
「なにっ!?」
しかしメイの表情からは余裕の色は消えず、相変わらず攻撃を躱す合間合間に細かな打撃を与え続ける。するとどうだろうか、確かにゴルダンの体が揺らいだのだ。
「なっ、どういうことだ?」
事態を飲み込めないカルナ=カルアを置き去りにして、とうとうゴルダンはその場に伏せて体を休めてしまった。戦闘放棄である。
「どういう事も何も、ローキックで骨にダメージを与え続けただけだけど? 骨が折れはしなかったけど、先に心が折れちゃったみたいね」
「なっ、えっ!?」
「物理攻撃の通じない相手にも、ローキックは通じるのよ」
もとより初めからゴルダンに大した知能もなければ忠誠心もないことは分かっていた。だったら動物相手には「この戦いは割に合わない」と思わせれば十分なのだ。
「所詮は畜生か」
一歩踏み出す、圧倒的存在感。夜王。
「意志無き者に力などない」
腰を深く落として構えを取ると両腕が淡く光る。
「ホスト剛掌波!!」
視認できるほどの闘気が腕から発射され、ゴルダンに向かって放たれ、その直撃で物理無効の化け物を一発で絶命させたのである。
「そんな……バカな。あらゆる物理攻撃を吸収するはずなのに」
メイ、夜王と続いて肝入りの手下を攻略されたカルナ=カルアはもはやその怯えを隠せない。
「吸収するのならばその許容量を超えて攻撃すればよいだけの事」
ついにこの男が、本腰を入れて戦いの場に出るのだ。