奇跡じゃなくて
「おいおいおいおい」
DT騎士団の一人が肩をすくめて笑った。
スケロクが取り出したハンカチに書かれた油性マジックのメッセージは裏側からでもよく見えていた。
― だいすき! がんばって!! ―
ユリアからスケロクに託された、最後の最後、いざという時のために温存されていた最後の砦。それがこのハンカチであった。
「ハハハハッ、ヒーローショーの応援かよ」
一人がそう言うと周りの男達からはドッと笑い声が起こった。悪魔達も笑っている。
「何が可笑しい」
それは、地の底から響くような恐ろしげな声だったかもしれない。
その異様な声に気を取られた、次の瞬間には最初に笑った男の顔面に膝が叩き込まれていた。
跳び膝蹴り。しかし全くその予兆、気配は掴むことが出来なかった。人中に膝を叩き込まれ、力なく地に伏すとともにその頭部が踏み潰される。
「そんなだからてめえらは童貞なんだよ」
まだDT騎士団の連中は状況が把握できていない。そしてそれを把握される前に、すぐ隣にいた男の顔面に拳銃のグリップエンドが深く叩きこまれる。
「てめえっ!!」
左右から同時にホストが攻撃態勢に入る。顔面へのショートフックと、ミドルキック。そのどちらも魔力を纏っているように見える、まともに喰らえば致命傷は免れない攻撃。ただの打撃とは違う。
上段と中段への同時攻撃。示し合わせたかのような完璧なコンビネーション、不可避の必殺攻撃であるはずだったが、しかしそれでも今のスケロクを捉えるには足りないのだ。
その場にふわりと浮いたスケロクの身体はきりもみ回転をしながら両者の攻撃を避けるとともにフックを打った男の延髄に蹴りを叩き込み、そして同時にミドルキックを放った男の頭髪を両手でつかみ、それを引き込みながら全身のばねを使って鼻っ柱に膝を叩き込んだ。
「なっ……バカな」
驚愕が、恐怖が場を支配する。
いつの間にか腹部の出血も止まっているようだった。男どもの顔は皆一様に「信じられないものを見た」という表情であり、そして実際に「信じられないもの」を見たのだ。
つい先ほどまでは確かに、息も絶え絶えで死にかけだったはずの男が、息を吹き返したのだ。
それだけではない。明らかに今まで見たどんな動きよりも素早く、どんな打撃よりも重く、そして鮮烈だった。
戦いが始まったばかりの時ですら、ここまでの強敵ではなかったはずなのに。
まさしく「生まれ変わった」という言葉がしっくりきた。
深く右足を引き、左を前に半身に構える後屈立ち。右手に持ったトリガーガードに指をかけ、くるんと銃を回してからバレルを手に持ち、ハンマーのように銃を構える。全ての弾丸を撃ち尽くしたこの武器は、既に鈍器である。
「バカな……そんなバカな」
震えながらDT騎士団の男が言う。正直なところ油断はあった。
「もはやここからの逆転はあるまい」という。だからこの勝ち戦で怪我はしたくない、という思いがあった。ここで死ねば無駄死にだ、と。それ故攻め手が甘くなり、雑だったところ、スキを突かれた。
そしてその恐慌状態はまだ完全には消えていない。このスキを逃すスケロクではない。
「来ないならこっちから行くぜ」
まるで床面に飛び込みをするように前進する。読めない動きに騎士団の男たちはさらに混乱する。敵陣中央での倒立からのブレイクダンスのようなウィンドミルキック。
意表を突かれて体勢が崩れたところに拳銃のグリップエンドが襲う。銃火器とはもちろん鉄塊。顎先を揺らし、頸椎を砕き、眼球を破壊する。
モンスターのシオマネキのような巨大な右腕がスケロクを襲うが、その軌道をわずかにずらし、付近の敵に同士討ちさせる。
「こんなバカな!」
敵の渾身の右ストレート。相手の腕を掴み、宙返りしながら顔面に膝を打ち込み、着地と共に腕を拉ぐ。
倒れ込みながら攻撃を躱し、跳ね上げるように体を起こしながらグリップエンドを叩き込む。
「どうした? 何が『こんなバカな』なんだ?」
再びスケロクは後屈立ちに構え、ゆっくりと銃を高く構える。ゆっくりと呼吸を整えるが、騎士団の男は委縮して主導的に攻撃に入れない。
「たしかに重症だったはず……出血多量でろくに動けないはず」
事実、スケロクの呼吸は浅く、弱弱しいままなのだ。とても戦える状態ではないはず。いったい彼に何があったのか。
「さっきまでは確かに死にかけだったってのに……どんな奇跡が起きたって戦えるからだのはずがねえ!」
「奇跡か……フッ」
男の言葉を鼻で笑うスケロク。言葉を吐き出すと同時にごぽりと口の端から鮮血が漏れた。幻でも気のせいでもない。たしかにこの男の身体はもう限界のはずなのだ。奇跡でも起きなければ戦える状態ではない。DT騎士団の男が言うとおり。
「ざけんな」
DT騎士団の男が眉間に皺を寄せて一歩前に出て右手をかざした。
「奇跡ってのは起きねえから奇跡っつうんだよ!」
一瞬のうちに右手に光が集まり炎となってスケロクに射出される。
「ブッ!?」
しかしそれと同時に神速の踏み込みで低空タックルのようにスケロクは突っ込み、逆に右手は大きく振りかぶってロシアンフックの要領でグリップエンドを人中にめり込ませた。
ねちゃり、と湿った嫌な音をさせて顔面にめり込んだ銃がゆっくりと引き抜かれる。
左手には、まだ先ほどのユリアから預けられたハンカチが大切そうに握られていた。器用にそのハンカチを片手で広げて、スケロクはもう一度そのメッセージをよく見つめた。
「真実の愛を得たこの俺に……」
ハンカチを止血に使っていたベルトの隙間に押し込み、再び深く構えをとる。
「この程度の奇跡、起きて当然!!」
「囲め!! 全員で一気に圧し潰せ!!」
もう少し早くこの判断が出来ていればあるいは成功したかもしれない。しかしこの奇跡を目の当たりにして有効な反撃に映るのが遅れたDT騎士団、魔族連合軍はあまりにも数を減らしすぎていた。
偶然ではなく、必然。奇跡ではなく、当然の帰結であった。
他人を利用する事しかせず、守るべき弱者ですら道具にする。愛することも、愛されることも知らず、心を弄び、金に換える童貞のホスト。他者との信頼関係を切り崩して金に換えてきたような人間が、勝てるはずがなかったのだ。
見返りを求めることなく他者を愛し、そしてついには互いに見返りのない無償の愛を施し合うことに成功した、真実の愛を得たこの男に。
以前に彼の心を曇らせていた杞憂など既に消し飛んでいる。
ユリアが彼に想いを寄せるのは彼女の持って生まれた特殊な環境が生んだ幻影に過ぎないのではないかという危惧。
だがあのハンカチを通して、その杞憂は消し飛んだのだ。互いの事を真に思って尊重するその心が確かに感じ取れた。
敵の攻撃を捌きながら、顔面を打ち砕きながら、スケロクはただ一つだけの後悔をする。
(すまない、ユリア)
(町が、全てが元に戻った後、普通の人間と同じように生きていくには、随分苦労するだろうな)
(その時俺は、隣に居られそうにない)
(たった数時間苦しむだけの今の俺よりも、ずっとつらい思いをするだろう)
(楽な道を選んだ、俺を許してくれ)