ほうれい線
「私達が最後に別れてから、もう十年以上経つっていうのに、まだ魔法少女やってたの?」
メイはその問いかけには答えないが、女の言葉には若干嘲りの色が見えた。女はメイが答えずに黙っていることに気を良くしたのか、言葉を続ける。
「もしかしてさ、あの化け物……ガリメラだっけ? あれもまだいるの? それとも化け物として討伐されちゃった?」
折り悪く、バサバサと羽音を響かせてガリメラが飛んできて、メイの隣に着地した。
討伐はされていないが、ついさきほども元気に他の魔法少女のマスコットを食い殺したところである。
「あ~……」
ようやくメイが口を開く。
「今日はなんか……気分悪いし、帰るわ」
そう言って来た道を引き返そうとする。しかしこれに焦ったのは女の方であった。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私の息子が攫われちゃったのよ!! あんた魔法少女なんでしょ!? 助けてよ!!」
とはいうものの、それが助けを求める者の態度か。という気持ちがメイの心から離れない。
「いや、白石さん達も向かったし、大丈夫でしょ……でもあんたは行った方がいいわよ。あの狼女も『ついてこい』って言ってたし」
「ちょ、ちょっと! 悪かったって。バカにしたのは謝るわ。助けて!
あの子、まだ小6なのよ、かわいそうと思わないの? 来月から中学生になれるのを楽しみにしてたっていうのに」
「ら……」
その言葉にメイはショックを受けて、かくん、と膝が折れ、その場にへたり込んでしまった。
「来月から……中学生……?」
どうやら腰が抜けてしまったようだ。先ほど悪魔を軽く追い払った魔法少女とは思えないような体たらくである。
「うそ……他人の子供は成長が早いっていうけど……もう中学……?」
「そうよ。聖一色中学校に通う予定なの」
さらにメイは血の気が引いて真っ青な顔になる。
そう。まさにメイが勤務している中学校が、その「聖一色」である。つまり、間柄はよく分からないが、どうやらこのメイの知り合いの女の息子が、来月からメイの勤務する中学校に入学してくるという事なのだ。
これは、メイにとって大変ショックな出来事であった。
「あれ? メイ、そんなとこでなにぼさっとしてんだ? 怪我でもしたか?」
二人が会話しているところに、遅れて小走りでスケロクが追いついてきた。メイはまだ腰砕けになって路上に座り込んだままである。しかしスケロクはメイの隣にいる女性を見て、何か気付いたようであった。
「ん? おまえまさか……なんだっけ? そうだ、井田キリエか?」
「そうよ。今は有村だけど……あんたもしかしてスケロク?」
キリエは何かに気付いたようでパッと両手を口に当ててメイとスケロクの顔を交互に見比べる。
「ああ、あ~……もしかして、そういう事? いや~、そういう事なら早く教えてくれれば」
「キリエ……お前」
「一緒に悪と戦った仲だっていうのにほとんど連絡もくれないし知らなかったわ! 年賀状にも暑中見舞いにも定型の返事しかしないし、もう、なんで教えてくれないのかなあ? そういう事なら私も祝福……」
「老けたな」
ピシッと空間にひびが入ったような感覚があった。実際にそんなことはないのだが、確かにこの空気にひびが入ったのだ。
確かにメイとスケロクは若々しく見える。普段から運動をして、健康を保ち、気ままな独身生活を謳歌している二人はストレスが少ないのかもしれない。
一方キリエの方はというと、少し髪も荒れ、うっすらだがほうれい線も走っているように見える。
「は? 老けた?」
ぐにゃりと。
キリエの眉間に皺が寄る。
「あのねぇ? こっちゃ二人も子供産んで社会の荒波にもまれて生きてんのよ! 何の苦労もなく寂しく独り身で暮らしてる大女と一緒にしないで欲しいんだけど! 旦那は家のこと何にもしないし! たまに料理したかと思ったら皿洗いはこっちに丸投げでキッチンはぐちゃぐちゃ。そのくせ同僚やSNSにはイクメンアピールでどや顔、挙句の果てには『お前は専業主婦でいいよな、そろそろパート出ないの?』とかいう始末!! あんたらにこの苦しみが分かるの!?」
琴線に触れてしまった。しかしスケロクの表情には反省の色はなく、面倒くさそうにため息をついてから、彼女の肩にポン、と手を置いて話しかける。
「落ち着けってブサイク」
火に油を注いだ。
「ぶっ、ブサって……!! 確かに老けたかもしんないけどね!! 決してブサイクじゃないわよ!!」
「あっ、老けたのは認めるんだ」
さらに注ぐ。
「全っ然分かってないわよあんた!! いい!? 私が老けようがなんだろうが、いい旦那に恵まれて二人の子供がいる人生の勝者なのは変わらないのよ!!」
「へぇ~、イクメンアピールの旦那に恵まれてるんだ」
注ぐ注ぐ。
一方そのころメイは。
ガリメラの頭を撫でてから、ゆっくりと深呼吸をする。スケロクとキリエのくだらないやり取りを聞きながら。
(落ち着けメイ……誰が入学してこようが私のやることは変わらない)
ゆっくりと脚に力を込めて、立ち上がる。魔法少女はくじけない。
これが十代や二十代の女なら、白馬の王子様が手を差し伸べてくれるのを待ったかもしれない。しかしスケロクは十五歳以上の女に手は差し伸べないし、そんな間柄でもない。
三十代の女は、自分の足で立ち上がるのだ。
「落ち着いて、二人とも。キリエの息子さんを助けに行くわよ」
「む……」
思わずキリエが口をつぐむ。言われてみれば、自分の息子の危機なのだ。こんな不毛な口論をしている場合ではなかった。
「随分時間を浪費してしまったわ。まずは白石さん達がどこに行ったか……手分けして探すしかないか」
さすがは魔法少女歴二十年のベテランである。先ほどまでどん底の精神状態にあったのだが、キリエが加齢ツッコミされて弱っているところを見ることで即座に自分のメンタルを回復させたのだ。
とはいえ、無駄なやり取りが多すぎてアスカ達と離れてしまったのも事実。まずは彼女達と、狼女がどこへ行ったかを探し出さねばならない。
「その必要はないニャ」
「!? ……この声は」
甲高い声にメイが振り向いた。
今となっては遠くなってしまった記憶。しかし確かに彼女の記憶の中にこの声の主はいたのだ。そして、メイが振り向くのと同時にキリエが声を上げる。
「フェリア! 来てくれたの!?」
「え? なに? 喋る猫?」
スケロクだけが怪訝そうな表情で二人と、黒猫を観察するように見ている。
「私の家で飼ってるネコの、フェリアよ」
いささか説明不足ではあるが、その説明にメイが言葉を継ぎ足す。
「キリエの魔法少女時代にサポートしてくれていたマスコットよ」