ネコと和解せよ
「阿呆共が、数だけ揃えてもメイ達には勝てないニャ」
その黒猫は、ダンジョンの中、何も無い場所から突然現れた。
「な、何じゃ、おぬしは。妾を魔王ベルメスと知っての無作法か」
魔王ベルメスよりも、夜王よりも。幾分かその猫の方が貫録を見せていたのはおそらくはその覚悟の量であったろう。
「お、おお……フェリア。とうとう来てくれたか」
その黒猫の出現に最も喜色を見せたのは山田アキラであった。
合流した魔王ベルメス軍とDT騎士団の一行。そのうちDT騎士団の方のリーダー格の一人。その山田アキラが外見上ただの飼い猫にしか見えない生き物の来訪を誰よりも喜んでいたのだ。
(なんなんじゃこいつ……めっちゃ猫好きなのか?)
DT騎士団の幹部連中、詳しく言うと夜王と網場はこの猫が何なのかは知っている。一般の連中もこの黒猫がサザンクロスに出入りしていたことくらいは知っている。しかし当然ながらベルメスは知らない。
人間の言葉を喋ってはいるが「この世界の猫ってこんな感じなんかな?」と無理やり納得するベルメス。しかしどうにもイマイチ釈然としない。
何しろ登場一番、魔族もDT騎士団もひっくるめて「阿呆」呼ばわりしたのだ。いくら猫が可愛いといってもこんな無礼が許されるものなのだろうか。そう考えるのは当然である。
「期待外れもいいとこだニャ。これだけの人間を率いて、あんな三十路ババア一人始末できないニャんて」
「だ、だが! この通り魔族と協力して万全の体制を敷いたんだ! これならメイなんて敵じゃない」
(え? なんでコイツそんなネコに対して必死で弁明してんの?)
その目には非常に奇異に映った事だろう。物理的な強度もない、魔法の素養も感じられない、ただ喋れるだけの猫にここまでへりくだっているのだから。
オクラホマ大学の二〇二〇年の研究発表によると教会へ通う習慣のない無宗教者はネコの世話をすることで宗教活動によって得られる社会的相互作用を代用しているという論文がある。
つまりは、そういう人達にとってネコとは神の代用なのである。
DT騎士団は元々キリスト教信者の集団であったが、黙して語ることのない神の代用としてネコに奉仕することを選んだ者たちなのだ。
― ネコと和解せよ ―
罪を悔いて、ネコの赦しを得る事こそが、唯一人類にできる、天国へと至る道をたどる方法なのである。
「魔族の戦力はどのくらい残ってるニャ?」
「え?」
唐突に直接話しかけられて狼狽えてしまうベルメス。初対面の猫に気安く話しかけられてどう答えるのが正解なのか。一瞬迷ったが……
「せ、戦闘員は二〇体ほど……」
「その程度しかいニャいのか……残りはメイにやられたのかニャ」
顔を洗いながらぶつぶつと呟くフェリア。かわいい。
「ダンジョンの外にいる連中もお前の配下かニャ?」
「あ、ハイ」
(ええ?)
この二人のやり取りに大いに疑問を持ったのは現在の実質的魔族側ナンバー2、カルナ=カルアである。
(何普通にベルメス様ネコに使われてんの? もしかしてこのネコ、俺が知らないだけで超大物ネコなの?)
「すぐにダンジョンに連れ戻すニャ。今アレのせいで外は大変なことになってるニャ」
「わ、分かりました」
夜王と対峙した時ですら自分のキャラを崩さなかった魔王ベルメスが普通にフェリアの配下のように振舞っているのだ。その魔王の配下でしかないカルナ=カルアが大いに混乱するのは無理からぬことであろう。
「フェリア様、『大変なこと』とは、一体……?」
(『様』!?)
今度はカルナ=カルアの言葉にベルメスが驚いた。カルナ=カルアはベルメスがフェリアに敬意を払った態度をとっていたのでそれに倣って相応しい敬称を付けただけなのだが、その部下の態度にベルメス自身も驚いているのだ。「私が知らなかっただけで、この黒猫、やはりVIPなのか」と。
「お前らの配下のモンスターが外で暴れたせいで、外の人間達が本腰入れて動き出したニャ」
「す、すみません……」
「申し訳ない」
平身低頭するカルナ=カルアとベルメス。
その二人の態度を見てDT騎士団もまた思うところあった。
やはり、この黒猫はただ者ではなかったのだ、と。
異世界の魔王を名乗る実力者が黒猫のフェリアに気を使っているのだ。アキラや夜王達と何か深い関係にあるのだろうとは思ってはいたが、異世界にまで名が轟く重要なネコだったのだと、当然ながらそう考える。
「メイやキリエ達だけじゃないニャ。他の魔法少女達も集まって本拠地であるここに攻め込もうとしてるニャ。戦力をここに引き戻して体勢を整える。すぐにだニャ」
「ハハッ」
こうして一瞬にして黒猫のフェリアは魔族、DT騎士団連合軍の棟梁にすっぽりと収まったのである。
それから少ししてのことであった。白石アスカ達が聖一色中学校を発ったのは。
町から突然に悪魔達の気配が消えたのにはそんな背景があったのである。
「町にいた悪魔たちは、皆このダンジョンの中に入っていったみたいですね」
異界化した浅間神社付近の旧アルテグラのアジト入り口。その入り口の前で青木チカが眼鏡のずれを直しながら言った。
もはや入り口付近にも異界からの悪魔たちはおらず、全て中に戻って行っているようである。
「この中で、待ち構えてるってことなのかな」
アスカが不安そうな表情で呟く。覚悟を決めてここまで来た彼女ではあるが、それと恐怖とはまた別だ。しかもその恐怖の根源は悪魔達との戦いだけではないのだ。
「基本的には、僕が前に出て闘う。君達が魔法を使うのは『どうしようもない時』だけにするんだ」
アスカの肩をポンと叩きながらそう言ったのは堀田医師である。彼は誓約と制約によってリスクを気にせず魔法を使うことが出来る。
しかしチカとアスカは違うのだ。
魔法を使用しすぎれば、前頭葉が損傷し、最悪の場合にはマリエのように……
死んでしまった……いや、自分が殺してしまった幼馴染の事を思い出して、アスカはぶるっと震えた。
「とにかく、僕が先頭に立って進むから、二人は後からついてきて」
二人の少女を従えてのダンジョン攻略。当然ながらまともな大人である堀田コウジはその大きな責任を背負う事となる。使命感を負い、自らが盾となって進まねばならない。
ダンジョン攻略の経験など彼には当然ない。せいぜい子供の頃に巨大迷路をやったことがあるくらいだ。さらに言うなら戦闘経験もほとんどない。DT騎士団と一度戦ったきりであり、アスカとチカの方がよほど経験豊富なのである。
だがそれでも、意を決してダンジョンに足を踏み入れる。
少し湿った、ひんやりとした空気と、かび臭い嫌な匂い。通路を少しいくと、すぐに大きな部屋に行きつく。先ほどメイ達とジャキの戦闘があった部屋である。
「大丈夫だ、誰もいないみたいだ」
そう言って振り返ってアスカ達の方を見ると、彼女達は口をあんぐりと開けてこちらを見ていた。
直感的に気づいた。自分の後ろに何かいて、アスカはそれを見ているのだと。二人が声を発する前に咄嗟に身を伏せるコウジ。
それと同時に彼の上半身のあった場所にバクン、と大きな音が鳴った。真っ黒い、大きな影のような何かが巨大な口で噛みつこうとして空振ったのだ。
「ひっ……」
とりあえず距離を取らなければ。そう思って恐慌状態に陥りつつもその場を離れる。
しかしそれと同じ動きで巨大な影もついてくる。足音が聞こえない。移動しているのではなかった。その巨大な悪魔の身体はコウジの影から体が生えていたのである。
万全の状態ではない。身を伏せ、そのまま移動したのでこれ以上回避動作に入れない。悪魔は再び大きく口を開いた。
体勢を立て直せない。逃げた先はアスカ達からも離れた位置。まさかこんな入り口付近で万事休すか、そう思われた時だった。
「グギャッ!?」
突然悪魔の体中を無数の黒いトゲが貫いたのだ。
アイアンメイデンにスケルトンタイプがもしあったら中身はこんな風に見えるのだろうか。そんな事をコウジが考えていると、黒い悪魔はどさりと力なく倒れ、その後ろに隠れていた少女の姿が目に入った。
見慣れない黒い衣装の少女。年の頃は二十歳前といったところか。どうやら服装から彼女も魔法少女のようであるが。
余裕の笑みを見せていた少女は口を開いた。
「ワン!」