静寂の街
「町が……静かになったような気がする」
「そうですね」
晴丘市の悪魔の大量出現に伴う避難所として指定された場所の一つ、聖一色中学校。
肛門科の医師、堀田コウジと、回復魔法の使える青木チカはけが人の手当ても一通り終わり、一息ついたころ。意外な人物が避難所にやってきた。
いや、意外というのには少し語弊があるかもしれない。実際には待ちわびていた人物なのだから。
「メイ先生は……いる?」
ボロボロになった魔法少女の服装。後ろには小学生くらいの小さな女の子の手を引いている。
「アスカちゃん!!」
ずっと心配していた親友の姿。思わずチカは駆け寄って彼女の身体を抱きしめた。
「ああ、アスカ。アスカ、無事だったのか」
白石浩二も一歩引いたところで目に涙を浮かべている。
彼にとってはもはやたった一人家族と呼べる人物である。
何もできず、ただここで待っているしかできなかった時間。それが最善の行動なのだと分かっていても、無力な自分に身が引き裂かれそうな思いだった。しかし、怪我はしているものの、こうして帰ってきてくれたのだ。
そして、アスカの後ろにはもう一人、こちらは本当に『意外な人物』がいた。
「お久しぶりです、ご主人様」
気恥ずかしそうな表情でもじもじと白石浩二に声をかける少女。
「ユリア……君も、無事でよかった」
「はい……でもまだ、戦いは終わってないです」
そう、全てが終わったわけではない。それどころは状況は悪化の一途。それを収めるためにメイとキリエは避難所から出て行ったのだ。
「とりあえずは……アスカちゃんの怪我の手当てですね……」
「おねがい、チカ」
そんな事があってから二時間ほど経った後である。堀田医師とチカが空を見上げながら何らかの異常を感じ取って言葉を交わしていると、白石親子も校庭に出てきた。夜はもう明け始めている。
チカは眼鏡のフレームにくい、と手を当てて位置を直した。
「あんなにたくさんいた悪魔の気配が……町から消えています」
「メイ先生達が、勝ったって……いうこと?」
「いえ……」
しかしチカはアスカの言葉を否定した。
「浅間神社に集まってるみたい……今まで自由に動き回っていたものが、号令でも受けたかのように集合してる……」
「最終決戦が始まったっていう事か?」
堀田コウジの言葉にチカは無言でこくりと頷いた。
状況は分からない。しかし戦いも最早終盤という事だろう。沈黙の中、それぞれの思いが交錯する。ある者は『やっと終わるのか』という思いもあったのかもしれない。ある者は戦いに行った者の身を案じたのかもしれない。
そんな中、しばらく続いた沈黙ののち、アスカが口を開いた。
「私……行かなきゃ」
「ダメだ!!」
即座に反対の声をあげたのは彼女の父親、白石浩二であった。
「戦いは……大人に任せてればいいんだ。子供が戦いに行くことなんて……」
「戦ってもいないお父さんが言う事じゃないでしょう!!」
叫ぶ様にアスカが言った。
「だからって、お前が戦う事……」
それでも縋りつく様に言葉を続ける父。彼にとってはここが最も守らなければならない最後の分水嶺なのだ。
「ちがうの!」
だが彼女にも分水嶺があるのだ。
「私は戦わなきゃいけないの! もう途中で逃げられるような人間じゃないの!!」
男子三日会わざれば、とは言うが女だって同じだ。父の知らぬ間に、子供は大きく成長するのである。それがいい事なのか、悪い事なのかは別であるが。
「その通りだニャ」
いつからそこにいたのか、いつの間にそこにいたのか。
「もはやアスカは無関係ではいられないニャ」
現れたのは黒猫のフェリア。全ての物語の始まり。そして全ての終わり。彼の目的は一体何なのか、誰の味方なのか。
「ここで戦いから降りるだニャんて、今までに死んでいった者達に申し訳が立たないニャ」
そう言ってフェリアがアスカの方を見ると、彼女の顔面は幽鬼のように蒼白になった。マリエの事を言っているのは分かる。本人以外にそれを知るものはここにはいないが。しかしフェリアはいったいどこまで知っていて言葉を吐いているのか。彼女達はそれを知らない。
「好きにするといいニャ。でも、力のある者がそれを行使しないのはボクは賛成できないニャ」
そう言うとフェリアは何も無い空間にふっと消えてしまった。
「……アスカ、行っちゃいけない」
当然白石浩二は反対の立場。
「きっとあの猫は、何か企んでるんだ。どうしても行くっていうんなら、俺も……」
「お父さんは魔法少女でも魔法使いでもない。一般人は足手まといになる!」
娘が魔法少女であることは知っているが、しかしどれほどの十字架を背負ってここにいるのか、彼は知らない。だが親というものはそれも含めて子供を受け止めるというものである。白石浩二の意志は固い。たとえ何もできなくともだ。
「ご主人様……」
後ろから恐る恐る白石浩二に声をかけたのはユリアだった。
「ユリアを……もう一人にしないでください」
白石浩二にとっては、既にもう一人の娘のような存在。たとえそうでなくとも、この可憐な少女に涙目で懇願されて断れるものがいようか。
アスカは誰にも聞こえないような、小さな声で「ありがとう」と呟いて、中学校を後にした。
力強く大地を踏みしめ、上を向き、神社の方角に向かう。尋常ならざる決意を胸に秘めて。道半ばで倒れた者、彼女が奪った命、その全てが無駄ではなかったということの証明のために。
「アスカちゃん!」
軽い息切れと共に二人分の足音。
声の主は青木チカに堀田コウジ。
「アスカちゃん、私なら、いざという時にアスカちゃんを助けられるわ」
「僕には僕の目的がある。一緒に行くのは別に構わないだろう?」
二人のいう事は正しい。
アスカがたった一人で行くことがどれだけ危険なのかも分かっている。
しかしその上でも、二人と自分とでは背負っているものが違いすぎる。それを自覚しているアスカは一瞬悲しげな表情を見せたが、しかし断る理由を見つけられなかった。
少なくともマリエの死を説明せずには。