危機一髪
「ちょっと待て」
緊迫の空気が流れる。
「待てって言ってんのよ」
二人は聞こえないふりをしてそのまま過ぎ去ろうとしたものの、再びメイに呼び止められた。もはや無視は出来ぬ流れ。
「あ……あ~、ワタシ、呼ンダ……?」
「別にカタコトでもいいから止まれ」
判断の中途半端さが仇となった。いっその事メイの分からない言葉でまくしたてればよかったのだが、中途半端にカタコトで喋ったことで当然メイは会話が通じるものとして判断する。
「お前もだ、止まれ」
ベルメスだけは通り抜けようとしたものの、当然それも許されぬ。
(ベルメス様……私を置き去りにしようと……?)
カルナ=カルアの不信感を募らせるだけの結果となったのである。
「ここのモンスターどもに問答無用で襲われたんだけどさ、あんたら責任者でしょ?」
鋭い。
「え……いや~……僕は責任者じゃないっていうか……」
そう答えながらカルナ=カルアはちらりとベルメスに視線をやる。
「ふぅん、じゃあ誰が責任者か知ってる?」
(こいつ……ッ! まさか妾を売る気か!?)
カルナ=カルアの視線により不安に駆られるベルメス。二人とメイの距離は2メートル弱といったところ。あるいは十二分に距離があれば二人は魔法攻撃により有利な戦いを展開することもできたかもしれない。しかしこの距離では絶対にメイの攻撃の方が早い。敵意を見せた瞬間彼女の拳が人中を打ち抜き、脳挫傷を引き起こすであろうことは想像に難くない。
「……ああ~、ちょっとぉ分かんないッスね」
長い沈黙の後、カルナ=カルアは思案の末に一応主を守る選択をした。その間ベルメスは生きた心地がしなかったであろう。ふぅ、と小さく息を吐いた。
「おかしいわねぇ」
再びメイが口を開く。
あからさまに怪しい二人の態度に思うところがあったのか。二十年以上悪の組織と戦ってきた歴戦の勇士である。十人並みの言い訳でごまかせる相手ではないのだ。ましてや登場から三話で壊滅に追い込まれる脆弱な組織など彼女の敵ではない。
「じゃああんた達あの水晶玉で何見てたの?」
「!?」
迂闊であった。
行動を移すなら後片付けをしてから。その基本がまたも守られていなかった。メイが指さした部屋の中には未だ水晶玉が通路の映像を映し出していたのだ。特徴的な大穴の空いたそれにメイが気付かぬはずがない。
「いや~……えと……」
嫌な汗が額から噴き出すカルナ=カルア。もはや彼が何かを隠していることは誰の目から見ても明らかである。その煮え切らない態度を見てベルメスも強い視線を送る。
(くっそ、このババア! 何睨んでやがんだ! お前もなんか考えろよ! 上司だろお前!!)
当然ながら上司とは「いざという時」責任を取る立場にある。その上司が無言で部下が上手く処理してることを待っているのだ。もはや信頼関係も何もない。
「いやぁ、アレ僕のじゃないんで、ちょっと分からないっていうか……持ち主なら何か分かるんじゃないッスかねぇ?」
そう言ってカルナ=カルアは視線をベルメスにやった。裏切り行為である。
(こいつ……こいつッ!!)
当然ベルメスはその態度に怒り心頭ではあるが、しかしそれを表に出すわけにはいかない。
(主人である妾を守るどころか売ろうとするなどッ!! 妾は主人じゃぞ! ふんぞり返って偉そうにするのが仕事じゃ!! その妾を守らぬというのか!?)
そもそもこの二人の抱える『上司像』に大きな隔たりがあったのがどうやら問題の根幹にあったようなのだが、この際そこは割愛させていただく。
「まあ見た感じあんたの方がなんか偉そうだもんね。服装とか。言いなさいよ。あの部屋で何してたの?」
追撃を打つメイ。どちらにしろ今ボールを持っているのはベルメス。彼女の手腕にゆだねられたのだ。魔王と呼ばれるものの実力を見せねばならぬ時。
四天王もなくし、配下のモンスターも多くが討ち取られてしまった。しかしまだ完全に敗北したわけではないのだ。そもそもまだ勝負が始まってもいないような気がしないでもないが。
いずれにしろ人間共との戦いに備えてこんなところで躓くわけにはいかない。元いた世界では人間から恐れられ、その魔力は一国の軍隊にも比肩すると謳われた闇の者共の王。
その誇りに賭けてもこの窮地は何としてもその力を見せつけて抜け出さなければならない。
「ふ……」
数瞬か数刻か。緊迫感から時間の感覚を失っていたが、ようやく魔王が口を開いた。
「ふええぇ……」
涙。
「ふええぇぇ~~~~~ん」
意外にも、魔王ベルメスが見せたのは涙であった。大きく口を開け、両手を軽く握って目に当て、大きな声で泣きわめきだしたのだ。
「怖いよぅ、おにぃちゃん。このおば……」
ギラリと、メイの眼差しが光る。
「……このおねえさんが、いじめるのぉ~」
事なきを得た。
一つの言葉選びのミスが、命取りになりかねない危険な状況である。言葉一つ足りないくらいで全部壊れてしまうような。
一見全く意味不明な幼児退行に見えた現象であったが、しかし付き合いの長いカルナ=カルアは即座にその意図を見抜いた。
「す、すいません。妹は人見知りが激しくって」
突然生えた兄弟設定。しかしこんなことが許されていいのだろうか。おにいちゃんに縋りついて大泣きしている妹は、どう見ても三十路過ぎの熟女なのだ。此は如何なることか。しかし此れも全て故あってのこと。
ベルメスとカルナ=カルアには勝算があったのだ。
すなわち、種族の違い。
収斂進化というものか、偶然にもメイ達地球人とベルメス達は外見が非常によく似ている。似ているが、本来全く別の種族なのだ。
それはつまり、地球人の感覚からすれば外見上三十路過ぎの豊満な美女に見えるベルメスではあるが、しかし実際には甘えんぼ系妹属性幼女ではないといったい誰が言えようか。いや、言えまい。(反語)
少なくともベルメス達の種族に詳しくないメイがそれを指摘できるはずもないのだ。
もちろん疑問には思うだろう。しかし初対面の、気やすくもない人間が外見上の特徴を指摘するなどというのは非常に失礼である。少なくとも学校の教師という、人に指導する立場であるメイがそんな無礼な仕草を働けるはずもない。その盲点を突いた天才的作戦であった。
「すいません。僕達も『あの水晶玉なにかな?』って見てただけなんで、何にも分からないんですよ」
「怖いよぅ、おにいちゃあん」
「大丈夫? ベルメス、ほら、一緒に行こうか。おっぱいが重そうだから持ったげようか?」
「調子乗んなよお前」
「あっ、ハイ」
二人は、通路の奥へと消えていった。