蜘蛛の糸
「それは私のおいなりさんだ」
薄暗がりの中で聞こえる、聞き覚えのある声。
顔に張り付いた生暖かい物を手で押し退けながらキリエは顔を上げる。唯一クモの巣にハマらなかったメイはこの状況……クモの糸と男の声から最悪の事態を想定して距離を取っている。
やがて眼が薄暗がりに慣れてぼんやりと部屋内部の景色が見えてきた。
ある程度、簡単にではあるが石を積み上げて作られた石壁に少し高めの天井。まさしくダンジョンの玄室といったイメージ。その部屋一面にクモの巣が張り巡らされているのだ。
そしてその蜘蛛の糸の上にいるのは……人間であった。いやそれだけではない、キリエ達も見覚えのある人間。DT騎士団のジャキ。
ブリーフ一丁で腹を上に向け、M字開脚でまさしくクモのように鎮座している。
そしてキリエが握っているものは、彼の股間であった。
「もう一度言おう。それは私のおいなりさんだ」
「きゃあああぁぁぁぁ!!」
思わず体をのけぞらせて悲鳴を上げるキリエ。普段いろいろとやらかしてはいる彼女だが、流石に不意打ちで男の股間に顔をうずめていたとなると反射的に恐慌状態となるようだ。
「この糸……どうも見覚えがあると思ったらあんたの仕業ね」
いやそうな表情をしながらメイが呟く。
そうだ。今までも何度か見ていた『糸』を操る能力。筋力の補助をしたり、サザンクロスのホールに張り巡らせたりしてメイ達の行動を妨害していた、DT騎士団の幹部、ジャキの能力だったのだ。
「フフフ……今頃は夜王様達がユキを探し出しているはず。俺は殿となって邪魔者の足止めをすることになっててね。見事にはまったな」
「ガリメラ!!」
「ギェェ……」
こちらはメイにとって本当に二十年連れ添った本当の相棒。声を掛ければ言葉は通じなくとも即座にその意図を理解し、ホバリングしながら大きく口を開ける。
メイは即座にその口の中に腕を突っ込んで日本刀のような武器を取り出した。
「フッ、無駄だ」
一言そう言ってジャキは仰向けブリッジの姿勢のまま大きく巣の上を大きく後ろへ跳躍した。
「ふんッ!!」
メイは全力で巣に向かって切りつけるが、しかし華麗に両断とはいかなかった。ジャキはこうなることを予測していたのだろう。粘弾性のある糸は全く切れることなく伸びてしまい、そして刀身に絡まり、絡め捕る。
「チッ、やっぱり無理か」
半ばこうなることを予測していたのか、メイはあっさりと剣を手放して武器を放棄した。
クモの糸は非常に優れた機械構造的性質を示すタンパク質構造物であり、その単位断面積当たりの張力は鋼鉄にも匹敵すると言われ、各種産業界でも最近着目されつつある。
欠点としてはやはりタンパク質であるため熱に非常に弱いのであるが……
「クソッ、俺タバコ吸わねえからライターもってねえしな……」
火元がない。もしもマリエがいればこんな糸は一瞬で焼き尽くしていたであろうが、しかし彼女ももはや帰らぬ人。
「しっかし、あの野郎、何処から糸を出してるのかは気にはなっていたんだが、まさか……」
スケロクが嫌そうな表情でジャキを睨みつける。ジャキの方はシャカシャカと奇妙なブリッジ姿勢のまま巣の上を歩いている。
その姿勢と服装からなんとなく糸がどこから出しているのかを察したのだ。汗やなみだとはわけが違う。これだけの部屋いっぱいに巣をはれるだけの分泌腺となればその出口も大掛かりなものになってくる。おのずと『出口』も限られてくるというもの。
おそらくは彼もスケロクと同じくアナリストなのだろう、と。
「この人あんたの指名ホストなのよね? あんたこんなのがシュミなわけ?」
「言うなッ」
ブリーフ一丁で股間を見せつけながら不敵な笑みを浮かべる変態男。たしかに今となっては見る影もないのだが、しかしこれでもたしかにナンバーワンホストだったのだ。
「まさかケツの穴から糸を出すような化け物だったなんて……」
「ケツの穴? それは違うぞ」
そう言いながらジャキは器用に腕の力だけで体を支えて両足を浮かせる。言わば逆プランシェとも言うべきか。ともかくその姿勢のままなんとパンツの裾から足の指を入れ、もぞもぞと股間を弄り出したのだ。
「な、なんかよく分からないけどモーレツに嫌な予感がするわ……」
そして股間をもぞもぞとしながらゆっくりとキリエに近づいてくる。その間もキリエとスケロクは何とかして巣から脱出しようとしているのだが、やはり余計に糸が付着するだけに終わっていた。
「たしかに犬や猫には肛門に分泌腺があるがな……人間は生殖器の方に多く分泌腺がある。俺は独自の分泌腺を持ち、フィブロインというタンパク質から性質の異なる『糸』を作り出し、体内に常時数種類ストックしておくことが出来るのだ」
ぬらりと。
ブリーフから引き抜かれた足の指先には糸が掴まれていた。
「ひぃッ!?」
標的はもちろんキリエであろう。
足の指で糸を引き出し、巻き付け、縛り上げていく。
「ふはははは!! 魔法少女といえども所詮はただのババア! 俺の敵じゃあない!!」
もはやキリエは人の形をした真っ白な木乃伊のようになってしまっている。もはやこの状態では呼吸が出来ているのかどうかも怪しい。
「まずは一匹ッ!!」
やはり逆プランシェ状態のまま腕と足の役割が入れ替わったようにジャキは両足でキリエだった、今は繭と化したその白い塊を抱き上げ巣の上に持ち上げて転がす。万事休す。もはやキリエが生きているのかどうかすら分からない。
その時であった。
ジュポッ
ジャキに両足で抱きかかえられているキリエから、何か水音がした。




