稲荷
「来たわね、スケロク」
「悪い、大分待たせたな、メイ、キリエ。今どういう状況だ?」
そろそろ東の空も明るくなってこようかという頃合い。
「あんたを待ってる間にちょっと厄介なことになっちゃったわよ」
まだ薄暗がりの浅間神社のある山……というよりは小高い丘と言った方がイメージを正しく伝えられるだろうか。民家もまばらな寂れた場所。悪魔の出現に戦々恐々とする晴丘市、いつにもまして異様な雰囲気を醸し出していた。
薄明りの中に白む空、もしくは黄金色に輝く朝焼け、そんな中で不気味な黒いシルエットを持つ小山がいつもの見えるこの辺りの雰囲気なのであるが、この日は違った。
紫色に淀む朝焼けは不気味さを掻き立て、その中に浮かぶ闇の塊はうねっているようにさえ感じる。
「異界化してるかもしれんな」
「異界化?」
スケロクが何気なく呟いた言葉にメイとキリエが聞き返す。
「此岸と彼岸の混ざり合う場所。要は、あの中のどこかで別の世界と繋がっちまってるんだろう。時の流れも次元の繋がりも曖昧な厄介な場所だ。一度入るとなかなか出るのには苦労するぜ」
「ヤニアの鏡の中の世界みたいな?」
メイが尋ねるとスケロクは顎をさすって少し考えこんだ。
「自然と混ざり合ったものと、人為的に作り上げたものは少し違うな。人が作ったものは意図せずとも常識が邪魔してあまり突拍子のないものにはならないもんだが、そうじゃないものは座標がねじ曲がったり、時の流れが遡ったりと、想像もつかないことが起きることがある」
メイもあまり遭遇したことのない現象なのだろう。「ふぅん」と小さい声をあげて神社の方を見た。
「それも問題なんだけどさあ……あんたを待ってる間になんかサザンクロスの連中が大勢入ってったのよね。そのダンジョンに」
キリエの言葉に驚いてスケロクは神社の方を見た。神社のある山の中腹あたりにぽっかりとあいた口。これはユキとユリアがアルテグラの旧アジトに案内された時の入り口である。
ユキとユリアが隠れ家として使っていたスペースの、その奥でユキは異界と、この世界を繋ぎ、そのまま旧アジトがダンジョン化してしまったのである。
スケロクは先ほどのサザンクロスでの(彼の起こした)混乱に乗じて脱出。メイと連絡を取って渦中の人物であるユキ救助のためにここへ来たのであるが、消耗した体力を回復させてから移動したため時間がかかってしまった。
その間にサザンクロス……DT騎士団も何処からかこの場所の情報を得て、スケロクよりも先回りしてしまったのだ。
とはいえ、ここがダンジョン化しているというのならば大きく話は変わってくる。単純に早い者勝ちとはならないのだ。
「どこにいるか場所がはっきりしてんならすぐに解決かと思ったが、ダンジョンとなると話は別だな……どのくらい複雑なダンジョンになっているかは分からんが」
要は、ダンジョンを攻略しなければならないという事だ。
しかも未知のダンジョンを、となれば数で上回るDT騎士団側が圧倒的有利となる。
「どうする?」
すました顔でそう聞くメイにキリエは少し気色ばんだ。
「どうするもこうするも、行くしかないでしょう! あんな童貞共に先にユキくんを奪われたら、えっちないたずらされるに決まってるわ! さっさと行くわよ!」
二人の手を引っ張ってキリエはずんずんと入り口目指して進んでいく。彼女からすれば当然の仕儀だ。
もちろん自分の身の安全は大事であるし、DT騎士団の狙い、何より晴丘市全体の安全も大事ではあるが、しかし彼女にとって一番の目的は自分の愛息子の保護である。
ここまでさんざん母親失格な行動を見せつけてきた彼女ではあるが、それはそれ、ここまでの事態になるとは思っていなかったから、というのが一番大きい。
メイとスケロクは普段の彼女を知らないので既に「社会不適合者」の烙印を心の中でキリエに押しているが、しかし実際には彼女も子供を二人も育てたれっきとした『母』なのだ。
「子を守る」事がやはり最優先であり、文字通り「万難を排して」それに臨む。
戸惑うことなく、ほとんど無防備とすら言っていいほどにキリエはダンジョンの入り口に入っていくのだ。
メイとスケロクは少し手を引っ張って抵抗するが無視。
もちろんのことながらメイもスケロクもダンジョン攻略の経験などほとんどない。いやそもそもそんなのある方がおかしいのだ。もしあなたが面接官で、就活生が「学生時代はダンジョンの攻略に打ち込み……」などと語り出したら経歴の詐称を疑った方がいいだろう。
ともかく、ダンジョンの攻略など想定していなかったので照明と言えばスマホのライトくらいしかなかったのだが、内部は電気が来ていないにもかかわらず、うすぼんやりと光っていた。どうやら内壁に生えている菌糸や苔の類が発光しているようである。
「おい、気を付けろ。DT騎士団の待ち伏せも有り得る」
入り口から少し進んで部屋のように広くなり始めたスペース。
スケロクの言葉に流石のキリエも歩みを遅くして警戒し始める。
よく考えてみればその通りだ。未知のダンジョン、まず警戒すべきは異界の住人よりも、先に潜入したはずのDT騎士団の連中である。
「くそっ、随分蜘蛛の巣が張ってるわね……」
「蜘蛛の巣!? キリエ、スケロク! それに触れないでっ!!」
メイが何かに気付いて声をあげたが少し遅かった。部屋いっぱいに張っている蜘蛛の巣を避けようと、キリエとスケロクは手でそれを払ってしまっていた。
そう、おかしいのだ。ダンジョンという雰囲気的に蜘蛛の巣を自然なもののように受け止めていた。いや、実際にはそれを判断する時間すらほとんどなかったのだが、しかし自分達よりも少し先にDT騎士団が入っていったというのに内部に蜘蛛の巣が張っているのはおかしいのだ。
端的に言えばそれは蜘蛛の巣ではなかった。そしてメイとスケロクはそれに見覚えがあったのだ。
「くっ……なに、この粘りと硬さは……!?」
「やっちまったぜ」
気づいた時にはもう遅い。ニカワの如き異様な粘りでまとわりつく蜘蛛の巣。それを外そうと反対の手を伸ばすとさらに糸は絡みつき、もがけばもがくほどに深みにはまっていく。
スケロクはすぐに気づいて手を出さなかったために拘束されたのは右手だけで済んだのだが、キリエは完全に体全体を絡め捕られてしまった。
薄暗がりの中、パニックになってキリエがさらにもがいて動き回ると、顔に生暖かい物が当たった。
「んぶっ……臭っ、何この……なに?」
段々と暗さに目が慣れてくる。
「それは私のおいなりさんだ」




