キモーイ
「む、無茶苦茶な……」
飛び道具の指導拳と、無敵対空技の行政拳。数で押さえようとすれば旋風脚。バランスファイターのスケロクの態勢は大盤石の重きにある。山田アキラ達はまったく攻め手に欠いていた。
アキラの表情に焦りの色が見える。首を振って辺りを確認する。この状況でどんな手を取ることができるのかを探しているのだ。
ここにいる人物……DT騎士団とNPO法人が保護している女子供。マスコミの目は無いはず。
「ならば……スケロクさえ始末してしまえばどうとでもなるか……」
NPO法人に保護されている人間はライフラインをDT騎士団が握っており、言いなり。口止めしてしまえばどうとでもなる。ジャキは敗北してしまったが、まだ切っていないカードがある。アキラはその男に視線を送った。
「うろたえるな!」
その轟音に全員がびくりと震えた。
ホラ穴に響くような野太く低い声。
一番後ろで事の次第を眺めていた2メートルを越える巨漢、夜王である。ついに、巨星、動く。
モーセの海割りの如く人の壁が左右に引き、道を作り、おもむろに夜王が歩を進める。
「へっ、とうとう出やがったな、童貞の親玉が」
この男が只者ではない事は分かっている。その巨躯から来る膂力だけではない。『技』も一流であることが白石浩二との対峙から分かっている。そしておそらくは網場やジャキと同じく何か特殊な魔法も使うのだろう。
しかし今のスケロクは一歩だろうと退く気配はない。そして負ける気もしないのだ。
「そもそもおめえみてえな童貞がホストの頭なんて務まるのか?」
スケロクも童貞であるが。しかしこの一言が大きな動きを呼び起こすこととなった。
「黙れ。サザンクロスの人間はホストであろうとも全員童貞。純潔を貫く聖童騎士団よ」
つまりこの場にいる男は山田アキラ以外全員童貞という事である。
現在一階のホールには百名近くの男どもがひしめき合っている状態であるが、全員童貞(アキラ除く)。恐るべき童貞密度の空間である。
「えー、マジ? 童貞?」
「キモーイ」
「童貞が許されるのは小学生までだよね」
「キャハハハハ」
言葉が発されたのはホールの端、本来ならこの戦いの部外者でもあるNPO法人庇護下の娘達。
正直言うとこれも普通の少女達ではない。様々な理由はあれど家出をして夜の街をうろついているような者達。金が無くなれば売春をし、おやじを引っ掻け、男のところに転がり込み、ホストに貢ぐ。
通常で言えばあまり「社会の被害者」と形容することに疑問符が付くような、その日暮らしを楽しむ人間。おおよそ人生設計というものを持たず、努力や勉強などの辛い部分から逃げ続けて楽な方、楽な方に流れる生き様。
要は童貞とは全く人種の違う人間だったのだ。
そして学のない人間ほど権威主義的になり、肩書で相手を見る傾向がある。
肩書とは何も学位や会社の役職だけを指すのではない。『童貞』や『ホスト』、『団体職員』なども立派な肩書なのである。
団体職員というお堅い肩書ながらも、女なれしたホストという事で、その権威に妄信的に服従してきた者達。そこには明確な上下関係があった。
しかし夜王の一言で、その『上下関係』が崩れてしまったのだ。
「っていうか童貞とかマジで無くない?」
「人生経験のない童貞に今まで偉そうにされたとかムカつくよね」
そしてそういった人間にとっては『人生』とは『セックス』であり、その経験がない者を露骨に見下す傾向がある。
なぜなら貧困層にとって社会的地位のある上級国民に勝てる唯一の要素がセックスであり、特に若年時においてはこの経験に於いては他人に、特に男に対しては負ける気がしないからだ。
人生の幸福度をどれだけの異性とセックスしたかで測り、街行く女を『ヤレる』か『ヤレないか』で判定し、男を『あり』か『なし』かで仲間と盛り上がる。そういった類いの人間である。
よりにもよってそんな人間の前で自分達の童貞を暴露してしまったのだ。
「っていうか童貞臭くてたまんないよね? この部屋キツくない?」
「言える言える。ここにいる全員童貞って事? オ〇ニー臭いよね」
「こんなゴミ共に指示とかされたくないし。もう行こ」
NPO法人に保護されていた者達が、全員サザンクロスから引き揚げ始めたのだ。
権威主義者は上下関係を重視する。その上下関係が(彼女達の中で)反転してしまったのだから、もはや何者もこれを止め得ず。
「ま、待て! 行くな!! 外は危険だぞ!!」
山田アキラが必死で止めるが集団は止まらない。勢いづいて、アキラを蹴飛ばし、ホスト共をかき分けてエントランスから出て行ってしまった。
愚かな弱者を上手くコントロールして支配下に置いているつもりの山田アキラであったが、しかしその被保護者は彼の予測を大きく上回って愚かだったがゆえに制御不能に陥り、アキラ達を見限る事となったのだ。
せっかくサザンクロスに戻ってきたというのに、『魔法少女の候補者』を全て失ってしまったのである。
「ば……バカな。こんなバカなことが……」
床に両膝をついて呆然とするアキラ。
しかしもう少女達は戻っては来ない。
ウィッチクリスタルを回収する理由も失った。
「よくも……よくもやってくれたなスケロク!!」
眉間に皺をよせ、怒りの形相を浮かべる。どす黒い恨みの炎が燃え上がり、悪魔としての特性か、その怒りが目視に手も見えるほどに彼の体の周囲で渦巻いている。
「ブッ殺してやる、スケロクッ!! 地下から銃を持ってこい! もう他人の目はない。全力で……」
立ち上がった山田アキラだが、その怒りの毒気を次の瞬間には完全に抜かれてしまった。
「あれ……スケロクは?」
おかしい。
先ほどまで夜王と対峙していたはずの場所にスケロクがいないのだ。いや、どうも建物内のどこにもいないように見て取れる。
「まさか」
アキラは呆然とした表情で再び両膝を床に落とした。
「多分……さっきのギャル達に紛れて外に逃げました」
完全にやられた。
スケロクの勢いは目を見張るものではあったが、しかし虚を突かれてのもの。そもそもあのまま戦い続けていればスタミナがもつはずがない。
何か小さなきっかけでもあれば容易にひっくり返すことができたはずのものなのだ。
そしてそれを一番よく理解しているのがスケロク自身であったがゆえに。
さんざん引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、キリのいいところで離脱したのだ。
「あんにゃろうううぅぅッ!!」