邪悪な気配
「そ……その、メイちゃん、元気だしなよ」
「何言ってるの、私は元気よ」
辺りはすっかり暗くなっていた。しかしその夕暮れの闇よりもさらに暗くなっていたのがメイの表情だ。
魔法少女にならないか、と誘われてここまで格差のある扱いを受けるとは思ってもみなかった。こんなことならば着いてくるべきじゃなかった、というのが彼女の正直な気持ちである。
「とはいえさあ、正直言って一人でそんな怪物とか悪魔? なんかと戦えって言われても私自信ないからやっぱりメイちゃんがいて良かったよ」
まだ魔法少女の服装から元に戻っていないキリエは希望に満ち溢れた目でそんな事を言う。一方メイの方も同じく魔法少女の服装のままではあるが死んだ魚の方がもう少し生き生きした目をしているだろうという塩梅だ。
研究所の扉をばたんと閉めて元の資材置き場に出てみれば、空には三日月。もう子供は帰る時間である。
「そういえば、その悪魔ってのが出てきたらフェリアには分かるの? なんか知らせてくれるアイテムがある、とか?」
「そんなアイテムはないけど、邪悪な気配がすればなんとなく分かるニャ。こう……関節がズキズキと痛む感じがして……」
「雨の日のおじいちゃんみたい」
仲良く話をしているフェリアとキリエを横目に、相変わらず肩に停まったままのガリメラをメイは見る。
何故こんなことになってしまったのか。これからどんな化け物と戦わなければならないのか。楽し気なキリエとは対照的に、メイの胸の内には暗雲が立ち込める。
「そんなにしょっちゅう悪魔って現れるものなの? そいつらを倒さなきゃいけないのよね?」
「ま、まあ、その時になれば分かるニャ。普段はそうそうしょっちゅう悪魔が現れるわけじゃないニャ。もし何かあればキリエを通して連絡するニャ」
メイが俯き加減のまま訊ねると、フェリアはなんとも居心地悪そうに答える。やはりここでもメイは蚊帳の外、である。
とはいえ彼女も肩に停まっているこの化け物にそんな邪悪な気配を感じ取って自分に教えてくれるなどという芸当ができるとは思わないが。むしろガリメラ自身が悪魔である、と言われても驚かないし、その方がしっくりくる気すらする。
何なら今ここでガリメラを悪魔として何とか始末して、全部なかったことにして再出発したい。フェリアはメイとキリエ二人のマスコットという事にして。
我儘なんて言うべきじゃなかった。
決定的に「甘えるのが下手」な人間というものは確かに存在する。
相手の空気を察することが出来ずに機嫌が悪いときに甘えてしまったり、そもそも気恥ずかしくて甘えることが出来なかったり、強くあろうとするあまり甘えるキャラになれなかったりなど。
さらには特に問題がなかったにもかかわらず、何故か甘えると碌な結果にならない不運な人間というのもいる。
この葛葉メイはそれら全ての複合型の人間であり、非常に甘え下手なのだ。たまに甘えても、大抵碌なことにならない。
そしてその「碌なことにならない」の集大成が今日のガリメラである。プラス要素を求めて要求した結果マイナス要素が添加されてしまったのだ。
複雑な思いで肩にとまったガリメラを見ていると、急にバランスを崩して肩から地面にこてんと落ちてしまった。
「ガリメラ……? どうしたの」
「ギ……ギギ……」
何か異様だ。奇妙な鳴き声を上げて苦しそうに呻き声をあげている。
「ギ……ギゥ……ギルティ」
「ギルティ?」
巨大な目は充血して血走っており、口の端からは泡を噴き出してぴくぴくと痙攣している。明らかに尋常ではない、異様な光景。
「ギルティ……ギルティイィィィィィィィ……」
「ギルティ? 何なのギルティって!? フェリア、これは?」
フェリアに尋ねるが、そのフェリアも瞳孔が開ききって警戒している様子である。尻尾が倍くらいの太さに膨らんでいる。
「わ、分からない……分からないけど、もしかしたら邪悪な気配を感じ取ってるのかもしれないニャ」
「ガリメラ以外に?」
キリエのちょっとした茶々入れにもメイは反応しない。それほどの異常事態だという事だけは分かるからだ。
「僕も……なんか節々が微妙に痛むニャ」
「おじいちゃんみたい」
「キリエちゃん……これは」
メイの言葉に顔を見合わせてキリエも頷く。明らかに悪魔の予兆。
「ギルティィィィ……」
ガリメラは何とか体勢を四つん這いにして、一点を睨みつける。障害物はあるが、おそらくはその方向に何かがいるのだ。
メイは迷うことなくガリメラを抱き上げてその方向を目指す。
「うわ……よくそんなの抱けるわね……」
キリエは自分の悪感情を隠しもしないが、それは元からそういった性格であるし、メイもそれを気にはしない。今はそれよりも優先することがあるからだ。
「とにかく……すぐに行くわよ」
そのメイの姿にフェリアは目を見張った。
先ほどまでのへこみに凹んでいたデカい小学生の姿はどこにもない。スイッチを切り替える様に戦闘モードに入ったのだ。明らかに嫌悪していたガリメラを抱き上げ、彼の指し示す方向に向かって迷いなく進んでいく。
「ちょ、ちょっと! 悪魔がいるっていう事? 行って大丈夫なの!?」
一方のキリエにはまだ迷いがあるようだった。
迷いは命取りになりかねない。
「命取り」とはまさしく本人達の命でもあるし、同時にもし悪魔が一般市民を襲っている最中ならば、「迷い」が助けられる筈の命を取りこぼしてしまうかもしれない、という事でもある。
しかしこれが普通なのだ。
それまで何の危険もなく平和に暮らしていた人間が突如として魔法少女になったからと言って、市民を守るために命を掛けて闘えるかと言えば、そんな者はほんの一握りだろう。
ましてや暴力とは縁遠い少女。いくら魔法の力が使えるようになったとはいえ、命の危険があるかもしれない戦いに急に身を投じることなどできないし、そんな危険な場所に近づく事すら迷うのが普通である。
だがメイは違った。