魔法少女
人の言葉を解する小さな黒猫、フェリア。
まだ仔猫と言って差し支えない大きさの野良猫。その後を追う二人の少女。
一人はいかにも少女らしいスカートとカーディガンを羽織った笑顔の眩しい女の子。もう一人は長身にデニムのパンツにTシャツと、まるで少年のような出で立ちであるが、長い黒髪の美しさと、少女から女性へと進化する過程の肢体は、羽化したばかりのアゲハ蝶を思わせる。
今から二十一年前。幼い頃のメイとキリエである。
どこかの建設企業の廃材置き場だった場所で出会った人の言葉を喋る黒猫、フェリア。その黒猫と運命的な出会いを果たした二人の少女の物語。
黒猫は時々立ち止まり、二人がついてくることを確認しながら資材の間をすり抜けていく。
「んもう、凄いところ通っていくのね」
入り組んだ場所に入っていくにつれて、少しずつ不満の色を募らせていくキリエ。
「ほ、本当にあの猫についていって大丈夫なのかな?」
不安そうな表情でキリエの後ろにさらについていくメイ。
不満と不安の色を顔に乗せてはいるものの、その心の内は好奇心と期待に満ち溢れている。今までと違う日常が始まる。自分が物語の主人公となるのだ。中二病などという言葉にはまだ少し早いが、幼さからくる万能感と、自分は特別な存在だと思い込む気持ち。
その両方に見事に訴えかけてくるフェリアの存在。
日は少し傾きかけてきたが、この非日常のプレミア感には逆らえない。
「こっちだニャ」
フェリアはそう言うと地面にできていた小さな隙間にスルッと入り込んでしまった。
「え?」
まだ子供とはいえ人間には到底入り込むことのできない小さな隙間。しかしよくよく見れば地面には側溝のふたのようなものがあって、指を引っ掻ける穴もついていた。
「開けてみてよ、メイちゃん」
この時のメイはまだ「なんで私がそんなことしなきゃなんないのよ。お前がやれよ」と発言するほどスレてはいなかった。
自分よりも社交的で、クラスの中心人物で、男子からの人気も高いこの少女に信仰にも近い憧れを抱いていたのだ。
「ふんッ」
小さな隙間には片手の指しかかけることが出来なかったが、メイが引き上げるとリビングのドアのようにふたは簡単に開いた。
その先には薄暗い階段が続いており、少し先にはフェリアのしっぽが見えた。
「よしッ、行くわよ!」
まだふたを支えているメイを置いてキリエは階段をどんどん進んでいく。
「待って、キリエちゃん!」
メイは蓋をその辺にひっくり返してすぐに追って行った。
「キリエちゃん、危ないよ! そんなに急いで行ったら」
メイは小走りにキリエを追う。薄暗くて足元もおぼつかない細い通路を、黒猫を追って走っていくキリエ。全く警戒心というものがなく、ただ黒猫を見失わないことだけを考えている。
一方メイはキリエを追いながらも周囲を良く観察していた。
どうやら電気はきているらしい、明らかに人工的に作られた空間。薄暗くて詳しくは分からないが、病院や学校のような、無機質で飾り気のない廊下の両側にドアがいくつも見え、フェリアは奥へ奥へと進んでいく。
「ここだニャ」
黒猫は立ち止まって振り返った。
「ホントにここなの?」
廊下の突き当り。
他のドアと同じように何の飾り気もないドア。学校……というよりは大学や研究室のような趣である。
「もうちょっとこう……ファンタジーな感じじゃないんだね」
苦笑いしながらキリエが言う。しかしメイはそれに反応することなく別の事を考えていた。
しゃべる猫や魔法少女というあまりにもファンタジーな存在に反して無機質な建物。それも明らかに素人がハンドメイドでこっそり作ったようなものではない。
つまりここの建造物の主はこの資材置き場に勝手に住み着いているわけでもなければ人の与り知らぬ化外の者というわけでもない。どっかの業者に頼んでこんな立派な研究室を作って、そして元々あった資材置き場のままであるかのように擬態しているのだ。
多くの期待と、そして若干の呆れ顔。そんな感情が入り混じった表情をしているキリエとは違い、メイは緊張の面持ちだった。
人の目を憚り、喋る猫を使役する。そんな不気味な存在がこのドアの向こうにいるからだ。
「まあいいか」
しかしキリエはそんな相棒の態度にも気づくことなく、何の気なしにドアを開けた。幼さゆえの考え無しの蛮勇である。
「やあこンにちは、お嬢さン。ようこそいらっしゃい……アレ?」
独特な鼻にかかるような女性の声。アニメで見たような妖精の国だとか、宇宙人みたいなものだとか、そんな予想していたものとはだいぶ違う。まあここまでの道程でそういった類の物ではないだろうとはなんとなくは分かってはいたが。
迎え出たのは妙齢の女性だった。服装は白衣にサンダル履き、研究者と言った感じのラフな服装。分厚い眼鏡をかけており、髪はボサボサ。乱雑にまとめて一本に縛っていて、いかにも「研究以外の事には一切興味がありません」と言った感じの風体だ。
「……なんか、思ってたのと違うね……」
キリエはようやくブレーキがかかったようで、一歩下がってメイに小声で話しかけた。
「き、聞こえてるよキリエちゃん」
静かな地下で面と向かった状態。当然ながら少し声のトーンを落としたくらいでは相手に丸聞こえである。
しかしメイと違って子供らしい愛らしい外見と社交的な性格から多少の無礼は「子供らしい」として許される。尤も、この女性はハナからそんな事を気にするタイプではなかったようであるが。
「ええと、フェリア? 話じゃ一人だったはずじゃ……?」
「まあ、色々あったニャ」
「色々って……部外者を入れていい理由にはならないでしょウに……」
ぼそぼそと喋ってはいるが、こちらの声が聞こえるという事は、当然ながら向こうの声も聞こえる。
メイは針のむしろに座らされたような気持になった。
この場に連れてこられるとき、たしかにフェリアは「用があるのはキリエだけ」だと言っていたのだ。自分は部外者。招かれざる客……そんなことは百も承知なのであるが、ここまで露骨に雑な扱いを受けるとは思っていなかった。
今からでももう帰った方がいいだろうか……そんな事を考えていると白衣の女性が話しかけてきた。
「ま、いいでしょウ。とりあえず奥に来てください」
そう言って身を翻す。
「玄関で立ち話もなんですし」とでも言わんばかりの自然体。メイとキリエの二人はともに警戒する。
「魔法少女になりたいンでしょう?」