非処女
「メイ先生」
喧噪の夜の校庭。緊急事態の発生による市民の避難、現れた二人の魔法熟女、そして次々に運び込まれる怪我人。そんな中、青木チカの小さな声がメイを呼んだ。
「メイ先生、見つけまし……うわっ!?」
彼女の名前を呼びながら振り向いて、チカは思わず悲鳴を上げた。
「どうしたんですかメイ先生、顔が真っ青……それにすごい汗」
チカは有村ユキを探すために集中していたので先ほどの騒ぎに気付かなかったので何があったのかは察していないのだが、メイは虚ろな目にゾンビのような青白い顔をしていた。
「な、何があったんですか……」
「……ぃ……ヵ……」
声が小さすぎて何を言っているのか分からない。彼女の中で何がどう動いたのかは分からないがそのうちぽろぽろと涙を流し始めた。明らかに尋常ではない。この数分で十年以上も年を取ってしまったように見える。
「そんなことどうでもいいから話を進めましょ。ユキくんが見つかったの?」
「え? キリエさん。でも……メイ先生いったいどうしちゃったんですか?」
「身から出た錆ってやつよ。誰にでも股開くからこんなことになんのよ」
「あんたみたいなヤリマンと一緒にしないでよッ!!」
今度は大きすぎる声。やはり怒りは人を元気にする。メイは少し回復したようだ。
男女問わず、基本的に現在の恋人の前で『前の女』や『前の男』をにおわすような発言は極力すべきではない。百害あって一利なしである。ましてや相手が高齢童貞ならばなおさらだ。
それをよりにもよって『前の男』がコウジの目の前でメイとの性交渉を匂わせるような発言をしてしまったのだ。今まであまりアキラとコウジが直接接触することが無かったので完全に抜け落ちていたのだが、これは完全にメイの手落ちであった。やはり何か適当な理由をつけて始末しておくべきであったのだ。
「今はそんな事よりもユキの居場所だニャ」
話が進まないので黒猫のフェリアが介入してきた。
「あ……フェリアさん」
事態を把握しかねて狼狽えていたチカの表情はやわらぎ、笑顔になってフェリアを抱き上げた。フェリアの方も抵抗することなくチカに頬を擦り付けて喉を鳴らす。猫には気を落ち着ける効果がある。
「ユキ君の居場所がわかりました。多分ですけど……ユリアさんと最初に会った、浅間神社の方角です。あの方角から新しく悪魔の気配が発生してるのが確認できました」
「浅間神社……」
キリエが神社の方角に視線を向ける。
メイは大きくため息、いや、深呼吸をしてから鼻梁をつまみ、しばらくしてからやはりキリエと同じように神社の方角に視線をやった。
「行くんですか……あの、私はどうしたら?」
「青木さんはここにいて。回復の魔法もなるべくなら使わないで」
先ほどまでどん底の精神状態を示していたメイの顔色であるが、さすがは魔法少女歴二十年のベテラン。一瞬でスイッチを切り替える様にモードが変わった。
それはさておき青木チカは回復の魔法を使うことができる。この混乱の状況の中、この先多くの死傷者が出るだろうし、彼女の魔法があれば助けられる命もあるかもしれない。しかしそれには大きな危険が伴うのだ。魔法を使った代償が。
「スケロクに聞いた話じゃ魔法を使う代償に脳に損傷を受ける可能性があるらしいわ。どのくらいでそのリスクが現れ始めるのか分からないけど、極力使わないに越したことはないわ」
「そんな……ッ」
「ま、待って下さい。アスカは、アスカはそのことを知ってるんですか!?」
焦燥感を募らせて会話に割り込んできたのはアスカの父親、白石浩二だった。避難勧告が出た時にはアスカと一緒にはいなかったが、メッセージのやり取りをして「聖一色中学校に向かっている」とは聞いたが、しかし実際に学校に来てみればいまだにアスカは学校に来ていないというのが現状。
白石浩二はアスカが家を出て行ったことに強い責任を感じていた。信頼のできる人物(産卵男)の元にいるようだし、彼女の気が済むまではそっとしておこうと考えていたのだが、まさかこんな非常事態が起こるとは思っていなかった。
「もしや、アスカは悪魔に襲われているんじゃ……仮に無事でも、魔法少女にそんなリスクがあるなんて……」
「お、落ち着いて白石さん。そんなすぐに廃人になったりはしないって。メイなんて二十年も魔法少女やってるけど平気なんだし」
物理で殴ってるだけだからな。
キリエがなだめるが、やはり白石浩二の不安はぬぐえないようである。
「どちらにしろ、この状況じゃ白石さんは学校から出ない方がいいわ。二次災害になって足を引っ張るのがオチよ」
メイの言葉も尤もではあるが、しかしそんな言葉で父の不安は拭えない。
「絶対にここから出ないで。アスカさんは私が責任もって連れ戻します」
「む……」
心情的にはすぐにでも町に駆け出し、娘を探し出したい。しかし子供じゃないのだから分かる。彼の娘を探す方法も持ち合わせていないし、娘が危機に陥っていても助ける能力も自分にはないと。娘を助けるために今自分ができる一番の事は、メイとキリエの邪魔をせず、出来るだけ早くこの二人にこの乱痴気騒ぎを治めてもらう事なのだと。
「アスカを……アスカをどうかお願いします」
「任せて。必ず無事に連れ戻すわ」
メイは力強く答えて歩き出す。ユキがいるはずの、神社の方角に向かって。
「じゃあ、ボクもそろそろ行くニャ」
「フェリアさん……」
チカの腕の中でのどを鳴らしていたフェリアがそう言うと、チカはゆっくりと彼の体を地面におろした。
「無理しないで下さいね。フェリアさんももう年なんですから」
「チカちゃんは優しいニャ」
チカが名残惜しそうにフェリアの頭を撫でると、フェリアは気持ちよさそうに目を細める。
「でも、ボクが行かないといけないニャ。この物語の、決着をつけないといけないニャ」
少し寂しそうな眼をして、フェリアもゆっくりと歩き、メイとキリエの背を追っていった。