名乗り
「本当に行くの? メイ……」
「今更怖気づいたの? キリエ」
夜の闇の中、二人の女の前に立ちはだかる様にそびえ立つ巨大な建物。
聖一色中学校。
この事態にサザンクロス……DT騎士団がどう動いているかも気にはなるが、しかしまずはこの異常事態の直接の原因であり、キリエの息子でもあるユキを探し出すことが肝要である。
そのため、魔力を検知して探し出すことのできる能力を持つ青木チカの居場所を求めて二人は一次避難先となっている地域の共同スペース、聖一色中学校に来ているのである。
当然人はたくさんいる。
「ま、待って! 引っ張らないで!!」
そんな中、三十路過ぎの魔法熟女が二匹、突如として現れたのだ。
「黙りなさい。あんた息子の危機だって分かってる? こんなとこで時間無駄にできないのよ」
学校の敷地内はまるで祭りでもあるのかというほどに大勢の人間がいる。大部分はもちろん体育館などの屋内に入って大人しくしているのだが、やはり外の様子が気になる人間や、警備のための人員が多く配置されている。空にはヘリコプターも飛んでいる。報道の物か、全く別のものか。
そして、二人の服装はもちろん、魔法少女である。
「すいません、ここの教員の葛葉メイですけど」
「イヤアァァァァ……」
顔を真っ赤にして拒絶の意を示すキリエであるが、メイはそんな事を一切気にせず校門付近にいた警察官に話しかける。
警官は一瞬ギョッとした表情になったが「ああ、例の」と言ってすぐに対応してくれた。どうやらボランティアの人員が避難者の管理をしているようであり、体育館に行けば名簿を調べられるとの事である。
「ほら、ボサっとしてないで行くわよ」
「うぅ……」
まだ諦めがつかないのか、キリエはメイの陰に隠れる様に後をついていくのだが、当然ながらいくらメイが大柄といえども、隠れることなどできようはずもない。
「うわ、何かと思ったらメイ先生か……」
「横にいる人も変な格好してるけど?」
「魔法少女って一人じゃなかったのか?」
「あれって有村君のお母さんじゃ……?」
堂々と歩くメイと、それに隠れる様についていくキリエ。人の波を割って進む二人にひそひそと囁き合う言葉が聞こえる。
メイはすでに全国放送のテレビで取り上げられたこともあり、有名人であったが、もちろんのことながら十年以上も昔に引退したキリエの事を知る者はいない。そもそも普通は何年前だろうが社会の表舞台には出ることのない人種である。
そんな三十路女が魔法少女のコスプレをして衆目に晒されているのだ。
ましてや有村ユキが元々社交的な性格であったこともあり、その母親の姿を知るものも多い。
「終わった……」
絶望の表情を浮かべる有村キリエ。
もうあの頃には戻れない。
たとえ無事に日常に戻ることが出来たとしてもこれからは事あるごとに言われるだろう。「有村君のお母さん、アレらしいよ」「あそこの奥さん、アレなんですって」
「あら、青木さんも避難してたのね」
それはさておき。
「はい……でも」
メイに対面して経つ眼鏡の気弱そうな少女、青木チカ。現役の魔法少女である。
「アスカちゃんとマリエさんが、まだ避難してないみたいなんです。アスカちゃんのお父さんはいましたけど」
すぐ後ろには焦燥感を感じさせる表情の白石浩二が立っていた。
「その格好はいったい……?」
第一声はキリエの服装へのツッコミだった。メイの服装については既に目撃されている。
「闇夜に輝く黒き宝石、愛の戦士プリティメイ!!」
「えっ?」
メイが突如として大きく右足を引いてポーズをとった。キリエは全く反応できずに狼狽えている。
「えっ、えっ!? 名乗り? 今? 今やるの?」
「チッ」
メイは舌打ちをして頭をぼりぼりと掻いた。
「あのね、キリエ」
メイは呆れたような表情で少し俯いて首を左右に振った。
「やっぱ……ダメだわ。ブランク? っていうの?」
困惑。
キリエだけではない。チカと白石浩二も同様である。このアラサー女はいきなり何をするのか、何を言い出そうというのか。
「全然ついてこれてないじゃない」
名乗りに。
「え? おかしいよね? メイ」
おそらくはこの先の悪魔との戦いで、いずれは明らかになるであろうと思われていた事。体力の低下と、十数年に及ぶブランク。
しかしそれは思わぬ形で露呈するという事になった。
およそ十四年にも及ぶブランク。それは魔法少女にとって最も重要な事柄である「名乗り」すら、キリエに忘れさせているとは。
「いやおかしいでしょうが」
キリエがメイの頭をはたいた。
「いやたしかにさあ、昔は私もそんなことしてたわよ? 魔法少女になったばっかりの子供の頃はさあ。でもね? いい歳こいて……三十路過ぎてよ? 百歩譲って魔法少女の恰好するのは仕方ないわ。変身するとこうなっちゃうんだから。でも名乗りはいらないでしょ!」
一息でキリエは喋り切る。急に大声で怒鳴ったこともあり、周囲の空気は静まり、ただキリエの荒い吐息だけが響いている。
メイは顎に手を当て、それから少し天を仰いで考えてからチカの方を見て、そしてゆっくりとキリエの方に顔を向けた。
「いやいるでしょ」
「いらないわよ!」
「そ、そう言えば……」
チカが恐る恐る口を開く。
「そう言えば、初めてその格好であった時、メイ先生名乗りを上げていました(第3話参照)」
キリエが目を見開いてメイの顔を覗き込む。「マジかこの女」という表情である。
「マジかこの女」
思わず口に出しても言う。
確かにそんな事をしてはいたが、まさかこの年になってもメイがそれをやっているとは、思いもよらなかった。
メイからしてみれば「魔法少女ならみんなやる事だろう」「魔法少女の常識だろう」と思っていた事だったのだが。
「私は……アスカちゃん達もそんなのやった事ないですけど」
「えっ!?」
今度はメイが狼狽える。たしかに彼女も余裕がないときはやらない。先制攻撃を優先するのだが、余裕がある時は基本的にやっていた。それが当然であり、礼儀だと思っていたから。ニンジャのアイサツみたいなものだと思っていた。それを「しない」「したことがない」というのだ。とんだカルチャーギャップである。
「フッ、仕方ないわね……これだから最近の若い子は」
しかしさすがは鋼のメンタルを持つ女。すぐに持ち直し、そして……
「見せてあげましょう、キリエ」
「えっ?」
キリエのに肩ポン、と手を置いた。
「闇夜に輝く黒き宝石、愛の戦士プリティメイ!!」
「いやだからやらないって!!」