俺の屍を越えてゆけ
「堀田先生……」
なんとしてもユリアを助けに行きたいスケロク。この非常時にメイやキリエにだけ戦わせて、自分はベッドの上で休んでいるなど、彼にとってはそれこそ耐えられない苦痛なのだ。
「ダメです」
しかしそれを許さぬ医師、堀田コウジ。
「なんでここに」
「町の様子が異様でしたからね……避難勧告まで出てたし。まず間違いなく魔法少女関連の何かが起きたんだろうと思って、スケロクさんなら何か情報を握ってるんじゃないかと思って来たんですが……」
窓の外を見ながらコウジは答える。外ではやはり相変わらずパトカーなどのサイレンの音が鳴り響いている。普段の静かな晴丘市の夜とは様変わりしているのだ。
「そんな体で戦いに行くなんて、絶対に認められません」
「わ……私も」
おずおずと如月杏が口を開く。
「私も、センパイは体を直すのに専念すべきと思うッス。サザンクロスの方のカタは私がつけるッスから」
「お前には無理だ。行政手続きを待ってたんじゃ奴らの動きには対応できないし、何より今回のこの騒動にはDT騎士団は関与してない可能性もある。戦えるのはメイ達と俺だけだ」
「約束を忘れたんですか!!」
コウジが大きな声を出したのでスケロクと如月はビクリと体を震わせた。普段は物静かなこの男が激怒しているのだ。
「僕が有村ユキ君の情報を提供したのは『スケロクさんは体を直すのに専念する』っていう交換条件からだったはずですよ!!」
そう。確かにそう約束しているのだ。一瞬顔を伏せるスケロクだがしかしすぐにコウジの方に睨み返す。
「あの時と今じゃ状況が違う! ここまでの非常事態は想定していなかった!」
「スケロクさんの体の状況は変わっていません!」
「俺の事はどうでもいい! この状況、戦える人間は限られてる。アスカちゃん達が決して戦わず、魔法も使わないとあんた断言できるのか!?」
コウジもスケロクから聞いて魔法少女の『魔力の代償』については聞いている。
多少であれば問題ないが、魔法の使い過ぎは代償として記憶を失い、前頭葉が委縮し、そして人間性の欠如、最終的には悪魔と同じになってしまうという大きな代償。
メイは戦闘にほとんど魔力を使っていないし、すでに引退したキリエは現役時代、戦闘をほとんどメイに任せていたので露呈しなかった問題。
アスカは知っているが、マリエはそのことを今も知りもせずに活動している可能性すらある。そのアスカと言えどものっぴきならない状態となれば自分や他人を助けるために魔法を使うことに躊躇はないだろう。
ならば、スケロクが現場に出ることで、その危険性を少しでも軽減することができる。彼はそう考えているのだ。
「俺は……戦うぞッ!!」
スケロクは歯を食いしばってベッドから降りて立ち上がる。しかし急に立ったからなのか、めまいを起こして大きく体がぐらりと揺れた。慌てて如月が彼の体を支えた。
「ほら、立っているのがやっとじゃないですか!!」
如月に体を支えられてやっと立っている状態のスケロクにコウジが言い放つ。しかしスケロクは退かない。
「こんなの! 動いてるうちにじきに体が慣れて乳首をいじるのをやめろッ!!」
スケロクは如月の腕を振り払った。
「誰が止めようと……俺は行くぞ」
スケロクはよろよろと歩き、ベッドのわきに置いてあった自分の服を着始める。
「スケロクさん……あなた、自分のアナルを何だと思ってるんですか」
「アナルはアナルだ」
「センパイ、銃もメイさんにあげちゃったし、戦うなんてできないんじゃないスか!?」
如月がスケロクの前に立ちはだかる。しかしスケロクは先ほどの弱々しい足取りから立ち直り、どっしりと正中線を真っ直ぐに立てて、彼女を睨みつける。鬼神のごときその気迫に、如月は気圧される。
「銃がないからなんだ? 俺は公安のスケロクだ。どけ」
気圧されて、如月は思わず道を譲ってしまったが、しかしまだその先にはコウジが立ちはだかっていた。
「どうしても、行くというんですか」
「どうしてもだ」
「そうですか……」
二人の視線が交錯し、火花を散らす。互いに一歩も譲らぬ覚悟だ。二匹の雄が対峙し、互いに退かぬというのならば、解決方法は一つしか存在しない。
堀田コウジは、ゆっくりと羽織っていた白衣を脱ぎ捨てながら口を開く。
「どうしても行くというんなら、僕を倒してから行ってください」
「それが医者のセリフか!!」
言うが早いかスケロクの前蹴りがコウジの顔面に襲い掛かったが、コウジは柔らかい動きでそれを体の外側に払い、しかし反撃には移らずに距離を取った。
スケロクの表情に困惑の色が浮かぶ。
以前にDT騎士団のジャキに襲われた時には格闘技の素養はないように感じられた。ヤニアに鏡の中に閉じ込められた時も全く戦えなかったとメイに聞いている。しかし今の動きは明らかに違った。
「僕が……何の準備もせずに無為に日々を過ごしていたと思っているんですか」
言いながら、コウジは右半身を下げ、半身に構える。
呼吸に乱れはない。一般的なオーソドックススタイルの構えではあるが、しかし堂に入っている。何よりも落ち着いているのだ。
おそらくは何か格闘技を修練しているのだろう。とはいえ、二十年間戦い続けたメイや、警察の人間であるスケロクとは積み重ねた日々が違う。言ってみれば所詮は付け焼刃に過ぎない。
過ぎないのだが、妙な迫力を感じさせる立ち姿であった。半眼に開いたその瞳はスケロクを睨みつけるでもなく、怯えるでもなく、波一つない湖面の如し。見ているようで見ているに非ず。どこか一点に気を取られることなく、周辺視野に十分気を払ってどんな状況にも対応できるように視ているのだ。
おそらくはその『覚悟』。それがもはや彼を『一般人』の範疇に留まらせず、一段階上に引き上げたのだろう。そしてもう一つはジャキ、夜王戦での勝利。
たった一つの勝利が仔犬を狼に化けさせる。戦場では往々にしてそういったことが起きるのだ。
「治し方を知っているという事は、壊し方も知っているという事です」
肛門科医が吐くその言葉には、得も言われぬ迫力があった。スケロクの肛門がぞくりと疼く。
だが、たとえそれでも。
「俺だって退くわけにはいかねえんだ」
アスカを、マリエを、チカを。そしてかつて愛し合った愛しい女を。ユリアを守るためならば、己の命など捨てたってかまわない。
この男にも、また覚悟はあるのだ。




