世界の終わり
「状況は絶望的だニャ」
黒猫のフェリアの言葉にユキはつばをごくりと飲み込む。そんなことは分かってはいるのだ。その上でこのフェリアの、二十年前に母と共に戦った戦友である魔法生物の知恵と力を借りたいというのだ。
「もはや尋常の方法ではこの社会はユリアを助けることは出来ないニャ」
その大部分は日本政府に公式に「人ではない」と決定されたところが大きい。なにしろ法制上は『器物』と同じ扱いになってしまうのだから。
「ユキの言う通り、こんなの、社会の方が間違ってるニャ」
そう言いながら、フェリアは不気味に目を輝かせながらユキに近づいてくる。
「だったら、ユキが社会を『わからせてやる』しかないニャ」
「ど……どうやって」
緊張でユキの喉の奥が渇く。フェリアはユキの隣にあった机に飛び乗って、より近い距離で彼の瞳の奥を覗き込むように顔を寄せる。
「向こうが『ユリアは法の埒外にある』というんなら、こちらも『法の埒外』で勝負してやるニャ。
ユキ、キミには平行世界とこの世界を『繋ぐ』力があるニャ。その力を目覚めさせて、世界に大混乱を引き起こすニャ」
恐怖のあまりユキは二歩、三歩と後ずさりし、近くに置いてあった椅子に力なく腰掛けた。
「そんなことをしたら……異世界の化け物たちが、時々湧いてくる悪魔みたいな奴ら、あんなのがここで暴れだすんじゃないの?」
「そうだニャ。思いっ切り暴れさせてやるニャ」
『暴れる』などという表現で済むはずがない。おそらくはメイ達が戦ってきたような悪魔のように、人を殺し、喰らうような化け物だろう。
「そ、そんなことしたら……ユリアの立場が余計に悪くなるんじゃ?」
当然の心配である。由来が違うと言えども同じ人為らざる化外の民。世間は同じように見て、ユリアを排斥するのではないか。ユキはそう考える。
「この世界を完全に破壊できればそれでよし、仮に出来なくても人類は対応に苦慮するはずニャ」
それは武力だけの話ではない。
異世界の生物全てが悪魔のように攻撃的なわけではない。ユリアのように柔和な者もいれば、そうでなくとも言葉の通じる者もいる。
おそらくは今の人権意識の進んだこの社会では、そういった者達と対峙した時「異世界の生物ならば問答無用で攻撃する」などといった選択は取れないだろう。
ならば、当面の混乱が一段落した後、何が起こるのか。フェリアが言いたいのはまさにそこなのである。
「ユリアはただ一点の特異点だからこそ、既存の法制で対応しようとしてるニャ。しかしこれが普遍的なものとなれば、その対応に法整備をしないわけにはいかないニャ。これがどういう事か分かるかニャ?」
フェリアに問いかけられてもユキの頭は全く回らない。自分が難しい判断を求められているという事が分かる。そしてそれによって多くの人が被害を受け、そしておそらく死ぬだろうという事も分かる。分かるからこそだ。
「覚悟を決めるニャ」
フェリアが迫るが、つい最近までランドセルを背負っていたような子供に下せる決断ではない。
「ゴミみたいにつまらないこの世界を守るのか、それともユリアのために新しい世界を作るのか、二つに一つニャ」
「ユキさん……」
ユリアの震えた声。
止めなければいけないのは分かっている。
こんなことは恐らくスケロクも望まないだろう。
その上でなお。
それでもユリアもまたユキに「そんな馬鹿なことはやめろ」という事ができなかった。人にやさしく、穏和で他人が傷つくことを好まない彼女ではあるが、しかしやはり「死にたくない」という気持ちは同じなのだ。
せっかく人として生まれたのだから。サザンクロスを脱出してあと一歩というところまで来たのだから。
せめて愛する人に一目会いたい。
できれば共に生き、穏やかな日々を過ごしたい。
そう思う気持ちはむしろ人一倍強いと言っていいだろう。
その気持ちがユリアに言葉を飲み込ませた。
「キミは無意識のうちに心がブレーキをかけてるニャ。だから魔法少女になったというのに魔法が使えない。自分だけが大事で、他人の事なんかどうでもいい。このくだらないぬるま湯みたいな毎日に、首までどっぷり浸かって自堕落に生きてる。本質的にはあのダメ女の母親と同じニャ」
「ち、違う……」
「心の奥底ではユリアの事なんかどうでもいいと思ってるニャ。自分の身だけが大切。くだらない、変化のない世界で、他の人と同じような歯車になりたいと思ってるニャ」
「違うッ!!」
「なにが違うニャ? 今もそうやってブレーキを踏み込んで自分に言い訳してるニャ。『精いっぱいやりました。けどできませんでした』って。大丈夫、ユリアはきっと優しいから許してくれるニャ。たとえ死ぬことになってもユキを恨んだりはしないし、ユキは精いっぱいやったから何も悪くないニャ。よかったニャ」
「違うッ!! ボクは、ユリアを守る!!」
怒気を孕んだユキの叫び声。無意識か、何も教えてないのにユキは椅子に座ったまま右手を前に出しだした。
「それでいいニャ。そのまま世界の綻びに、手を突っ込んで薄膜を剥がすように次元の壁を超えることを意識するニャ」
フェリアの言った通りに頭の中にイメージすると、ユキの指先に何かが引っかかった。
何もない空間にすき間が、確かに出来ていたのだ。
その隙間に指をねじ込むように力を込める。
「ゆ、ユキさん! 危険です! やめてください!! ユリアの事なんか守らなくてもいいです。取り返しのつかない事に……」
ようやく声を絞り出したユリア。しかしおそらくそれは遅かったのだろう。ユキが作り出した次元の綻びはもはや人の頭ほどの大きさにもなっている。
全力で腕を引っ張りながら、ユキの額には脂汗が浮かんでいた。
「ボクがッ! 世界を変えてやる!!」