ままごと
「ふう、酷い雨だ」
そう言ってユキはレインウェアのフードを外して肩についた雨滴を払った。
異常がないか慎重に確認し、ポケットからカギを取り出して、周囲の簡素な作りの土壁とは不釣り合いに重厚なドアを開ける。
「ユキさん! おかえりなさい!!」
まるで主人の帰りを待つ犬のように、明るい表情でユリアが彼を迎える。
「ユリア!」
ユキは安堵の表情を見せる。いや、おそらくその紅潮した表情は親愛の情と恋慕の想いを表しているのだろう。おそらく彼女には届かない恋心を。
ユキは濡れそぼったレインウェアを脱ぎ捨てて駆け寄り、ユリアを抱きしめた。
中学生男子の平均身長よりは遥かに小さいユキではあるが、ユリアの身長はそれよりもさらに小さく、ユキの両腕に包み込まれる。
ユリアはユキの過剰な愛情表現に戸惑い、苦笑いしつつも彼の抱擁を受け入れた。
実を言うとユリアもサザンクロスでの彼の母親とのあまりにもおざなりな面会を何度か目撃しており、一般的な親子の関係というものを知らないながらもユキの事をかわいそうに思っていたのだ。
強制的に白石浩二やスケロクと引き離されてしまったユリアと、母親の方から出て行って後日ユリアを助けるために自分も家出することになったユキでは随分と事情が違うが、それでも家族と離れ離れになって寂しい思いをしているものとしての立場は同じ。何か共感するところがあったのだろう。
ユキを優しく受け止め、自分のものよりも少し高い位置にある彼の頭を優しく撫でた。
「ここは冷えますから、奥に行きましょう」
「……うん」
頭をユリアに預けていたユキは寝ぼけたような声で頷くと、脱ぎ捨てたレインウェアを拾ってユリアに大人しくついていった。
「結構濡れてますね。ほら、頭こっちに向けてください」
自分よりも少し背の高いユキの頭。普通サイズの人間からすれば可愛らしい大きさの、柔らかい髪質のふわふわの頭にぼふんと柔らかいタオルを当ててゴシゴシと水気をふき取る。
タオルをどかしてユキと目が合うとユリアはプッと噴き出し、それにつられてユキも笑った。
「ふふ、ユキさん、頭ぼさぼさです」
「ユリアが拭いたからじゃん」
ひとしきり笑った後、ユキは不必要に広い部屋の奥に行って簡素なテーブルの上にコンビニの袋を置く。
「買い出し、ありがとうございます」
ユリアがそう声をかけると、少しだけ二人の空気が重くなった。地下室の中には二人だけ。アルテグラのハカセもいない。
二人だけのアバンチュールを楽しんでいるわけではない。DT騎士団の追手から身を隠すためにハカセと黒猫のフェリアに紹介してもらった身を隠す場所に潜んでいるのだ。ヘタに表に身を出してしまえば、たちまち彼らに掴まってサザンクロスに引き戻されてしまうだろう。
「外は、DT騎士団の連中が大勢いたよ。でも、それだけじゃない」
そう言ってユキはスマホの画面をユリアに見せた。それはついこの間コウジがスケロクに見せたSNSの画面と同じものであった。自称「ユキの友人」が彼を探しているという投稿。
「ボクが顔も知らない人間が『親友』だなんて騙ってボクの情報を求めてる。この意味が分かるね?」
「ハイ。ユキさんのケツの穴をねらってるってことですね?」
「そのとおり。偽アカウント作ってまでアキラ達は必死でボクらを探してるってことだ」
折に触れて下ネタを言ってくるので、ユキはもうその部分は無視することにしている。
「大丈夫。ユリアはボクが守るから」
そう言ってユキは再び彼女を抱きしめた。今度はユリアがその頭をユキに預ける。おままごとのような疑似恋愛。ユリアのスケロクへの思いが強いのは知っている。彼女が決して自分のものにならないことも。
それでも今だけは。
いつまで続くか分からない、この逃亡生活の間だけは、二人の世界を楽しみたい。
本当は、警察に助けを求めるべきなのだとは、思っている。
担任教師のメイに連絡して、公安のスケロクと連絡を取ってもらう。その伝手で警察に保護を願い出る。おそらくはそれが一番正解に近いルートなのだ。世の中の仕組みがよく分かっていないユリアには分からないだろうが、まだ中一とはいえ、ユキにはそのくらいは分かる。
だがそれでも彼は、ユリアを手放したくなかった。彼女をだまして卑怯な真似をしてまでの疑似恋愛ごっこだと分かっていても今この時だけは、この甘美なまどろみから目覚めたくなかったのだ。
「いつまでサカってる気ニャ」
二人は小さな悲鳴を上げて慌てて体を離した。
「フェリア……急に現れないでって言ってるでしょ、心臓に悪い」
黒猫のフェリア。二人以外でこの隠れ家を知っている数少ない人物(猫)。
「一応変装して買い出し行ってるみたいだけど、あれだけの『目』があれば見つかるのは時間の問題だニャ」
「フェリア」
ユキは声をかけるが、しかし言葉に詰まる。この黒猫はどうも怪しいところがある。いったい誰の味方なのか、何の目的があるのか。少なくともキリエの味方ではなさそうだ。
彼に助力を求めることは間違っていやしないか。
「ボク達は、どうすればいいの?」
だが結局ユキはその言葉を飲み込みはしなかった。自分の持っている選択肢はそれほど多くはないのだ。
社会の事も知らず、魔法少女としての力もなく、ユリアを守る法制度もない。ユキが頼れるものは、そう多くはない。
「一つだけ、方法があるニャ」
まだ体を対面させているユキとユリアに背を向け、ケツの穴を見せつけながらフェリアが答える。
「どんな方法か」とユキは焦って聞くが、フェリアはうろうろと部屋の中を歩き回りながらなかなか答えない。
「ユリアを助けるためならどんなこともする覚悟があるかニャ?」
「もちろんだよ!!」
間を置かずにユキは答えた。フェリアの事は信用できないが、しかし女の手前この質問に躊躇することは出来なかった。こんななりでも彼も男なのだ。
「……はっきり言って、状況は厳しいニャ」
それはユキも理解している。DT騎士団のネットワークは確実にその輪を狭めてきているだろう。
「ユリアが公式に『人間ではない』と閣議決定されてるのは知ってるかニャ? つまり警察に助けを求めたところで保護してもらえる保証はないニャ」
この言葉にユキはショックを受けた。最悪の場合、スケロクに助けを求めれば、彼はユリアを失う事にはなるが、彼女の安全だけは保障されると思っていたからだ。
「『人間ではない』ということはたとえ誰かがユリアを殺しても殺人罪には問えず、『器物損壊』にしかならないという事ニャ。3年以下の懲役または30万円以下の罰金ニャ」
ユキの顔が青ざめる。いくら何でもそこまで罪が軽いとは思っていなかった。罪の軽さはそのままその罪を乗り越えるハードルの低さでもある。
「そんなの……間違ってる」
ユキの言葉にフェリアの口角がほんの少し持ち上がった。
そう。確かにその黒猫は笑ったのだ。