異世界転生
「この世界には並行して存在するいくつもの別次元世界があるんです」
「平行世界?」
ユキは尋ねる。パラレルワールドというのはSFなどではよく語られる概念ではあるが、それとメイのマスコットが関係あると言うのか。
「そうですねェ……同じ時の流れの中で進んでいるわけではないので『平行世界』というよりは『ねじれ』世界と言った方が正しいかもしれませんけどネ。そういった波動関数の収束しなかった異世界の住人だと、私はアレを見ています」
ユキは頭を抱える。まだ出だしだと思うのだが、早くもハカセが何を言っているのか訳が分からなくなってきた。
そんなユキの事を顧みることなくハカセは鍵を差し込んでドアを開く。正直中はがらんとしていて何も無い印象だった。いくつか部屋が連なっており、思った以上のスペースがあるようではあるのだが、如何せん物がない。
だがよくよく考えてみれば当たり前の話ではある。ここはアルテグラ機関の旧アジトなのだから、荷物は既にサザンクロスの地下に運び込んでいるのだろう。残されたのは使い古したいくつかの椅子と机くらいしかない。
「幸いに下水関係は生きてますから、とりあえずはここで暮らせるでしょウ。ちょっとした家具なら後から運び込ませますヨ」
「それよりあの化け物があんた達の目的となんか関係あんの?」
途中で話が飛んだ。どうやらマリエもアレが何者なのかは気になるようで、彼女に話の続きを促す。
「そうそう、忘れるところでしタ。多世界解釈に於いてはシュレディンガー方程式により多粒子の相互作用は失われ、同じように世界もまた干渉しあわずに複数の世界に分岐したまま存在します」
ユキは段々眠くなってきた。もはや何を言っているのか全く理解できない。
先の発言はまとめると、ガリメラが平行世界から来た化け物だ、という事だろう。
「ですが時々、『次元滑り』なる現象が偶発的に生じて別世界の物が移動してしまうことがあるんですネ。大抵の場合は『次元滑り』の衝撃で粉々の状態で見つかりますが、極稀に元の形状のまま、それも生物が生きた状態で転移してくることがありまス」
「それがガリメラだっていうの?」
ユキの問いかけにハカセはこくりと頷いた。要は、ガリメラは余所から転移してきた異世界の住人だというのだ。異世界転生である。
「最初は魔法少女の研究を通じて、その異世界に行くことができないか、なんとかしてコンタクトを取ることができないカ。ガリメラの生態を研究することで何か分からないかと思ってましてネ」
「最初は……?」
マリエがその話しぶりに疑問を呈した。その通りだ。最初はそう思っていたという事は、今は違うのだろう。
「メイさんとガリメラの戦いをモニタリングしているうちに気付いたんですけど、どうやらガリメラは現在進行形で異世界と繋がっているみたいなんですよネ」
心当たりがある。ユキは知らないが、マリエには心当たりがあるのだ。
確かにメイは、ガリメラの口の中から本来あの体の中には収まらないはずの武器を取り出していた。
「そう言えば、僕のお母さんや、メイ先生を魔法少女にしたのもハカセなの?」
「ええ、もちろン」
薄汚くはあるものの、見た目には二十歳を過ぎたくらいの妙齢の女性にしか見えないが、なんと二十年前にメイとキリエに魔法少女の力を与えたのも、やはりこの女性らしい。
「私も職業柄多くの魔法少女と接してきましたけどネ、『異世界』と繋がれる能力者はレアなんですヨ。ヤニア然り、ガリメラ然り……」
そしてハカセはユキに鼻と鼻が突きそうなほどに顔を寄せて、その瞳を覗き込むように見つめてきた。
「有村ユキくん、君もです」
「ぼ、ボクが……?」
ガリメラと同じように、ヤニアが鏡の世界を作り出したように、ユキもまた異世界と繋がる力を持つというのか。
「間違いないニャ。ユキにはその才能があるニャ」
「何を根拠に」
「二十年間魔法少女のマスコットやってきた勘をなめるんじゃないニャ」
「フェリア歳だし、ボケてるんじゃ……」
「ちょっと!」
ハカセとユキとフェリアの三人で話が盛り上がっていると、不満げな口調でマリエが口を挟んできた。自分が中心にならないと気が済まない女である。
「ユキに魔法少女の才能なんてないわよ。未だに魔法の一つも使えないんだから。それよりも私はどうなの? 強力な炎魔法の使い手で柔軟な対応もできる。私の方がずっと上よ。さっきもユリアを助けたのは私だし!」
自らのプレミア感を押し出していくマリエだが、ハカセは困ったような表情で頬をぽりぽりと掻いて苦笑いしている。
「残念ながら、あなたみたいな出涸らしにはあんまり興味ありませんねエ……」
咄嗟。
言葉も発することなくマリエがハカセの襟首を掴み、押しつぶすようにその体を壁に叩きつけた。普段体を動かしていないのか、ハカセは全く抵抗することもなくマリエの意のままに体を拘束される。
「どういう意味よ……ッ!! 誰が出涸らしだって!?」
「だって、そうじゃないですか」
半笑いのまま。マリエに押し付けられたまま答える。とても余裕のある状態には見えないのだが、しかし媚びるでもなく怯えるでもなく。
「マリエさん、あなたなんで魔法少女になんかなったんでしたっけ?」
ハカセが問いかけるとマリエは目が虚ろになってよろよろと後ろに数歩下がった。目の焦点も合っておらず、何を考えているのかも分からない表情。ぶつぶつと聞き取れない独り言を言いながら顔を背け、うろうろとその辺りを歩き始める。
「ど、どうしちゃったの?」
「混乱してるみたいですねェ」
それは見れば分かるのだが、何故魔法少女になった理由を聞かれただけでここまで取り乱すのか。
「人は複雑な感情を発現しようとするとき、まず感情が先に来るのではなく、過去の自分の記憶を探って状況にふさわしい感情の発露を演じようとします。
しかし記憶を失っているため自分が相手の発言に対してどう反応したらいいのかが分からない、そんな状態ですネ」
「記憶を失って……? なんで?」
ユキとマリエはフェリアの話していた『魔法少女のリスク』については当然聞かされていない。
「『魂』とは記憶情報の積み重ねによる感情表現のパターン化に過ぎません。記憶を失っていけば人は何れ魂を失った木偶の坊に成り果てます」
「それが、『出涸らし』っていったのと何か関係があるの!?」
チリン、と鈴の音を鳴らして、フェリアがユキの目の前に歩み出た。
「まあ、ユキにもいずれ分かるようになる時が来るニャ」