この前みたいな事になるかもよ
「何故来たんだ、アスカ」
スケロクの表情は、病室の夜の闇の中、読み取ることは出来ない。アスカを責めるような言葉。
「スケロクさんの方こそ、まだ体調が万全じゃないのに、行くつもりなんですか」
いつもとは声のトーンが違う。しかしそれでもアスカは努めて臆することなく答える。
「これは俺の個人的な問題だ。公安としての仕事ですらない。そんなものに、子供を巻き込むつもりはない」
「でも……」
アスカは違和感に気付いた。
「『ちゃん』付けで呼ばないのは、私を一人前の人間として認めてるから……じゃないんですか」
アスカの言葉を聞いてスケロクは小さくため息をついた。こちらの気持ちも、何をするかも、全てわかった上で、この少女は自分に同行すると言っているのだ。
「君を止めることが出来ないのはもう分ってる。でも、危険な戦いになるんだぞ」
「分かってます」
だからこそ、ついていく。メイとの関係は依然険悪なままではあるが、しかしそれでも彼女はアスカに頼んできたのだ。「スケロクを頼む」と。
二人に比べればアスカの戦闘能力は低い。魔法少女としてのポテンシャルははるかに上であるが、如何せん実戦経験が足りなさすぎる。戦力としては数えられない。
それでも、自分の身を顧みないスケロクの助けにはなると踏んだのだ。彼女がいれば、スケロクは少なくとも「生きて帰る」事を目標にする、と。
いわば彼女はスケロクが無理をしないための抑止力なのだ。
とはいえ、危険な戦いであることは変わらない。だがアスカも覚悟はできている。
「この前みたいなことになるかもしれないんだぞ」
「ええ~……」
覚悟が揺らぐ。
さすがにこの間のような事は御免だ。さらに今回葛葉メイもいない。もしまたスケロクがペン立てになるようなことがあれば、彼女が何とかしないといけない。スケロクを担いで、タクシーを呼んで、堀田コウジに連絡して。もしくはその場で摘出するか。
「え~、ちょっ、ちょっと待っ……え~……」
目が泳ぎ、異常な量の汗を額に浮かべ、考え込む。
「そこまで? そこまで悩む?」
当たり前だ。
「ま……」
アスカは脂汗を浮かべたまま、目をつぶって答える。
「前向きに、善処します」
政治家の答弁である。
「大丈夫だ」
スケロクはポン、とアスカの両肩を叩いた。
「一回やったんだからもうコツは掴んでるはずだ」
「ええ~……」
アナルパールを詰められることを前提に話を進めないで欲しい。せめて詰められないように最低限の努力だけはして欲しい。前回は医者の立ち合いの元アスカが補助をしたが、これがアスカ単独で摘出するとなると話が変わってくる。「そういうプレイ」と見分けがつかなくなる可能性があるからだ。
アスカの脳裏に不安がよぎる。
彼がロリコンであることは百も承知で同行しているのだが。ここまで一緒に暮らしていても手を出してこないので、彼が紳士ということは確信している。確信しているのだが、不可抗力という事もある。そして、不可抗力を装っている、という事もある。
あるが、結局アスカは彼を信じることにした。己の直感を信じることにしたのだ。スケロクはロリコンではあるが、しかし信用の出来る男だという直感を。
「まだ……お父さんのところに帰る気にはなれないのか?」
病院を出て、道すがら二人は「マリエの使い魔は今日はいないのか」だとか「チカの様子はどうか」だとか雑談をしていたが、少し沈黙が続いた後、スケロクは何気なくアスカに訊ねてきた。
「少なくとも、俺なんかよりは、お父さんの方がよっぽど信じられる人間だと思うんだがな……」
沈黙。
スケロクの問いに答えられないのが、アスカの答えである。
未だにわだかまりがあるのだ。ヤニアがろくでもない人間であるという事は分かっている。しかしそれでも目の前で母親を殺されたというのに、それに意見することもなく、家族を庇おうともしなかった父親に。
自分の事も同じようにいつか見捨てるのではないか。父は、自分の事を愛していないのではないか、と。
「他人を愛するっていうのはよ……」
童貞がこんなことを話すのも変な話ではあるが。
「悪の手先から助けるだとか、命をかけて守るだとか、そういう派手なのだけじゃねえと思うぜ」
では、あの時は守るべき時ではなかったというのか。そう問いかけられたら少しは楽なのだが、ヤニアのクズっぷりを知った今となってはアスカ自身そこに確信が持てない。
「もし、誰に称賛されることもなく、感謝の言葉をかけられるでもなく、それでも見返りを求めずに、ひたすらに地道な努力を誰かのために何十年も続けられるんだとしたら、それこそが本当の愛だと、俺は思うぜ」
「ごめんなさい……」
消え入りそうな小さな声でアスカはそう答えた。
スケロクの言っていることは正しいとは思う。彼女自身その通りだと思う。
魔法少女みたいなヒーローになって、悪と戦う事だけが正義じゃない。毎日を真っ直ぐ生き、ほんの少しでいい、他人に親切に出来たなら、それも正義なんじゃないか。メイに出会ってから、なんとなくそんなことを考えていた。
「この間白石さんの家に集まった時に見たんだけどよ、アスカちゃんは自分の母子手帳って見たことあるか?」
「スケロクさん」
煩わしい。
アスカはそう感じた。
もちろんスケロクが自分のためを思ってそんな話をしてくれているのだという事は分かるし、実際彼の言っていることが正しいのも分かる。
でも今は放っておいて欲しい。
彼女自身、もう少しで答えが出そうなのだ。
今はそれを待って欲しい。
決して父の事が嫌いなわけじゃない。むしろ片親でここまで育ててくれて感謝している。だが今は、心の整理がまだつかないのだ。
「着きましたよ」
「そう……だな」
二人の視線の先、ほんの百メートルほど先に、けばけばしいネオンに彩られたサザンクロスが見える。