実務者協議
「でもよかった。ユキくん元気そうで」
安堵の表情を見せる母。しかしその言葉を受け取る息子の方はなんとも微妙な表情である。
サザンクロスの建物は一階がホストクラブ、それ以上の上階はNPO法人や一般社団法人、それに胡散臭いペーパーカンパニーの事務所などになっているが、まだまだ施設に対してテナントが不足した状態となっており、空き部屋が多く存在する。ちなみに地下階は一部の幹部以外には存在自体知られてない。
そんな状態の、空き部屋の一つに有村親子がテーブルを挟んで二人きりで面会していた。
「私本当にびっくりしてね、心配してたのよ。ユキくんが不登校になっただなんて」
そう言いながらわざとらしくハンカチを取り出して目元を拭く仕草をするキリエ。
相変わらずユキは白けたような表情。そもそも、彼が不登校になったのも、もう二ヶ月近く前の話である。それを今になっていかにも『心配してました』みたいな表情を見せられても不信感が増すばかり。
確かにユキが不登校になる少し前にキリエは家出をしており、事情を知らなくても無理はないのだが、知ろうと思えばいくらでも方法はある。学校に行けばストレートに不満をぶつけてくる葛葉メイの方がまだ自分に正面から向き合っているように感じられる。
さらに言うならつい最近、リュープロレリンを注射された時も助けに入ってくれたのは母ではなくユリアであった。
そんな知りもしない危機にどうやって駆け付けろと言うのか、そもそも自業自得の事態ではないか、と言えば正論ではあるが、子にとって親とはそれほど絶対的な存在なのだ。
以前悪魔に捕らえられた時に助けられたことは忘れ、都合の悪いことばかり印象に残るのは人の性である。
「じゃっ、ユキくんも無事みたいだし、お母さんもうそろそろ……」
「えっ!? ちょっと待って!!」
まだ話し始めて5分程である。
だというのにこの母は簡単な安否確認だけ口頭でした後、すぐに席を立とうとしたのだ。
「おかしくない……?」
何をこの女はそんなに急いでいるのか。仕事もしておらず、家出中なので家事もしておらず、暇なはずである。
おかしくないだろうか。
数ヶ月会っておらず、しかも不登校になってNPO法人に保護されているというのに、「じゃあ元気そうだからこれで」などというのは。
いや明らかにおかしい。
「え? なにが?」
「不登校になってるんだよ? ボクが」
「うん」
うんじゃねえよ。
「でもほら、なんか思ったより平気そうだったし」
平気だったら不登校になどなりはしない。ゆた〇んじゃないんだから。
「勉強もここで教えて貰ってるんでしょ?」
「そうだけどさ……」
「じゃあ、大丈夫かな、って。実務レベルで問題無いなら、後は当人の問題かな、って。じゃ、お母さんそろそろ行かなきゃいけないから」
「待ってよ!!」
何故この女は実務者レベルの会談で事を済まそうとするのか。そもそも何をそんなに急いでいるというのか。急ぐ用などこの女には今無いはずである。
「お母さん今どこに住んでるの?」
もしかしたら家出をした後どこかで一人暮らしをしているのか。そのために生活費を稼がなければならないのか、ユキはそう考えたのだが。
「いや~、まあ、ゆく先々でその、ね。適当に泊めてもらったり」
旅の博徒じゃないんだからそんなことがあってたまるか。
言いたくない理由。それはユキの担任教師である葛葉メイの家で世話になっているからである。元々彼女とメイは幼馴染みの友人なのだから世話になっても不思議はない。
しかし、前述のとおりメイはユキの担任なのだ。つまり、もしメイのところに住んでいることがバレれば、かなり早い段階でユキの不登校を知っていたのにそれを放置していたことが彼に明らかになってしまう。それはいかにも体裁が悪い。母親として。
しかしユキは母親のこの言葉が直観的には嘘であると分かっても、それを指摘するまでには至らない。母とメイが知り合いであることは知っているものの、まさか家に泊まらせてもらうほどの仲だとは知らないからだ。
「本当に、本当に無事でよかった!」
取り繕うように、突如としてキリエがユキを抱きしめる。
が、白々しい。
さすがにこれが不利な立場をごまかしているだけだということくらいはユキにも分かる。
「もういいよ。ボク家に帰る」
学校には行っていないが、別に家に帰っていないわけではない。ユキは半ば呆れたような表情で母を一瞥すると、部屋を後にし、さっさとエレベータを使ってビルの外に出て行った。
「ふう……事なきを得たか」
得ていない。
得てはいないが、とりあえずの危機は去った。キリエは「ヨシ」と小さく独り言を言うと立ち上がって、ユキが外にいないのを確認してから部屋を出る。
だが、そのままメイの家には帰らず、もちろん自宅にも帰らず、ビルの一階に向かった。
「いらっしゃいませ、有村様。ご指名は?」
そう。もちろんここ、サザンクロスへ来たのだ。
「もちろんジャキで。調べてないけど今日は出勤してるかしら?」
何故。
この女、反省というものを知らないのか。しかしそれはまあいいのだ。多分知らないし。
「お久しぶりです、キリエさん。待っていましたよ」
「や~ん、久しぶりぃ♡ 寂しかったぁ♡ ……ん? 腕どうしたの?」
しかしいったい会計はどうするつもりなのか。この女は今無職。金など無いはずである。メイというスポンサーがいなければホストクラブで遊ぶなどということは出来ないはず。
「いや……ちょっと、怪我してまして……ハハ」
「まあいいわ。今日は久しぶりだから飲むわよ! 最近ずっとストゼ□ばっかだったし!」
この女はいったいどこから金を調達したというのか。パパ活か。キリエの年齢でパパというと後期高齢者が予測されるが。
「大丈夫ですか? いろいろあったみたいですけど、キリエさんもう売り掛けはできませんよ?」
「大丈夫大丈夫! あんまり高い酒じゃなければイケるわよ! 私今回心強いスポンサーがいるんだから!!」
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「クシュンッ」
病室に可愛らしいくしゃみが響いた。
「風邪か? 如月」
「……パイセン、あたしのこと、心配してくれたんスか……ッ!!」
「ただでさえ入院してんだからうつすんじゃねーぞ」
総合病院の個室。スケロクが入院している部屋である。
「ってか用もねーのに来んなつっただろ」
「パイセン、ツンデレっスね……」
謎の女、如月杏。彼女がキリエのスポンサーなのだ。アンは鼻をこすりながら窓から外の月を見上げた。
(あの女、相当ポンコツって聞いたッスけど、大丈夫スかね……?)
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「他人の金で飲む酒はうめーうめー!! ジャンジャン持ってこぉい!!」
ユキの件は、『ついで』だったのだ。