ダブルモイスチャー
「その情報を流したのは、俺だ」
怒りなのか増長なのか、なんとも判断のつかない歪んだ笑みを顔に張り付けてアキラは網場に語り掛けた。
「いいか、俺は国政だって動かせる人間なんだ!」
力強く断言する。網場の両肩を掴み、揺するように。しかし目の焦点が合ってはいない。果たしてこの男は正気なのか。
「俺じゃなければ、こう上手くは出来なかった。白石浩二の家に押しかけた時点ではあえて正体を明かさず、情報を小出しにし、大衆の関心が十分に集まったところで、本当の情報を明かした。
だがまだ全部じゃない。市民は混乱した状態だろう。突拍子もない『真実』に興味を惹かれつつも受け入れられない、そんな状態だ……だからこそ」
突如として堰を切ったように喋り続けるアキラ。その内容はここまでに如何に苦労したか、自分だからこそここまでできたのだ、という自画自賛。いつも悠然と構えて余裕を見せているこの男がここまで自己顕示欲の強い男だとは網場は思ってもみなかった。
ふと、ジャキから聞いた話を思い出す。欲望のままに魔力を行使し、理性を無くした悪魔の話。冷静で理性的なように見えて、やはりこの男もそう違いはなかったのではないかと。
「あんたは……国政に打って出るつもりなのか?」
網場が素朴な疑問を彼にぶつけると、ようやくアキラはその焦点を網場に合わせた。まるで今初めて彼がそこにいることに気付いたかのように。
そしてそれと同時に冷静さも取り戻したようであった。網場を見つめて、ゆっくりと話し出す。
「バカかお前……」
ふう、と大きくため息をついた。
それは網場を馬鹿にしている物かと思われたが、呼気を大きく吐き出したのち、今度は大きく息を吸い、吐き、何度か深呼吸をした。おそらくは彼自身、自分が冷静さを欠いていたことに気付いたのだろう。
「権力側になってどうするんだ。俺達はあくまで『弱者』じゃなきゃならないんだ」
彼自身、自分達の活動を再三『弱者ビジネス』であると公言していた。
「『前に進めるから』といって『行けるとこまで進み続ける』のはバカのやる事だ。俺達はあくまでも『弱者界の強者』になるべきであって、決して『強者界の弱者』になっちゃいけない」
網場は「ん?」という表情を隠さない。早くもついていくのがきつくなり始めた。
「俺達はプロフェッショナルになる必要はない。そんなもんになったら『無茶な要求』ができなくなるからな。戦士のように戦う必要はない。王のように目立つところに立つ必要はない。俺達弱者はただ、文句を言いたいだけなんだ」
「る……ルールを作る側にならなきゃいけないんじゃなかったのか?」
網場はまたも率直に自分の疑問点をぶつける。これもアキラが常日頃言っていたことだ。本当の勝者とはチェスの駒ではなく、プレーヤーでもなく、ルールを作る人間だと。
「弱者だから不平を言うのは三流の仕草。強者となって批判を受けるのは二流。一流の男というのは不満を言うために弱者の立場に身を置くのだ」
「やだこの人頭おかしい」
思わず本音をこぼしてしまう網場。しかしアキラの方も決して錯乱してこんな意味不明な言葉をこぼしたわけではないのだ。
「弱者の権力を駆使してのし上がった奴が権力側に座って碌なことになったためしがない。そもそも権力側に座るだけの実力がないし、ついつい自分が権力側にいるという事を忘れてそこでも今までと同じ『弱者ムーブ』をしてしまう。もしくは今までの憂さを晴らすように周りに対して異常な抑圧を強いるのがオチだ。
目指すべきは弱者として権力の外に身を置きながら、圧力団体として権力者を支配するポジションだ」
「お? おう」
なんとなく分かったような気がしないでもない網場。
「お前本当に分かってるか? だからこそユリアは俺達にとって重要な存在なんだ。よく分からないけどなんとなくふんわり弱者のポジションにいて、実体を掴もうにもジャンルが新しすぎて誰もそれを正しく把握できない。つまり化けの皮が剥がれることがないんだ」
「ん~、なるほどなるほど」
「お前本当に分かってんのかぁ!?」
アキラは網場の胸倉を掴んで食って掛かる。正直言ってその気持ちも分からんでもない。夜王やジャキに比べてイマイチ考えてるのか考えてないのか分からない……というかほとんど考えてなさそうな網場のリアクション。身を削って作戦を考えているアキラからすれば相当に腹立たしいだろうことは想像に難くない。
「俺やジャキが一生懸命作戦考えてるっていうのに! お前はせいぜい原稿を覚えるくらいしかできないじゃないか! 今日だってメイの奴にいいようにやられやがって! ちゃんと考えてるのか!!」
「ま、待て。俺だって色々と考えてるんだ。新しいビジネスだって考えている」
「ビジネスだと!?」
バカの考え休むに似たり、とは言うものの、ここで網場の意見を無視すればそれは下の育成を放棄することに等しい。
アキラ自身、自分が冷静に慣れてない事には気づいている。自分の気を落ち着けるためにも網場にその考えを話すよう促してみた。
「考えてみたんだが、男性客が、ミニスカノーパンの格好で給仕をして、テーブルに着席している女性店員にめちゃくちゃセクハラされる風俗とか、どうだろちょっ、待て!! 落ち着け!! 武器をしまえ!!」
やはりしょうもない話。もはやこいつはここで始末した方がいいかとアキラは懐に忍ばせていた折り畳み式のナイフを取り出したが、慌ててそれを網場が止める。
「いいか、落ち着け。話はこれからだ!!」
ほぼオチているような気もするが。
「この案の凄いところはな、表面上風俗としては営業しないところだ」
その手の実質的な風俗はよくある。例えばソープランドは表向きは男性客とその介助をする女性店員の特殊浴場ということになっており、たまたま従業員と客が恋に落ちて性行為に及んだ、という体を取っている。
「俺はこれを、男女共同参画のイベントとして実施するつもりだ」
意味不明である。
「つまり、女性が社会に出て働くと、このようなセクハラを日常的に受けることになるのだ、という体験学型習の施設として運営するんだ」
天才か、この男。
「うちでくだ巻い……保護してる女を表向きの経営者にし、男女共同参画イベントとしての公的補助金を受け取り、さらに男性客からは利用料金ではなく寄付という形で金を受け取る。もちろんヌキありだ」
ヌキありの男女共同参画イベント。
「公金と風俗で二重に潤う。これぞ名付けてダブルモイスチャーシステム。どうだ!?」
アキラは網場に背を見せて、数歩離れた。
アンガーマネジメントの一つである。対象を視界から外し、距離を取る。
「お前それ絶対失敗するから実行するなよ」