戦え
「ぐぬぬぬぬ……」
もはや体裁を整える余裕さえも山田アキラは持ってはいなかった。葛葉メイの方を激しく睨みつけ、こめかみには血管が走り、歯を食いしばる。
一方のメイはというと、慈愛に満ちた優しい笑顔でアキラの方を見つめている。男子生徒が「メイ先生って、こんな表情もできたんだ……」と、その幼いハートをキュン、と鳴かせてしまうほどに、である。こんなところで勝ち誇った態度を見せて全てを台無しにしてしまうような愚かな女ではない。
あまりにも鮮やかな勝利宣言であった。
山田アキラの放った、傷口を最小限で済ませるための「ふわっと理論」、それを飲み込んだうえで超絶上から目線による「ようやく分かってくれたか。今までの問答は、君達を試していたんだよ。君達が、もう一つ上のステージに来れるかどうかをね」と言わんばかりの勝利宣言。
苦渋の決断の末にふわっとお茶を濁す締めの言葉をやっとアキラが捜したのに、それにタダ乗りする形で全てを掻っ攫ったのだ。
とはいえ。
ここで怒りを爆発させるのは悪手。アキラは大きく深呼吸をして気を落ち着けようとする。ゆっくりと6つ数えて冷静になる。
― アンガーマネジメント ―
― 突発的に怒りが爆発しそうになった時、それをマネジメントする、マインドマネジメントの一種。
― アキラの行った6つ数える方法はその一つである。どんな強い感情でもそのピークはおよそ6秒と言われている。
― その6秒をやり過ごすことによって『怒り』を『管理』するのだ。
(1……2……大丈夫だ。俺は冷静だ……3……4……なんてことはない。メイの方からこっちに迎合してきたんだ。むしろ喜ばしい事だ……5……6)
「ふざくんなああぁぁぁぁぁ!!」
アキラの怒りが爆発した。6つ数えてもダメだった。
「あら? 怒りっぽいわね。争いは無益だって言ってなかった?」
言ってない。
そんなような事は言ったが、そんな事は言ってない。
「うるせえ! 何が『その通りよ』だ! お前いったい何しに壇上に登ってきたんだ! てのひら返すんなら最初っから……」
「ジャマ」
言い終える前にメイはアキラを突き飛ばした。暴力というほどではないが、冷静さを欠いていたアキラは思わずよろけてしりもちをついてしまう。
その間にメイは講演台の前に行って聴衆の方に体を向けた。
「あ……」
網場とアキラから情けない声が漏れる。
講演会を乗っ取られてしまった。一体何をする気なのか。講演も終わり、釈然としないながらもアキラ達とメイとの戦いには決着がついたはず。これ以上何があると言うのか。
(力づくでも押さえつけるべきか?)
出来るかどうかはともかく。
(ただでさえ不利な形で議論を終えてしまった。この上『追い打ち』をされるのはまずい)
しかしアキラが答えを出す前にメイは話し始めてしまったし、その上彼女が口にしたのはアキラが予想していたのとは全く別の言葉だった。
「……暴力は出来る限り避けるべき、話し合いで問題を解決する、汝の敵を愛せ……」
ゆっくりと溜めを作り、一つ一つDT騎士団の主張を呟くメイ。あまりにも異常な事態ではあったが、誰もが固唾を飲んでメイの言葉を待つ。この体育館の全ての空気を自分のものにして、その上でメイは講演台の前に立ったのだ。
「彼らの言ってることは……」
どこを見ているのか、誰を見ているのか。切れ長でまつ毛の長い、意志の強さを感じさせるその瞳に観衆が魅了され息を吞む。
「メイさんは……」
何を言うつもりなのだろう……独り言の先の言葉を飲み込んだ堀田コウジ。メイの欺瞞も、真っ直ぐさも、全て知った上で彼は彼女を見ている。彼女が決して清廉潔白な人間でないことも知っているし、それでも決して曲がらない強い心の持ち主だという事も知っている。
「全て正しいわ」
先ほどの論を弄んだ言葉遊びではない。今度ははっきりと彼女は敵の言葉を正しいと肯定したのだ。
「戦いなんてするべきじゃない。あなた達は、そういう生き方を選ぶべきだと私は思うわ」
その言葉はDT騎士団や教師たちに言っているのではない、生徒に言っているのだとすぐに分かった。
「でもね、正しいからって大人が戦う事から逃げちゃダメなのよ」
講演台に両手をついたメイの表情は、少し陰になって読み取ることが出来なかった。
「目を逸らしたからって戦いは無くならない。大人が戦いから逃げたら、じゃあその代わりに、より悪化したどうにもならなくなった状態で戦わなきゃいけなくなるのは誰なの?」
体育館がしん、と静まり返る。彼女の問いかけに、アキラですら言葉を返すことが出来なかった。
「問題を引き伸ばしし続ければ、いずれは未来を持つ子供達が、戦わなきゃいけなくなる」
実際に。
彼女は二十年間、子供の頃からずっと戦い続けてきたのだ。暗い闇の中一人、負ければ命を失う闘いを、ずっと。
やめようと思えばいつでもやめられた。実際にこの世界に誘った幼馴染はあっさりとその立場を捨てた。メイも同じように、悪魔などに目をつぶって、魔法少女をやめればよかったのだ。
しかし、それが出来なかった。
他に戦う人などいなかったから。
「誰かが戦わなければ、他の誰かが戦わなければならない。少なくともその戦う『誰か』は、私たち大人であるはずよ」
生徒達の中に混じっていたアスカとチカは、初めてメイの心に触れた気がした。
「だから、いずれ大人になる子供達も、少なくとも戦いから目を逸らしてはいけない。子供の内は戦うことを視界から隠され、大人になると戦うことを強いられるんじゃあまりにもかわいそうだわ」
ちらりとメイは周りに視線を送った。教職員を見回し、そしてアキラにも。誰も彼女の意見に反論する者はいなかった。
教育の場では『綺麗事』ばかりを吹き込まれるのに、世界はどこまでも残酷だ。その残酷さを知っているのは、大人だけなのだ。
だから、メイは生徒に『現実』を教える。
今はその言葉が届かなくとも、いずれ立つ瀬もあるだろう。
「だから、私は戦い続けるわ」
最後にゆっくりと、メイは宣言してステージから降りた。
静謐な時間であった。
静まり返った体育館の中で、誰もが自問自答する。自分の感じたものは、正義とは何なのか。心地よい言葉にばかり耳を傾けて、物事の本質から目を逸らしていないか。
一見暴力的でコミュ障で傲慢な女が、本当は一番子供達の事を考えていたのかもしれないというその可能性に、ほんの少しだけ思いを馳せていた。
メイは教職員用の席には戻らず、そのまま体育館から出て、職員室に向かって歩き始めた。
足を止めはしないが、どっと疲れが襲ってくる。
普段彼女は大勢の前で声を張り上げて語ることなどない。せいぜいが教室の中で自分の生徒達にぼそぼそした声で勉強を教えるくらいである。
それどころか、自分の飾り偽りのない心の内を、人に語ったのも初めてだったような気がする。今にして思えばなぜあんなことをしてしまったのか。魔法少女などすぐにでもやめたいと常々思っているのに。
あんな宣言をしてしまったらもうやめることが出来ない。もしかして四十五十になっても自分は魔法少女をやっているのだろうか、と思って背すじがぞっとする。
「メイさん!」
そんな事を考えながら俯いて歩いていると、誰かが廊下に立ちはだかってメイの名を呼んだ。
「ん……えっ!? こっ、コウジさん!?」
予想外の人物。まさか彼がこの講演会に来ているなどとはメイは思いもよらなかった。
ここ数日、メイはきっかけがいつなのか気づいていないが、サザンクロスにカチコミをかけたあの日を境に、急に反応がそっけなくなり、連絡が取れることも稀となっていた堀田コウジ。
正直「これは、もうダメかもしれない」と思い、キリエに隠れて涙で枕を濡らしたメイ。己の運命と向き合い、戦うときがきたのだ。
「メイさんに、大事な話がああああちょっと!! メイさん!?」
「いやああああぁぁぁ!! 別れ話いやあぁぁぁぁああぁぁ!!」
全力疾走で逃げ出すメイ。
戦え、メイ。