お前それサバンナでも同じ事言えんの?
「ライオンの天敵は、ライオンよ」
突如として語り出したメイの謎知識。
サバンナ界隈に詳しくない網場はそれが正しいのかどうかも分からない。ツッコミもできない。
「人間はこの地球で生態系の頂点に君臨してしまった。だからヒトはヒト同士争うのよ」
「はえ~……」
思わずその屁理屈に感心してしまう網場。もはやメイの術中に落ちたといっても過言ではない。
「ヒトがヒト同士争う理由、それは『生きているから』よ。それ以上でも以下でもない。ヒトが生物である限り、争いからは逃れられないわ」
「お前それサバンナでも同じこと言えんの?」
ニューチャレンジャーイズカミング! 居ても立ってもいられなくなったのか、もはやサンドバッグと化した網場に助け舟を出すべく、山田アキラが壇上に登ったのだ。
「お前にサバンナの何が分かる。ライオン同士は殺し合いまではしない。互いに無益な傷つけあうことを避け、食べる時にしか敵を殺さない」
「どうかしら? ライオンは自分の縄張りを荒らす奴は見せしめのためだけに殺すわよ」
「いや……」
アキラは目を閉じて首を横に振った。
「サバンナの話は今どうでもいいんだ」
ようやく正気に返ったようだ。
「人は動物とは違う。お前のように暴力で全てを解決するんじゃなく、話し合いで解決が出来るんだ。暴力を捨て、武器を捨て、争う姿勢を捨てれば、どんな敵とも話し合い、戦いを避けることが出来る」
「それが思い上がりだっていうのよ!」
メイが急に語気を強めた。
「あんた達は『人間だけが特別な生き物』だと思ってる。他の生き物を見下している。自分と価値観の合わないものを排斥しようとしている。自分の意見に従わないものを言葉と数の暴力で差別しているレイシストよ」
アキラの目が見開かれた。
彼の論の最終地点としては、メイがいかに暴力的で、問答無用で他者を排除しようとする差別主義者であるか。その結論に向けて論の組み立てをしようとしていたのだが、論の綻びからメイに先に『レイシスト』の烙印を押されてしまった。
立場が反転したのだ。
ここまではメイが暴力主義で他者を排除する者、DT騎士団が平等、博愛の精神を持ち、差別と闘うリベラリストのはずであった。
「私達は『差別』と戦わなければならない。虚飾の愛を語り、耳当たりのいい言葉を囁いて分断を生み出そうとするあなた達とね。人間以外のものを差別する人達が、どうして人間を差別しないと言えるのかしら?」
しかし様相ががらりと変わった。差別と闘うリベラリストの位置にメイが先に立ってしまい、巧言令色を繰り、自分達の道徳性を暴力にして他者を叩く者にアキラ達を定義したのだ。
さらに言うならキリスト教の「人間を特別視」する考え方は非常に日本人にウケが悪い。
キリスト教の前身は当然ながらユダヤ教である。では、ユダヤ人とは何を生業にする人々であったか。牧畜と奴隷である。
一般に言われているイメージとは全く異なり、農耕牧畜文化を基礎とする人々は、自然を支配し、自然の上に人を置く攻撃的な面を持ち、一方、狩猟採集を基礎とする人々は自然との調和の中での人間を定義する、比較的穏健な文化を持つ。
農耕の文化は約一万年ほどであるが、日本に入り、それが広まったのはおおよそ二千年強といった所である。日本人は自然の中で人間だけが特別である、という考え方がキリスト教徒よりも薄いのだ。
そこをついて、聴衆にDT騎士団の考え方への懐疑的な種を蒔くのがメイの狙いであった。
(やられた……)
満を持して網場を助けるべく意気揚々と乗り込んだアキラであったが、しかし流れを見誤ってまんまとメイの策略に乗せられてしまったのだ。
(メイはどこまで考えている? ここで一気に叩き潰すつもりか? いや、それをできないほどの物を俺達はここまでに築き上げてるはずだ)
アキラは退き時を気にし始めた。勝つことに執着せず、傷口を最小限にとどめるのは網場の頭では難しい。『勝利』に執着する者は『大敗』を喫す。舵取りは彼がしなければいけない。
(ふわっと、だ)
これまでの戦闘経験がアキラの脳内を駆け巡る。
(反論のしようがない、できるだけふわっとした理論で決着をつける!)
「それでも、です」
メイの追撃をこれ以上受けたくない。論理展開を頭の中で考えながらも、とりあえずアキラは口を開く。
「それでも私達人間は、暴力を克服する道を、探し続けなければいけないのではないでしょうか」
(決まった!! どうだ! これには反論できまい!! 攻撃しようとすれば手痛い反撃を受けるぞ!!)
アキラはメイではなく、聴衆の方に向かって、涙を流しそうな表情で語り掛けた。その胎の内にはどす黒い怨嗟の炎が巻き上がっている。
「その通りよ」
(なんだと!?)
押せば引き、引けば押す。アキラはまたも目を剥いてメイの方に振り返ってしまった。
「ようやく分かってくれたのね」
超上から目線。
そう。公衆の面前での喧嘩とは、勝つ必要はないのだ。勝ったように見せかければよいのだ。