汚いキリスト
「二千年前、主イエスが現れるまで人類は『愛』というものを知らずに過ごしていました」
放課後の聖一色中学校の体育館。
静かで落ち着いた、よく通る男性の声。
「クソが。キリスト教以外の愛は愛じゃねえってのかよ」
ステージの下に並んでいるパイプ椅子に足を組んで座っているメイが小さな声で毒づいた。
「もちろん。その以前にも我々が『愛』と呼んでいるものはありました。しかしそれは自分の家族や、仲間にだけ注がれるものでした。それは究極的には自分の利益に返ってくる、いわば打算的でもあるのです」
体育館のステージ上で気持ちよさそうに演説している男はDT騎士団の網場。
普段は考え無しの言動で人の顰蹙ばかりを買っている男ではあるが、それでもサザンクロスのナンバー2ホスト。仕事になればよく口が回る。
最近聖一色中学校では毎週のように講師が招かれて講演会が行われている。不登校児童やLGBT、差別問題、環境問題。そして今日はキリスト教徒の有難いお話、という事でなんとこの網場が招聘されてきているのである。講演会会は生徒、教師に限らず、校外の人間にも開かれている。
実際にはこの異様な事態は聖一色中学校に限らず市内全域の学校で行われている事であり、最近は県外にも徐々に広がりつつあるという。
「神が人間に注ぐ愛というものはそれによって自分が利益を得るためではない、無償の愛です。これをアガペと呼びます。この概念を得ることによって、人は初めて動物から人間になったと言えるのです」
言っていることは立派なのだが、顔が邪悪。長く伸びっぱなしの黒髪と相まって、さながら悪堕ちしたキリスト、といった風体である。
メイが壇上から視線を外し、生徒の側に視線を投げかけてみると、子供たちは随分と熱心に聞き入っているようであった。一部はつまらなそうな表情をしており、居眠りしている者もいる。しかしおおむねいつも講演会については『好評』なのだ。
普段自分の関わっている人間とは全く違う人種。周りにいる大人達とは全く違う概念を話す講師。単純に好奇心を刺激されるのだろう。
講演会についてはほぼ事実上の強制参加。会の後で感想文などを求められたりはしない。
ただ、後日三十分ほど講演会の内容について思ったことをディスカッションする機会が設けられる。
ディスカッションに司会役として立ち会っているメイからすると、『自由な議論の場』と銘打ってはいるものの、特定の思想に偏り、それ以外を排除するような空気がある。
つい先日の『虹衛兵』事件と似たような雰囲気だ。
「いまだにその『愛』を信じられず、攻撃的で、暴力を振るう『古い人間』が多いことも事実ですけどね。そういう人達は『かわいそうな人達』なんです。古い価値観にとらわれ、他人が信じられない。君達のような『目覚めた人』が、そういう寝ぼけてる人を教えてあげないといけませんね」
網場が笑顔でそう言うと、会場からは少し笑いが零れた。
メイは一層不機嫌な顔になる。
講演会では講師の意見にそぐわない人物を『攻撃しろ』と言ったり、『敵』扱いしたりはしない。しかしそうなる様に誘導はする。そして、そういった敵を『かわいそうな人達』だとか『古い人間』だとか言って露骨に見下す。
敵を『悪』だとは断言しないものの、自分達と、それに従う子供達は『正義』だと言って絶妙に彼らの自尊心をくすぐるのだ。
あとはその優越感を糧に、子供たちは勝手に『断罪』に動く。紅衛兵のように。
暴力はたのしい。
特に『正義』をふりかざし、『絶対悪』に振るう暴力はたまらない。
相手が反撃してこないのなら、それはなお一層楽しいのだ。
暴力に慣れ親しんだメイはそのことをよく知っている。
しかし暴力というものを否定されて生きてきた子供たちはどうだろうか。
正義という麻薬は目を曇らせ、相手が悪であればいくらでも滅多打ちにして良いと思い至り、やがて精を出し終えて「もう十分」と意識がまどろむまで右手を動かし続ける。
二十年間暴力と共に過ごしてきたメイはそれをよく知っているが、果たして子供たちはその危険性に気付いているのかどうか。
「いいですか、暴力とは決して容認されるものではありません」
ハッと講演の内容にメイの意識が持っていかれた。丁度自分の考えていたことと講演の内容が重なったのだ。
だが一つ違うところがある。
「私はこの間テレビの番組を見ていてびっくりしたんですがね。まさか中学校の、それも教職員にあんな暴力的なことを生業にしている方がいるだなんて」
彼の言う『暴力』とは実力行使をもってする物理的暴力を指す。
反撃する術を持たないものを、大勢で取り囲んで社会的制裁を加えたりだとか、自分の意に沿わないものを社会から爪弾きにしたりだとか、他人を見下し、その尊厳を踏みにじることを、『暴力』だとは考えてはいないのだ。
むしろその行為を奨励してさえいる。
汝の敵を愛せと言いながら敵の姿を指し示しているのは大いなる矛盾というほかない。
網場の言葉が先日テレビで放送されたメイの魔法少女としての活動のことを指していることに気付いた人間は少なくはなかった。
明確に、この公の場にて、網場は今まさにメイの糾弾を始めたのだ。数名の人間の視線が、足を組んで座っているメイに注がれた。
そうだ。これが目的だったのだ。
なぜ山田アキラを中心としてこの晴丘市に突如としてDT騎士団を取り巻く自称有識者たちが講演会ビジネスを始めるようになったのか。
一つは金の問題である。
NPO法人や一般社団法人は非営利団体だ。利益を構成員に分配することは公には許されていない。しかし個人が講演会を行ってその謝礼を受け取るのはこれに当たらない。
『講演会』は優秀な集金ツールである。
そして、もう一つ。
やはり、DT騎士団はメイを、少なくともメイと志を同じくする者達を煙たく思っているのだ。そのための地固め。
自分達を正義と定義し、そしてメイやスケロク達を悪と定義し、抵抗できなくなった状態にして一方的に社会的制裁を加える。社会的私刑。
だがこの女が。
「私に言いたいことがあるんなら」
メイはスッと音もなく立ち上がった。
この女が、有り得るのだろうか。
この女が、たとえ社会の全てを敵に回そうとも、その口を噤むなどという事が、有り得るのだろうか。
ゆっくりと、そして堂々と。ステージに向かって歩き始める。
「面と向かって言いなさいよ」
あり得ぬのだ。