あんたあの子のなんなのさ
「大丈夫ですか、ユキさん」
サザンクロスの控室で脱力し、ぐったりとした様子で涙を滲ませている男の娘有村ユキ。一人用のソファに沈み込んでいる彼を、ダッチワイフの少女、ユリアが慰めていた。
しかしそれでもユキはユリアの言葉に答えず、焦点の合わない目で虚空を見つめている。よほど先ほどの事がショックだったのだ。
たった一度のホルモン剤の投与で何かが変わったりはしない。覚醒剤ならばともかく。
しかしユキにとっては先ほどのアキラたちからの行為は象徴的には実際の事象以上の意味を持っていたのだ。自分がもう後戻りできなくなるような、そんな感覚があった。
そう。もう後戻りすることは出来ない。MtF(男性から女性へのトランスジェンダー)という型に自分が定義され、その烙印を打たれたようにユキは感じ取ったのだ。
正直言うと自分の性別と性自認に少しの違和感を感じてはいた。だが多くの少年がそうであるように、やはり子供時代の不安定なアイデンティティがそう感じさせたものかもしれないとは彼自身思っていたし、そもそも深く考えることもしていなかった。
そこにいきなり苦い『現実』というものをオブラートに包むことなく全力でアキラ達は叩きつけてきたのだ。取り返しのつかない形で。
「よしよし」
彼のショックを感じ取って、ユリアはユキの頭を抱きしめる様に包み込み、頭を撫でた。
「性自認や性的嗜好なんてそもそもふわっとしたもんなんですよ。『昨日は爆乳熟女でヌいたけど今日は男の娘でヌこうかな?』なんてのが人間なんです。それを本人の同意もなく無理やり型にはめるなんていうのはユリアも反対です」
彼女の言葉はユキの心の内を過不足なく表してくれているように感じられた。
「ユリアさん!」
「わっぷ!?」
弱っていたところに優しくされた感極まったのか、ユキは急に飛びつく様にユリアに抱きついた。二人はそのまま反対側のソファに倒れ込んだ。
「びっくりしましたよ、ユキさん」
驚いたが、しかしそれでもユリアはやさしく彼の頭を撫でた。
(ああ……)
ユリアはかなり小柄だ。
学校のクラスで男女合わせても一番背の低いユキよりも、さらに十センチほど背が低い。それでも、まるで母の胸に抱かれているような、そんな安心感があった。シリコンだと思っていた体は、たしかに柔らかかったが、しかし筋肉や骨を感じる人間と変わらぬものであったし、肌もやはり人間と同じ様にすべすべとしている。
このままずっと抱かれていたいと思うほどに。
ユキがゆっくりと顔を上げると、ユリアはそのアーモンドのような瞳で、彼の顔を覗き込んでいた。
「おちつきましたか?」
スケロクや白石浩二が入れ込む理由が分かったような気がした。年端もいかない子供のような外見なのに、母を思わせるような優しさと包容力。ホスト狂いで、職員用トイレで掃除機みたいな音を出す実の母親とは比べるべくもない。
「ユリアさん……」
そっと、ユキは彼女を抱きしめたまま唇を彼女の口に重ねようとする。
「ちょ、ちょっと? ダメですよ? ユキさん」
しかしユリアは人差し指を立てて、彼の唇に封をするようにぴたりと止めた。
「なんで……」
拒絶された。
そう感じたユキは再び目に涙を溜める。
「い、いや、だって、ユキさんは女性が性対象なんですか? なんか勢いでヘンなことしようとしてません?」
「さっき! 性的嗜好なんてふわふわしたもんだって言ってたじゃない!!」
ほんのついさっきの発言なのだ。流石にユキも納得ができない。
「いやだって、女の子の服着てますし、それが急にオス堕ちとか急展開というか……オス堕ちメス男子とか意味不明じゃないですか?」
「なんでだよ! さっきはアキラ達に股開いてたくせに! ボクはダメなのかよ!!」
「いや、まあ……」
これまで溌剌に下ネタを口走っていたユリアからは想像できないように口ごもる。何故そこまでしてユキに対してだけは拒絶の姿勢をとるのか。自分だけは誰も受け入れてくれないのかと、ユキは絶望の色をその表情に乗せていた。
「だって、ユキさん、未成年でしょう? ユリアは、十八歳未満には未対応ですから。ち〇ぽの皮むけてから出直してきてください」
「ああああああああああ!!」
――――――――――――――――
「意外と元気そうじゃない。少し安心したわ」
そう言いながら病院の個室に入るメイ。部屋の中にはスケロク。そしてもう一人。
沈黙と共に鋭いまなざしを送ってくる黒髪でスーツの女性。身長はメイよりも大分低く、平均的な女性よりも少し小さいくらいか。肩よりも少し長いくらいの髪は烏の濡れた羽のようにつやつやと輝いており、黒目がちな目は少し幼さを感じさせるものの、成人であることは間違いない。
普通なら先客に一声かけるものだが、メイは一瞬そちらに視線をやったきり、向こうも話しかけてこないし、知らない人と話をすることも億劫なコミュ障の彼女の特性として、無視することにした。
「大した怪我でもないくせに個室なんて貰っちゃっていい御身分……」
近い。
言葉に詰まるメイ。
気づけばほぼ密着するくらいの距離まで黒髪の女性が詰めてきていた。
誰だこの女は。
スケロクの妹なら何度かあったことがあるが、彼女ではない。服装からしてなんとなく、お堅い公務員という感じはする。という事はもしや公安、警察庁の仕事関係の人間であろうか。
しかし一度目があったにもかかわらず無視してしまった手前、今更「あんた誰」とは聞きづらい。
「ね。入院しなきゃならないほどの怪我じゃなかったでしょう?」
近い。
鼻息がかかるほどの距離で女はメイを凝視してくる。なんなのか。
「アナルの方はもう大丈夫なんだけどよ、あの網場ってやつだったか、あいつが何か仕込んだみたいでな、体力が回復しねんだよ。
俺の仕事の特殊性もあるから個室を借りたのさ」
しかもスケロクも彼女の事をいないものとして扱ってくる。段々メイは「もしかしたらこの女は自分にしか見えていないのか」とまで思い始めた。
ちなみにスケロクは堀田肛門科での異物摘出が済んだのち、地域の総合病院に移動して入院している。
「まあいいわ。とりあえずは元気そうで安心したわ」
「だから元気じゃねーっつーの」
会話の合間にちらりと視線を送ってみるが、やはり近い。至近距離で観察されている。また動くダッチワイフとかでなければいいのだが。
「今日はとりあえずそれだけよ。サザンクロスの方も動きはないみたいだし、また何かあったら連絡するわ。じゃあね」
「差し入れとかねーのかよ」
「あるわけないじゃない」
ちらりと部屋の隅を見ると、例の女が持ってきたのか、バスケットにあふれんばかりの果物が見える。バナナにリンゴ、それにシーズンにはまだ少し早いスイカ丸ごと一個。ナイフも包丁もないのにあれをこの病室でいったいどうするつもりなのか。気合が入りすぎである。
そこからさらに視線をずらすと、花のお見舞い……しかも花瓶や花束ではなくデカイ花輪が鎮座していた。開店祝いか。花輪の下の垂れ幕には「早くよくなってくださいね 如月 杏」と書かれている。もしかしてこの女の名前だろうか。もしそうだとしても完全に空回りしている気合の入れ方だ。
「じゃ、もう帰るわ」
「おう、気を付けてな」
そう言ってメイが踵を返すと黒髪の女も全く離れずについてくる。
「如月もお疲れ。またなんかあったら連絡するわ」
どうやらやはりこの女が如月杏らしい。そしてメイだけに見えているというわけでもなさそうだ。
病室を出て、メイは歩みを止める。
それに合わせて如月杏も止まる。しばし沈黙の時が流れた。
(どうしよう……声かけた方がいいだろうか)
しかしここまで至近距離で接触していながら全く無視してきたのだ。なんか今更声を掛けづらい。
(むしろ、一発ぶん殴ってみようかな。ここまで無言で密着されたら、一発くらいなら殴っても許されそうな気がする)
そう考えていた時だった。件の女の方から声をかけてきたのだ。
「あんた、センパイのなんなんスか」




