虹衛兵
「あら?」
朝のホームルーム。葛葉メイは異変に気付いた。
「有村君、今日はちゃんと学校に来ているのね」
そう。ここ最近ずっと登校していなかった有村ユキ、キリエの息子が登校して着席していたのだ。朝教室に入った時になんとなく浮ついた空気を感じたのにも得心がいくというものだ。
生徒が浮足立っているのはよくないことではあるが、『不登校』という不安の種が一つ減ったのには内心ホッとする。
教師としての立身出世などにはとんと興味のないメイではあるが、しかし問題がないに越したことはない。
さらに自分が何かしたわけでもないのに解決したというのならお得感も高い。普段の彼女には似つかわしくない行動ではあるが、メイは思わず口角を緩めて笑みを浮かべて、軽口を叩いた。
「よかった。先生も心配していたのよ」
原因が母親でなくてよかった。彼女は今もメイの家でくだを巻いているのだから。
「これであとはその変な格好をやめてくれれば最高なんだけどね」
面倒ごとを引き起こしそうな有村ユキの特徴的な服装。男子生徒であるにもかかわらず来ている女子の制服について少し言及したのだ。
口に出した後、「あ、これは噛みつかれるかな」とは少し思った。しかし一度口にしてしまった言葉を飲み込むこともできないし、噛みついてくれば遠慮なく反撃して叩きのめしてやろう、と思っていたのだが、反撃は思わぬところから来た。
「先生、それは性差別発言ですよ」
口を開いたのは有村ユキ本人ではなく、隣の席にいた男子生徒、絹村少年であった。確か入学初日に服装に絡んで何か発言をしていた。だがその時は確かユキの女装に関しては批判的だったような気がするが。
「差別?」
「そうです。ユキのジェンダーアイデンティティを侮辱するような発言をして、なんとも思わないんですか?」
はて、ジェンダーアイデンティティとは何だろうか。最近そんな単語を聞いたような気もするのだが、さっぱり思い出せない。
「なんとも思わないんじゃない?」
会話に絡んできたのは有村ユキの絹村とは反対側の席に座っている女生徒。名は岸本という。確かこの生徒も入学式の日にはユキと衝突していたはずである。
「ほら、先生は古いタイプのシス女性だから」
若干馬鹿にしたような物言い。
「シス……なに? スターウ〇ーズ?」
メイの脳裏に浮かんだのは大ヒットシリーズ映画に出てくる色白の、フードを被った暗黒卿であるが、当然それを指す言葉ではない。
「先生、この間の講演ちゃんと聞いてなかったんですか? もっとアンテナ張って生きないと」
イラッ
「あのねえ、男が女の服着て喜んでるのを私がどう思おうが勝手でしょうが! 文句があるなら去勢してから来やがれ!!」
一瞬でキレたメイは反射的に教壇をドン、と強く叩いた。みしり、と嫌な音がする。彼女が教壇を破壊するのは新学期以来これで三度目である。
講演があったのは覚えているが、正直内容は右から左だった。「LGBTに関するものだった」位しか覚えていない。自分には関係ないと思っていたからだ。
いつもならこの「教ドン」で生徒達は黙り込むのだが、この日は何かが違った。生徒達が立ち上がって教壇のメイを取り囲んだのだ。有村ユキを中央に据えて。
「今の発言は捨て置けないですよ」
「先生は差別主義者です」
「トランスジェンダーを差別してますよ」
LGBTという武器を持って、メイを糾弾し始めたのだ。対するメイは。
「あぁ!?」
輩、猛獣の類である。生徒達は一瞬プリミティブな恐怖心を搔き立てられて怯んだが、しかしとどまり、退かない。
おかしい。いつもと違う。生徒達はこんなに攻撃的で挑戦的だっただろうか。
最近山田アキラが主導して変な「自称専門家」を招聘して講演会を行っていたことは知っている。しかしたったそれだけでこうも潮目が変わるものか。
「先生は自分が差別をしていることにすら気づいてないんですか」
「危険思想の持ち主ですよ」
「何が悪いのかすら分かってないっぽいね」
生徒達は『武器』を得たのだ。
『正義』という『武器』を。
人は自分よりも立場が上の者を引きずり下ろすことに耐えがたい快楽を見出す。そこに『正義』という名の言い訳を用意してやればもはやこれを止める理由など一つも無くなり、武器を振り下ろすことに躊躇しない。
普段エラそうな態度をとっている教師に対して道徳的優位性を確保し、数の暴力にて圧し潰す。まるで文化大革命の紅衛兵のように。
「そんなのどうでもいいからさっさと席につきなさい」
険のある表情で凄んでも生徒は退かない。
「そんなこと? 本当に何が悪いのか分かってないんですね」
「自分で気づかないといつまでもそのままですよ。これは先生のためを思って言ってるんですから」
「そうだ。先生、自己批判してください!!」
思わずメイの眉間に皺が寄る。
「紅衛兵ならぬ虹衛兵ってところね」
『虹』とは、LGBTの旗印であるレインボーフラッグを表す。
有村ユキがにやりと笑みを浮かべ、一歩前に進み出た。
「ピンチだねぇ、メイ先生? どういう気持ち? 自分が今まで築いてきた世界観が壊されるのって」
「おおん!?」
メイは有村ユキがサザンクロスに出入りしていることは知っている。
もしかしたら、とは思っていた。赤塚マリエがそうであったように、有村ユキもまたメイ達を裏切って、DT騎士団側についているという可能性。
キリエと一緒に生活している手前、その可能性についてはあまり考えないようにはしていたが。
しかし事ここに及んではその可能性はかなり高まったと言える。山田アキラが主導している一連の講演会。メイも気づかないところで、子供たちは影響を多分に受けていたのだ。そしてそれに呼応するように有村ユキが登校を再開し、クラスメートを先導するようなことをしている。
「授業を始めたいなら、先ずはメイ先生が間違いを認めてよ。さあ、『総括』の時間だよ」
「あぁん!?」
絶体絶命のピンチである。有村ユキだけでなく、一般の生とも巻き込んで、メイに対してその牙をむいてきたのだ。この危機に際して、メイは一体どんな行動がとれると言うのか。
「ヤんのかオルルァ!! かかってこいやぁッ!!」
凄まじい形相でファイティングポーズをとって怒鳴るメイ。
言葉を失う生徒達。
闘牛の如き荒い息を吐き出すメイの息遣いだけがしばらく教室の中に響くと、生徒達は怯えた表情で一人、また一人と自分の席に戻っていった。
やはり暴力。
暴力は全てを解決する。




