魔法少女の領分
「キリエ」
「なになに?」
お隣さんから強奪したカップ麺をすすりながら有村キリエが返事をする。
その旧友の顔を見つめる葛葉メイの表情は、氷のように冷たい。
もちろんそれは「この女いつまでいるつもりなんだ」という感情の発露なのではあるが、しかし神経の図太いキリエはそんなことに気付かないし、たとえ気づいたところで気づかないふりなど造作もない事だ。
「有村君が学校に来てないんだけど」
「私が?」
お前じゃねーよ。
当然ながらメイが「有村君」と言えばキリエの事ではなく、彼女の息子、有村ユキのことを指す。基本的にメイは生徒に対しても「仕事上の付き合いのある人間」としてしか扱わないので、親しみを込めた呼び方などせず、苗字でのみ呼びかける。
「あんたホントに把握してないの? 自分の息子が不登校になってるってのに」
「え? 不登校になってるの!?」
メイは大きくため息を吐く。まさかとは思ってはいたが、本当に何も知らなかった。夫からも、子供からも連絡は来ていないのだ。
ホストクラブで旦那の新車購入資金を使い込んでしまったキリエ。いたたまれなくなって家出し、家事をする人間がいなくなって旦那が音を上げるまで粘るという作戦。悪い事をした上にさらに相手が謝ってくるのを待つという驚異の二段構え。
そしてそれは息子の有村ユキが不登校になっても継続されていたのだ。本人の知らないところで。
「あんのバカ夫、何してんのよ。やっぱり私がいないとダメなのね! 子供の教育もできないんだから!」
ダメなのはお前だ。とは思うのだが、メイはもうこの女に対しては何も突っ込まない。三十路過ぎた人間にいろいろ言ってももう無駄だろうという考えからであるし、家族からも何の連絡もないという事は、もはやそこからも見限られているのかもしれない。
「それがね、有村君」
「なに?」
お前じゃない。
「サザンクロスに出入りしてるらしいのよ」
「ええ!?」
マイペースのキリエもさすがにこの事実には驚いたようである。
「どどど、どっどどうしよう……ユキくん知ってるのかな、私がホストクラブにハマってたこと……」
それすら言わずに家出したのか、と呆れ顔のメイ。テンパリ始めたこの女を置いておいて、ガリメラを撫でながら一人物思いにふける。
ガリメラは気持ちよさそうに寝転がって喉を鳴らしているのだが、小さい体に似合わずライオンの唸り声のような音を上げる。そもそも「喉を鳴らしている」と表現したものの、この生き物のどこに喉があるのか。
解決すべき問題は数多くある。
自分の担当している生徒である有村ユキの不登校問題もその一つではある。
DT騎士団に身柄を押さえられた怪異、ダッチワイフのユリアの事も気にはなるのだが、基本的にあれはスケロクが主体となって解決すべき問題ではある。そのスケロクは肛門に裂傷を負っただけだと思っていたのだが、やはり相手は魔法使いという事もあってかその後体力が回復することなくそのまま入院しているという。
そして山田アキラの動きも気になる。ここ最近不登校問題やLGBT、差別問題などについて学校がやたらと専門家を呼んで講演会を開いたり、外部講師を招聘しての教職員への教育に力を入れているのだが、どうも裏で山田アキラが動いているらしいという噂を青木チカから聞いたのだ。
それらの動きに共通するもの。
DT騎士団と山田アキラの存在である。
赤塚マリエもキリエやスケロクに敵対し、どうやら彼らに接近しているらしい。
しかし現在のところ葛葉メイはそれをどうこうできる状況にないのだ。
この世にもし、ゲームや小説のように悪の大魔王がいて、そいつをぶち殺せば全ての問題が解決するというのならば話は早い。
メイはすぐさまガリメラと二人でそこへ乗り込んで問題を解決してくるだろう。
しかし話はそう単純ではないのだ。
今度の戦いは多分に社会的問題を孕んでいる。有村ユキの問題一つとっても、サザンクロスが彼の身柄を誘拐して確保しているのならすぐにでも乗り込んでいってサザンクロスに火でも放つのだが、実際には少なくとも表面上彼は不登校になるまで追いつめられて、助けを求めてNPOを頼っているのである。
そして不登校になった原因は判然としない。
そこには彼の特殊な事情、性自認が曖昧であることが原因かもしれないし、目の前のクソ女がそれであるかもしれないし、もしかしたらそもそも原因などないのかもしれない。
ヒーローというものは社会問題を解決するために動いてはいけないのだ。
それは人々の領分である。
もしそんなことに手を出せば、もはや魔法少女ではなく神や王と呼ばれるものに成り代わってしまう。
魔法少女はただ、無法を働く悪人を懲らしめ、ルールを逸脱する超常の者を排除するだけに留めなければならない。
そのことを周りの人間がどこまでわかっているのか。
おそらくスケロクは理解している。魔法少女三人組は微妙なところだ。ユキはおそらく分かっていまい。
そしてそれを一番よく理解しているのはおそらく山田アキラなのだ。全く頭の痛い事である。
果たして目の前でアホ面さげている元魔法少女仲間はそれを理解しているのかどうか。
「キリエ」
メイはガリメラを撫でるのをやめて、まだあれやこれや悩んでいるキリエに話しかけた。
「DT騎士団がどういう奴らかはもう分ってるわよね? あなたもし、有村君が危機に陥ったら、闘える?」
目を丸くして驚くキリエ。『闘える』とはどういうことなのか。母が子のために全力をかけて、社会の残酷さと闘うのは当然のことだ、とは母親の端くれとして彼女も心構えてはいるのだが。
「そういう事じゃないわ。もし本当に危なくなった時、社会のルールも自分の体裁もかなぐり捨てて、全てをかけて闘えるの?」
「どういうこと? あたしになんか違法な事させようとしてる?」
メイは首を横に振る。彼女はもっと具体的な事を聞きたいらしい。
「そうじゃない。もう一度、魔法少女になれる?」




