放送事故
― しばらくお待ちください ―
そんな文言と共にクラシックの落ち着いた曲が流れ、スイスかどこか、高山植物が風に揺れている動画がテレビには表示されている。
「クソッ、どうなってんのよ!」
アパートの自室でバンバンと葛葉メイが液晶テレビのフチを叩く。昭和の家電じゃないのだからそんなことでテレビは映るようにならない。そもそもハード的な問題ではなく放送側の問題なのだから。この女、平成生まれのはずなのだが妙に昭和っぽいリアクションを返すことがある。
夜の地方ニュースの時間に突如として流れてきた知人の顔。自宅でくつろいでいたメイはそれを見てひっくり返りそうなほどに驚いた。
「今の……サザンクロスだったわよね……」
ガリメラの頭を撫でながらメイは考え込む。彼女の相棒が反応していないという事は、アキラは悪魔としての力は使ってはいないという事なのだろうが……
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「危ないところだった」
山田アキラは胸をなでおろす。今日は生放送で映像を提供している。事前に放送事故の可能性を伝えていたことによりユリアの下ネタを何とか回避できたのだ。クレバーな危険予知である。カメラが回り始めたことを確認して戦闘再開。
「具体的な行為の内容にまで触れなくていい。つまりスケロクはこの幼い彼女を性欲のはけ口にしていたんだ。やはりそんな男の元にユリアを渡すわけにはいかないな」
そう言ってアキラはユリアの肩を掴んでぐいと引っ張ったが、その手首を強く掴むものがいた。
「本人の意思は無視ですか」
白石アスカである。
ニュープレイヤーの参戦だ。ポリコレカード『女性』『子供』のカードは一般カードであるにもかかわらず『NPO法人代表』のカードよりもランクが一つ上である。
「これはこれは……なんでこんな深夜に中学生がホストクラブに?」
「子供の意見なんか聞くに値しないって意味ですか?」
ぴくりとアキラの片眉がひくついた。アスカの発言は、意図したかどうかはともかく、アキラを『弱者の意見を無視する強者』に定義づけしようとする発言である。先ほどからアキラもやっているように、ポリコレカードバトルでは『自身の弱者性』の強調だけでなく『相手の強者性』を印象付けることによる敵のデバフ効果もよく用いられる手法である。
「本人がスケロクさんの元に帰りたいって言ってるんですよ? それを阻む権限が山田先生にあるんですか」
横でコクコクとユリアが頷く。しかしそれで退くようなアキラではない。
「この子はね、生まれてから今まで性のはけ口としての生しか知らなかったんだ。だからそれが正常な事だと思い込んでる可哀そうな存在なんだ。自分が可哀そうだという事に気付いていないだけで」
分かりにくい言い回しではあるものの、しかしこの言葉はスケロクの心にくすぶっている不安に火をつけるには充分であった。
即ち、彼自身「そうではないか」とは思っていたのだ。
その気持ちは実際に動き、喋るユリアを見てより強くなった。(下ネタがエグいが)まるでそこらにいる子供と変わらないのだ。
もしこの子が他の人間と同じように人間として生まれていれば、温かい家庭に育っていれば、自分にこんな好意を寄せるようなことも、スイスの風景が差し込まれるような放送事故を起こすようなこともなかったのではないか。そう考えたのだ。
彼女が自分と来ることを選択したその意思ですら、ダッチワイフとその使用者という歪な関係が生み出した歪んだ歪みではないのかと、語彙力の消えた思考で考え、そしてユリアの手を取ろうと差し出した手を止めてしまう。
「スケロク様……?」
『様』という敬称は、そんな自分の愚かさが生み出したものなのではないかとまで思いだす。互いに互いを、そして互いに自分を信じられなくなっているのだ。
(楔を打った!!)
ユリアとスケロクは互いに心に不安を芽生えさせ、互いに伸ばした手を止めた。それを見てアキラがほくそ笑む。本人達に楔を打ったのだ。
これで大勢は決した。敵側プレイヤーは二人、スケロクとアスカ。両者とも社会全体から見れば『勝者側』の人間。アスカには『父子家庭』という強力なカードがあるが、いくらポリコレカードバトルといえどもあまりにも文脈から離れたカードの開示は出来ない。
開示するのはあくまでも自然な話の流れの中でだ。この界隈では『隙あらば自分語り』という慣用句がある。「聞かれてもいないのに自分の事を語り出す事」を指す言葉だが、それとて『隙』が無ければ語れないのだ。百戦錬磨のデュエリストであるアキラはそんな隙を見せない。
そしてアキラ側のプレイヤーは本人とユリア。ユリアは本来中立、またはスケロク側の人間であるが、現状でアキラが庇護者として自分の『駒』に仕える条件が成立しているのだ。
「不安に思う気持ちは分かりますよ。これまでの自分の想いが間違っていたんじゃないかって、私にも分かります。スケロクさん」
話しかけられたスケロクの眼差しはまだ敵意を孕んではいたが。
「自分の愛も、他人の気持ちも信じられなくなっているんでしょう、私には分かります。なぜなら……」
彼の言う言葉自体は的確にスケロクの心情を読み取っている。少なくともシモのことしか考えていないユリアよりは。
「I was gay...」
ガブリエル。
「元々同性愛者であった私には、そのつらい気持ちがよく分かります」
とうとう山田アキラが自らのカードを開示したのだ。しかしスケロクは訝しげな眼を彼に向ける。何故ならアスカから聞いて彼が昔メイと付き合っていたことを知っているからだ。
「現在は自分の性の認識も両性愛者に落ち着いていますが、アイデンティティが確立するまでは多くの人に迷惑をかけ、また自分も傷ついてきました」
しかしポリコレカードバトルに明るくないスケロクはツッコミが遅れてしまう。その隙にアキラは予防線を張ったのだ。
「そのつらい経験をもとに、最初はLGBTを支援する一般社団法人を立ち上げたんです。私のような社会的弱者を一人でも多く救いたかったから!! だから、性被害にあう可能性の高いこの子を目の前で見過ごすことなんてできない!」
あまりにも偽善的過ぎる発言、そしてユリアの事を持ち出したことで、泥の中に突っ込んだように脳の感覚が鈍っていたスケロクが目を覚ます。
「スケロク様! 騙されちゃダメです!!」
ユリアもあきらめてはいない。
「頭であれこれ考えると深みにはまるだけです。そういうときは」
スケロクよりも随分と小さなその体に、不屈の精神を秘めているのだ。
「おちん〇んで考えるんです!!」
空気が凍った。
「いいですか、おちん」
― しばらくお待ちください ―