待ちかまえる者
念入りに体を洗浄し、服を着替え新しい靴をおろして履く。靴ももちろん、服装も、下着に至るまで全ておろしたての新品である。
そろそろ日中の気温は初夏の力強さを感じさせるものになってきたが、夜になるとまだまだ肌寒さを感じる。
木村スケロクは、その涼やかな空気の中自宅のマンションを出ると、気合を入れるため頬を叩いた。
もう迷わない。
あれこれとやらない言い訳を探すことはしない。愛する人が待っているのだ。ホストクラブ『サザンクロス』に単身攻め入り、ユリアを取り戻す。
新品の服に着替え、財布もスマホも置いてきたのは今回の件で敵に与している可能性があるマリエの盗聴を避けるためである。
「行くんですか、スケロクさん」
背後からかけられた声にスケロクは一瞬ビクリとした。しかし気を落ち着けて振り返る。この声はマリエではない。寝ていると思っていた同居人、白石アスカの声だ。
「一人では危険ですよ」
彼女の言葉にスケロクはゆっくりと振り返り、無言で両肩を力強く掴んだ。無言の、その迫力にアスカはたじろぐが、しかし彼の力が強くて振り払うこともできない。
「こわいか」
アスカはスケロクの目をまっすぐに見上げる。恐ろしく冷たく、感情の感じられない目。少女に対してはいつも笑顔の彼と同一人物とは思えないほどの。
「怖いなら来るな。女の、それも子供が戦いの場になんか行くもんじゃない。本心で言えば俺は魔法少女なんてもん無くなるべきだと思ってる」
「メイ先生も女ですけど」
「今メスゴリラの話なんかしてない」
しかし恐怖を感じてはいるものの、アスカの眼差しからその意思の硬さを見つけるとスケロクは彼女の説得を諦めたようだった。
「みんな……私が子供だからって軽んじて、私の知らないところで話を進めようとします。でもスケロクさんは違う。私にも、一人の人間として対等に向き合ってくれる……」
ロリコンだから。
「私の戦闘能力が低いことは認めます。でも、スケロクさんが危なくなった時に助けを呼ぶくらいは出来ます。一緒に連れて行ってください」
少しの沈黙ののち、小さい声でスケロクは「わかった」と呟いた。児童の庇護者としての性質はメイよりもスケロクの方が強い。しかし彼はあくまでもアスカの自主性を重んじたようだった。それは自分が同じくらいの子供の頃の感覚に照らし合わせての心遣いかもしれない。
「ただ、戦闘だけじゃなく、なるべく魔法も使うな」
なぜ、とアスカが訊ねる。彼女としては少しでも助けられることがあれば協力したい構えであったが。
「あんな強力な力が何のリスクもなく使えるってのが納得いかねえ。あとあとデカいリスクが判明した後じゃ遅いからな。俺はあの、フェリアって猫も、あと、ガリメラに食われちまったルビィだったか……? あのサルも信用ならねえと思ってる」
「でも、スケロクさんもメイ先生も魔法は使ってるじゃないですか!」
「俺は『童貞』という重い制約を受けている。メイは殆ど肉弾戦で、魔法はほんの少し筋力をサポートする程度だ。アスカちゃん達とは事情が違うからな」
二人の戦士は、ゆっくりと夜の繁華街に向かって歩き出す。一人は大切なものを手放してしまった後悔を胸に。もう一人は父親にダッチワイフを紹介してしまった後悔を胸に。
スケロクの予定では、この時サザンクロスは営業中で、客との混乱を避けるために店内に入るとすぐに奥に通される目論見であった。店の方を開けるわけにいかないので人的な多寡の不利も少しは軽減されるはず。そう考えての襲撃タイミングであったのだが。
「どういうことだこりゃ」
店の看板の電気が消えている。どうやら営業していないようである。しかしそれと裏腹に店のドアだけはスポットライトで照らされているのだ。まるでスケロクを歓迎するかのように。
「罠……ですよ」
控えめにアスカが呟く。
スケロクも同じことを考えている。しかし何故こちらの来るタイミングが分かったのか。当然予告などしていない。いつ来るのかが分からなければ店を閉めて待ち構えるなどできないはずだ。
盗聴器は全て排除したはずだが……
「待ち構えてるならそれでいいさ。正面から行ってぶっ潰してやる」
ヤニアの鏡の世界の時もそうであったが、スケロクは困難に直面した時に割と楽観的になりすぎるきらいがある。
とは言うもののこちらに非はない。ほとんど無理やりと言っていい様な状況でユリアを連れ戻すのに遠慮などいらないというのは二人の共通見解である。
スケロクは大胆に正面のドアを開けて店内に入り、アスカもそれに続く。
店内は薄暗い、というよりはほとんど真っ暗の状態で、非常出口の明かりだけがついている状態であった。
中の暗さに目を鳴らそうとスケロクが目を見開くと、次第にゆっくりと、店の中央に椅子に座らせられている少女の姿が浮かんできた。
「ユリア!!」
少女の方も外からの街灯の明るい光に目が慣れておらずスケロクの方を認識できていないようであったが、その声にハッとして応える。
「スケロクさん! 来ちゃダメです。罠です!!」
しかし行かないなどと言う選択肢はない。スケロクは手のひらをアスカの方に向けて入り口付近に待機するようにジェスチャーすると、慎重に、しかし力強い意思を持った足取りで二歩、三歩と前に出る。
「!?」
思わず自分の掌で顔を覆う。店内の照明が一気に点けられたのだ。
「よく来たな、警察庁のスケロク」
聞き覚えのある声。
初めて会った時は屈筋団の魔人ベルガイストとして、次に会った時は聖一色中学校の教師山田アキラとしてだった。
そして今この場にいる彼は恐らく複数のNPO法人の代表としての顔。
そのわきを固める様にサザンクロスの夜王と網場、それにジャキ。
「オールスターでお出迎えってわけか」
だがそれだけではない。
中央のスケロクを取り囲むように左右に展開するのは報道陣。これこそが本命の罠だったのだ。
「木村スケロク。貴様にポリコレカードバトルを申し込む」