穴兄弟舟
「あの……」
アスカの呼び止めに失敗して戻ってきた眼鏡少女、青木チカ。
「これは一体どういうことです……? メイ先生は?」
チカが見たのはテーブルを挟んで硬く手を握り合う白石浩二とスケロクの姿であった。
「メイは知らん。『ちょっと待ってろ』とか言ってどっか行った」
「じゃあ、お二人の間にはいったい何が?」
メイがいないのはいいとして二人の間に熱い友情めいたものが芽生えているのはいったい何なのか。二人の間に何があったのか。
「いいか、俺と浩二さんは同じ女を愛した仲。ともに彼女を助けると誓った仲だ。いわば穴兄弟と言ってもいい」
「アスカちゃんを連れ戻すのに失敗して正解でした」
もしこの場にアスカもいたらダッチワイフに入れ込む父親を目の当たりにするところであった。
「帰ってきたわよ!!」
ガチャリと大きな音をさせてメイが玄関から息きらせて入ってきた。右手には片手で持てるくらいの小さな箱を持っている。美少女のイラストの描かれた小さな箱。
「ホラ! オナホ買ってきたわよ!!」
「先生?」
チカには話が見えない。メイは箱の中からシリコンの塊を取り出してテーブルの上にぶるん、と置く。
「どうよ! これをスケロクが使った後に白石さん使えるっていうの!?」
「そういう話じゃねンだわ」
「別に私もユリアさんと実際にシたわけじゃないんで……」
まだ話が見えない。
「というかお前そんなこと言うためにわざわざアダルトショップいってオナホ買ってきたのか? 夜中に大女が来店して迷わずオナホ買って急いで帰ってくとか恐怖でしかないな」
「迷ってないことないわよ。最近ちょっと大きめの、なんかトルソーみたいな奴もあるのね。そっちの方が今回のテーマに近いかな? とか大分迷ったわよ」
全く話が見えない。
見えないが、そこはどうでもいいのだ。チカは少し怒って口を挟む。
「そんなことはどうでもいいんです。白石さんはユリアさんよりも先に優先することがありますよね」
眼鏡の気弱な少女。そんなイメージしかなかった青木チカが珍しく見せる怒りの表情。白石浩二も思わずその気迫に怯む。
「白石さんがまず優先するべきはアスカちゃんじゃないんですか!」
実際彼女の言う通りなのだ。ユリアの件で気が動転しているとはいえ、先ほどアスカが飛び出した時も、それを追ったのは父ではなく、友人のチカであった。そういうところの積み重ねが娘の家出に繋がったのだという事が分かっていないのだろう。
「その通りだぜ白石さん。俺は一緒に暮らしてるから分かるが、アスカちゃんも本心じゃ……」
「あなたもです!!」
喋りだしたスケロクの前に拳をドン、と落としてチカは彼の話をシャットアウトした。思わぬところからの反撃に彼は目を白黒させる。
「そもそもがスケロクさんがユリアさんを捨てたのが全ての発端なんですよ! ユリアさんを『愛する女』と堂々と言えるんなら、なんで捨てたりしたんですか!」
スケロクは言葉に詰まり、俯いてしまう。チカは彼の最も弱い部分を突いてしまったと言っていいだろう。
メイとプライベートで関わるようになり、マリエが家に入り浸るようになり、そしてアスカが同居するようになった。
対策を十分に立てる余裕なくダッチワイフを処分……隠さなければいけなくなったという事情はあったにしても、山に不法投棄した彼の行動に正当性はない。ましてやそれを『愛する女』と呼ぶならばなおさらだ。
「俺が捨てた時は……ただのダッチワイフで」
「ただのダッチワイフだったんですか」
またも言葉に詰まる。チカはスケロクの言葉をオウム返しにしただけであるが、しかしそこが核心なのだ。たとえ喋ろうが喋るまいが、彼にとってユリアは特別な存在だったはずなのだ。愛を注いだ存在だったはずなのだ。
「……そうだ」
小さく、しかし力強い声でスケロクは呟く。
「俺が間違っていたんだ」
それは、「ただのダッチワイフ」という言葉を肯定するものではなく、己の行動の誤りを悔やむ言葉であった。
「たとえダッチワイフでも、俺にとっては大切なひとだったんだ。ユリアって名前も俺がつけた。毎日服を着替えさせて、一緒に食卓を囲み、話しかけ、愛を語った存在なんだ。普通に考えればキモいって思うかもしれないけどよ……」
「キモいを通り越して怖いわよ」
メイの茶々入れにも屈しない。
「それでも、俺にはじめて、『愛』を与えてくれた人だったんだ」
「ダッチワイフが?」
「ダッチワイフが」
スケロクの目には確かな決意の炎が宿っていた。
「俺が、ケリをつける」
――――――――――――――――
「じゃあ、君は公安……だっけ? そのスケロクって男と、その……男女の関係にあったんだね?」
薄暗い部屋の中。
椅子に座った少女を中心に数人の男が取り囲むようにして話を聞いている。
ホストクラブ『サザンクロス』の控室。妙に小奇麗な控室には、一人用のソファが設えられ、そこに沈み込むように座っている可憐な銀髪の少女。まるで殺風景な荒野に一輪の花が咲いているようである。
「ええ。毎晩毎晩たっぷり愛されて、ザー〇ンを奥まで注がれて、とても幸せな日々でした。スケロクさんって意外と……」
「ストップストップ。邪鬼、カメラ止めて」
「またですか……」
カメラを構えていたジャキがため息をつき、インタビュワーをしていた網場が立ち上がる。
「あかんわこの女。何喋らせても二言目には下ネタが出てくるわ」
「生放送には絶対に使えませんね」
「うふふ、『生で使えない』ならコン〇ームを使えばいいですね。あっでも、私は孕むことはないので生でも平気ですけど」
にこやかに下ネタを呟くユリアにジャキと網場は渋い顔をする。いや、彼女としてはこの程度の物は「下ネタ」のつもりはないのだ。場を和ませようと軽いジョークを言っただけのつもりである。
「上手くいってないようだな」
出入り口から山田アキラが入室してきた。撮影中と気づいて外で待機していたのだろう。
「アキラさん……この女は、なんというか、非常に公共の場に向かないというか。神輿に使いやすい属性持ちなのは分かるんですが……」
DT騎士団がユリアを連れ去ったのは第一にスケロクへの強いカードになることが一つ、そしてもう一つの目的としてはユリアが『かわいそうランキング』が非常に高く、自分達の神輿として担ぎやすいという理由があった。
今もその宣伝に使うための動画を取ろうとしていたのだが。
「こんな動画投稿したらY〇uTubeのアカウントが速攻でバンされますよ」
「フッ、Y〇uTubeがだめならF△NZAでもP〇rnhubでもあるだろう」
「F△NZAやP〇rnhubでどうやってNPOのアピールをしろと……」
「とにかくだ」
不満を垂れ流すジャキの言葉を打ち切ってアキラは真っ直ぐにユリアの方を見据える。
「ユリアの口から彼女が如何に陰惨な性被害を受けていたかを語らせるんだ」
ジャキと網場は訝し気な視線を送る。それが自分達のホストクラブや貧困ビジネスとどうつながってくるのかが分からないのだ。
「たとえば、ロリコン、オタク、AV……この世には無くなった方が幸せになれるものがたくさんある。それらをダッチワイフの力で全て消し去るんだ」
つまりは浄化作戦というわけだ。
しかしそれでもジャキはまだ納得がいかない。『浄化作戦』と言えば通常標的になるのは風俗店等。自分達ホストクラブは『浄化される側』の人間だ。
「この浄化作戦の狙いは『オタク界隈』だけだ」
コツコツと靴音を響かせてアキラは扉の前に立って背中を見せる。
「価値観のアップデートが必要だ。その価値観のオピニオンリーダーとなることで俺達は次代の貴族になるんだ」
その目的自体はジャキ達は何度もアキラから聞かされている。それとオタク叩きがどうつながるのか。
「LGBT、女性の活躍、被差別民族、その他マイノリティ……」
現在のリベラルの活動内容はほぼマイノリティの人権活動と、環境保護活動、あとはアニマルライツくらいである。
「それらの分野で我々リベラルははっきりいってオタク共の後塵を拝してきた。
……困るんだよ。これ以上奴らに『新しい価値観』をリードされるのは」