ダブル
「何でこんなことに……」
白石浩二は、自宅のインターホンのディスプレイを見て戦慄していた。
あふれんばかりの人、人、人。
そしてその先頭にいるどう見てもカタギではない、身の丈2メートル越えの巨漢。周りにいるその他大勢は大きなテレビカメラやショットガンマイクを持っている。どうやらマスコミ関係者のようだ。
「どういうことだ……? なんでマスコミが? 全く心当たりが……」
「どうかしたんですか、ご主人様」
ある。
「あの、ユリアさん。その『ご主人様』っていうのやめてって言ったよね?」
彼の家には今喋るダッチワイフがいるのだ。テレビ局が来ても何の不思議もない。
とはいうものの、不審な点もある。もしユリアの噂を聞きつけて取材に来たのならば、普通は事前に取材交渉があるはず。インターホンのすぐ前にいる2メートル越えの大男はナニ〇レ珍百景のレポーターではなさそうだ。
仮にこれが鉄腕D△SHの〇円食堂みたいに事前交渉しないタイプの番組だったとしても「おたくのダッチワイフ、捨てちゃうところとかあれば貰えませんかね?」だとか言われても捨てるところなんかないし、そもそもよく見れば複数のTV局のカメラが入り乱れているように見えるので、その線もないだろう。
どうやら通常のプログラムではなさそうだ。
「私が様子を見て来ましょうか? 白石」
苗字呼び捨てである。なぜこうも極端なのか。
「いや……」
普通に考えればユリア関連の可能性が高い。だったらこの家の世帯主の白石浩二としては彼女を守るべきであるし、娘のアスカにもユリアの事をお願いされている。
彼女を矢面に立たせるわけにはいかない。
と、思案している間にインターホンが押された。浩二は慌てて通話ボタンを押す。
「こちらにユリアさんという女の子がいますね?」
インターホンを押したのは巨漢の隣にいた優男であった。浩二は直接会ったことがないから知らないが、巨漢(夜王)の隣に控えていたのは山田アキラである。
「申し遅れました。NPO法人、GOLANの者です」
NPO法人。
白石浩二もNPO法人が何なのかはよく知らない。「なんかよく分からんけど公的機関のアレっぽい」というイメージである。
「ユリアさんは少し下がってて。応対してくる」
緊張の面持ちで白石浩二は玄関先に出て行く。当然ながらテレビカメラに囲まれるなど初めての経験だ。しかも山田アキラの方はともかく夜王は立っているだけで威圧感が凄まじい。
(いったい何者なんだ……こいつらは)
事態が全く呑み込めず、狼狽えている白石浩二。
(いったい誰なんだ……このおっさん)
そして同様に事態の飲み込めない山田アキラ。
(おかしい……てっきりここに木村スケロクが住んでいるのかと思ってたんだが……このおっさんは誰だ? スケロクの父親にしちゃ若すぎるし)
どうやらここが白石家だということをマリエから聞かされていなかったようである。
「ここに身寄りのない女の子が保護されていると聞きましてね……私、こういう者です」
しかしマスコミまで連れてここまで来てしまった以上、もう後には引けない。そう思ったのかアキラは突き進むことにした。
名刺にはNPO法人の代表として山田アキラの名前、それに簡単な事業内容が書かれていた。
(少女の自立支援……を行う特定非営利活動法人……ボランティアみたいなものか?)
白石浩二もようやく事態が把握できたようである。
とはいうものの。
浩二は改めて夜王の顔を見上げる。
弾けんばかりの筋肉を包む白地にストライプ柄のダブルのスーツ。見開かれた眼と、短い金髪の厳めしい強面。ダブルのスーツという時点でもう堅気には見えない。
一瞬はユリアがしかるべき施設で保護されるのならばその方が彼女にとってもいいのかもしれない、と思ったのだが、しかしアキラと夜王の二人を間近で見て彼の考えは決まった。
(こんな奴らに彼女を渡すわけにはいかない。ダブルのスーツ着てる人間にろくな奴なんていない)
浩二は後ろ手にほんの少しだけ開けたままだった玄関の扉の向こうに、手のひらで待つようにユリアにサインを送ると、扉を閉じた。
「身寄りのない女の子……? 心当たりがないですが」
「ほう。じゃあ隣にいる女の子は娘さんで?」
「…………」
全く伝わっていなかった。気づけばユリアは浩二の隣に可愛らしく佇んでいた。少し上目づかいで小首を傾げる仕草が如何ともしがたく庇護欲をそそる。
(フッ、メディアを連れている以上、ここで知らぬ存ぜぬを通されたら正直言って為す術もなかったが、まさか向こうの方から姿を現してくれるとはな。おそらくこの少女がユリアで間違いあるまい。隣のおっさんはいったい誰なのか謎だが)
ただのNPO法人であるアキラには当然ながらたとえ令状があっても家宅捜索をする権限などない。メディアを連れている以上力技で圧し通ることもできない。
ここで浩二にシラを切られたらおしまいだったのだが、ユリアの方から姿を見せてくれたのは僥倖である。
「そちらの方がユリアさんですね。わたくし、居場所のない少女を支援する活動をしている者でして……」
アキラの説明は殆ど頭に入ってこなかった。ただ概要はなんとなく分かる。端的に言えばユリアを引き取るためにここに来たのだという事。彼は児相のような公的機関の者ではないという事。
それにしても分からない。何故メディアを引き連れてきたのかが。
考えられるとすれば一つ。何らかの『圧力』をかけるつもりだったという事だ。そしてもしそうなら、浩二の初めの直感は当たっていたことになる。
後ろめたい事があるからこそそんな手段を取ろうとする。やはりこんな連中にユリアを渡すわけにはいかない、と浩二は固く決意する。
「何のことか分かりませんが、この子はうちで保護している娘です。何かの間違いでは?」
どうとでも取れるような物言い。自分の娘だとは一言も言っていないが、そう言ったようにも取れる。彼もテレビカメラの圧力をひしひしと感じており、迂闊な事を言いたくないのだ。言い終わって浩二はユリアに視線を送ると、ユリアは無言で小さく頷いた。どうやら彼女も浩二の意図を汲んでくれたようである。一歩前に出て口を開く。
「私はご主人様の下の世話がありますから、ここを離れられません!」
汲んでなかった。
メディア関係者らがゴクリとつばを飲み込む音が聞こえた。おそらくはこう考えているのだろう。「これ放送できんのか」と。
「ユリアさんに、下半身の世話を……?」
カメラの前であることも意識しつつ、アキラが慎重に口を開く。
「いや、あの」
狼狽えながらも浩二が弁解をする。もちろん下半身の世話などして貰っていないのだが、それを今ここで弁解する間などないし、したところで却って誤解を深めそうな気もする。
一瞬目を閉じ、浩二は覚悟を決めて言葉の先を紡ぐ。
「私の介護を、してもらっているので」