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遺伝子の終わり

作者: 臀部丸Rict

遺伝子の終わり


 巨大な毛皮を羽織った生き物が、一人。

「リファぁ、もう種無くなっちゃうよ」

 その大きな空間は、四方を囲む巨大な鉄板と、それをコーティングする銀色の薄紙、それからこれまた大きく、天井まで埋め尽くすほど伸びた金属製ラック。あとはそれらすべてを覆う薄い霜で出来ていた、

 全ての分子が動きを止める場所でただ一つ、温度を蓄えた生き物は、口から霜を吐き出しながら、今呼んだ自分の仲間を返事を静かに待つ。

「あと何袋ー?」

 この死んだ空間を抜け出す唯一の扉の向こうから、そんな声が聞こえた。

 毛皮を羽織った生き物は振り返り―――そのほとんどが今はがらんどうとなった―――ラックに積まれた唯一の袋を見る。

 頑丈な、透明な袋に包まれているのは、緑色の種子だ。

 それはいつかの以前、どこからか収穫されて、ここに保管された。袋には番号と特殊な記号の羅列がラベリングされていた。

 ここに、「ヒト」という生き物が何憶何万年と培ってきた英知の結晶ともいえる情報が詰まっている。この種子の持つ「遺伝子」の辿ってきた旅路の、過去と、これから辿るであろう未来の全てを、ここに示したのだ。

 文字だけで書き表そうものなら、地上の全ての地面を使ってなお足りないほどの「意味」と「価値」を、何倍、何十倍、何万何億倍も圧縮して、この小さな小さなラベルの一角に記した。

 袋の中で眠る種子にとっては、この死滅した世界において、それが唯一の存在価値だ。

 でも、そんなラベルの意味も梅雨知らず、お腹を空かせた生き物は空腹を訴えるお腹を毛皮の上からさすりながら、その種子の入った袋を持ち上げた。

「これが終わり」

 意味も無く、ただただ何の価値のない言葉は、白い霧になって宙に霧散する。景色と同化する蒸気は終りを明確に想起させた。それ以上を考えるのが恐ろしくなって、生き物はぶんぶんと首を横に振った。

 きっと自分の姉も、同じようにお腹を空かせているだろう。そう自分に言い聞かせる。

 両手で袋を抱えて、生き物は出て行った。鉄のブランケットとラックと―――無機質でできたその他全てと今は無価値でしかないその部屋を。

 電気が消えて、種子の冷蔵庫はその日、一万年の歴史を終えた。

「ほんとに終わりなのね」

「うん」

 大型ショッピングモールのように開放的で、そして空っぽな場所で、双子の姉妹は並んでその種子の袋を見た。

 かつては、もっと多くの人が住んでいた。でも今は持て余す全ての空間が、二人のものだった。

 一方の少女――ラヴィは、霜のかかった毛皮のジャケットを脱いで丁寧にハンガーラックに吊るした。もうそれを使う用事は、今後ないだろうから、わざわざ丁寧にする意味は無かった。

「ほんとはさ、もって来ちゃダメなんだよね?……ほんとは」

 恐れ多そうにラヴィが言う。

「そんなの今更だよ、それにあんな場所に置いてても役に立たないもの」

 落ち着いた様子で、リファが言った。袋を持ち上げてラベルの文字を少し凝視した後、戸棚からスキャナを取り出しラベルの記号を読み取った。

「これなら、温めてそのまま食べられそうね」

「何日持つかな」

「うーん、ガマンして少しずつ食べれば……一週間」

 二人のお腹が期を図ったように鳴りだした。

「……うん」

「無理だね」

 二人は暫しの間顔を見合わせて、堪えきれずに笑い合った。

 吹き抜けの天窓越しに、太陽が微笑んだ。


 炒った豆が、お皿いっぱいに盛りつけられていた。

 キッチンには温かみを持った香ばしい香りが充満する。

 流し台横のゴミ箱には、空になった種子の袋。

 人類の英知だったラベルの記号も役目を終え、今は無価値となった。

 何年か振りの贅沢に、二人は心躍った。

「かみのごかごがあらんことを」

「あらんことを」

 両手を組んで、いつもの文言を唱えてから、二人はスプーンを取った。

「結局おばさんとの約束、守れなかったね」

 ラヴィが豆を口に頬張りながら呟いた。

「懐かしいよねぇ……ラヴィがおばさんにべったりだった頃が懐かしい」

「リファだって同じじゃん」

「そんなことないよ、私にだけ厳しかったもの」

 リファは頬を膨れさせる。

 その様子を見て、ラヴィが満面のにやけ顔を溢す。

「何そのカオぉ」

「私さ、リファが隠れておばさんに抱き着いてるの知ってたんだよねぇ」

「あっ……」

 リファの顔が赤みを帯びた。

「だから私なんかよりよっぽど好きだったんだなぁって」

「もうぅ……」

 膨れながらスプーンを頬張るレアな姉の様子を、足をバタつかせながらラヴィは堪能した。

 それから少しの間、会話の無い静かな食卓で、二人は幸せの種を噛みしめ続けた。

 その時には終わりなど考える必要も無くて、ただひたすらにしあわせだった。

 そしてお腹が十分に膨れた頃、ラヴィが口を開いた。

「リファはさ、後悔とかしてない?」

 姉はすぐに、首を横に振った。

「……どうせ終りなら、言いつけ通り種子を残したままの方が良かったんじゃない?」

 それが無意味な問いだと、妹のほうも分かっていた。

「ううん」

 リファはきっぱりと言う。

「ねえ、ラヴィはさ、種子を残す意味は知ってる?」

「ううん、でも、大事なんだよね」

「……かつて、この地上に居たありとあらゆる生き物は、みんな遺伝子の乗り物だった」

 リファは、自分だけが育ての母から教わった過去の歴史を語り出す。


「始めはひとつだった遺伝子が、分裂し、それぞれが新たな形を取った。海の底から抜け出し、太陽の恵みを受け、他の者に恩恵を分け、または受けとり、ヒレで泳ぎ、足を付け、地上へ上がり、恵みの空へ肢を伸ばし、駆けまわり、飛び回り―――地上のありとあらゆる場所に遺伝子は満ちた。

 でもある時、乗り物だったはずの生き物が逸脱を始めた。

 その生き物は大地を刈り、空を焼き払い、毒を放出し、遺伝子の造り上げた生き物の世界を壊し始めた。短く、しかし致命的な時代のあとで、生き物はようやく破壊をやめた。でも、遺伝子はもう自分の世界を保てなくなった。

 均衡の崩れた世界でその生き物も以前の暮らしができなくなり、本当の意味で、ようやく自分たちの犯した罪を理解した。生き物は終わりを導いてしまったが、その過程でそれを修正する方法も学んでいた。賢く愚かな生き物は、自分たちの数を減らして真っ新に近い状態からの復興の道を選んだ。遺伝子で満ちていた世界を再興するための最小の生命をコロニーに詰め込み、外の世界を分子レベルで解体した。

 その復興計画は途中まで進んだが、やがて破綻した。残った彼らはみな賢かったが、その一人一人が賢過ぎたがゆえに、欺瞞が蔓延り、コロニー内で殺し合った。生き残った者の数は再興可能数に満たなかったので、彼らは復興を諦め、外の世界の雨が黒くなくなるまで、せめてもの種子を残し自らは緩やかに潰える道に進んだ、罪を軽くするために」


 深く呼吸をして、最後にリファは付け足した。

「残ったのが私とラヴィね」

 リファの語りをずっと耳を澄まして聞いていたラヴィは、訪ねた。

「今私たちがしてることって、どのくらいの罪なんだろ」

「さあ……かわいい妹の空腹を放ったらかすよりは軽いと思うよ」

「素敵!」

 ラヴィが両手で顔を覆った。そのしぐさに姉は笑った。

 今の二人には、全てが愛おしいように思えた。

「でもさ、罪って何なんだろうね」

 ラヴィが呟くその問に、答えられる生命体はもう地上にも―――宇宙のどこにもいないかもしれない。

「私もリファも、だれも殺したりしてないよ」

 それは厳密には誤りだったが、リファは言わなかった。

「私たちの親がしたことだから、私たちに責任が移った……って事かな」

「じゃあ、私たちに子供がいなくてよかったね」

「……ふふ、そうかもね」


 最後の一口を分け合った二人は、生まれの故郷を巡ることにした。

 ただひたすら広大なコロニーには、食を覗いて衣と住のありとあらゆる全てが詰まっていた。それに、ところどころ骸骨が転がったり、罠が残っていたり、争いの形跡が見受けられた。それらすべてが双子にとっては見慣れたものだった。

 骸骨の名前を呼んで話しかけたり、二人でファッションを見せ合ったり、家具をレイアウトして過ごしたり、創作を自慢しあったり……それらすべてが今までやってきた無意味な暇つぶしの繰り返しだった。

 それが最後というだけで、どうしてこうも楽しいのだろうと、二人は思った。

「ねえ、次はどうする?」

 家具屋の吊り椅子の上で揺らめきながら、リファが尋ねる。

「リファは何したい?」

「うーん」

 暫し思考を巡らせる。

 最後だから出来る何かを、リファは探しているようだった。

「天窓の梁のところ、何とか入ってみれないかしら」

「はり?」

「点検の時に入れる場所あるでしょ? たぶん天窓の柱にもあると思う」

「へぇー!」

 何年も住んでいていまだに知らない場所があるという事実に、ラヴィは思わず声が出た。

「二人だけの内緒」

 リファの冗談に、ラヴィが笑った。


「へぇ、案外広いんだねぇ」

「コロニー全体を支えてるからね」

 小さなこどもみたいにはしゃぐ妹に、リファは懐かしさを感じてしまった。それは自分がはるか前に失ってしまったものだったから。

 長くて何もない通路を、ずっと歩き続ける。時折、分かれ道があったり、収納容器があった。

「ねぇ、もしかして缶詰とか入ってないかなぁ?」

「みんな持ってっちゃったか、残ってても腐ってるよ」

 リファの言う通り、収納容器はほとんどが空で、たまに機材やら工具があるのみだった。ラヴィはその都度期待したり落胆したりしていたが、久々の探索は楽しそうだった。

「あれ、そういえばリファは来たことあるの?」

「……私は」

「あっ!」

 言葉を遮り、ラヴィが叫んだ。

 通路の隅に駆け寄り、そこにある何かを覗き込んだ。

 リファはどきりとした。

 それは人骨の欠片だったからだ。

「ねえリファ、これって骸骨だよね……砕けちゃってるけど」

「そうみたい」

 不自然なまでに砕かれた人骨は、ついさっきリファの話した争いの歴史を思い起こさせた。

 ラヴィの目は、珍しいものを見るようで、同時に悲しそうでもあった。

「きっと、一人で寂しかったよね」

 欠片を掬い上げ、ラヴィは語りかけていた。

 きっと海の底より深い慈愛というものを、ラヴィは持っているのだろう。純粋で、全く淀みのない心を持った妹に、リファは眩暈がするようだった。

 誰とも知らない、しかし元は生きていた骨の欠片に語り終えると、ラヴィは顔を上げて、姉の居たほうを振り返った。しかしそこに姿はない。

「ラヴィ、こっち来てみて」

 その呼び声は反対側の通路からだった。ラヴィは駆け足でリファの方へ向かう。

「どうしたの?」

「ほら、ここ」

 指で示したのは、白壁に薄っすら見える境界線だった。

「ちょっと押してみて」

 そう言われて、ラヴィは言われたように壁に力を加える。壁が少し奥へ進んだ。

「動いた!」

 驚きに目を丸くしたラヴィは、さらに強く壁を押す。リファも一緒になって押し続けると、やがて人一人通れるほどの隙間ができた。

「行こう、ラヴィ」

 驚嘆して立ち尽くすラヴィを後目に、リファが早くも壁の向こうへ行ってしまう。

 普段ならラヴィが急かす側だが、今に限っては逆なのも、{終わり}という言葉の魔法なのかもしれない。

 終わり。

 誰とも繋がらず、未来に続くものが何もない。存在目的の喪失。自己の消失。境界線の消失。

 それはきっと酷く冷たくて、苦しくて、本能的に知っている最初で最後の危険なモノ。

 そしてそれが、本当の死。


「私、来たことあるよ」

 リファは答えた。

 少し唐突だったのでラヴィは一瞬混乱したが、自分がさっき質問していたことを思い出した。

「そうだったんだ」

「おばさんと一緒に」

 一本道を進んだ通路の果てには、頑丈で重そうな金属扉がついていた。

 中央に開閉式ハンドルがあり、金庫のようにも見えた。

「どこに繋がってるか知ってる?」

 そう聞かれたラヴィは、少し考えて。

「そと?」

「正解」

 ラヴィは自分の心拍が跳ねるのを感じた。

 外。

 何度か夢見たことがある。このコロニーの外で、もっと近くで空を見たいと。

「……ラヴィ、行く?」

「行く!」

 即答したラヴィに笑いながら、リファも頷いた。

 二人して扉のハンドルを回し始める。重いハンドルを回し続けると、やがてガコンという音と共に、ゆっくりと金属扉が、外側に動き出した。

 それは二人の終わりをカウントダウンするかのように、静かに、少しずつ、でも確実に、開かれていく。

 姉妹は息を呑んだ。

 辺り一面がガラス張りの、見た目はさながら広大な湖の湖面のようだ。

 有無を言わず、二人は生まれて初めての外へと駆け出した。

「リファっ、こっち!」

「待って、ラヴィぃ!」

 無機質な水面を、この世界で二人だけの生き物が駆けていく。

 それを照らす太陽は、この宇宙ではもう完全に彼女たちの為だけのものだった。

 純粋な奇跡だ。

 二人は思った。

 ここに生まれ、互いに互いを認識し、それを姉妹と認めあえるのは、本当なら絶対にあり得ないことを知った。

 二人の生き物は走って、転げて、笑った。

 海底で生まれたちっぽけな一粒が、海よりも大地よりも空よりも、ずっと大きな喜びを生み出してくれた。

 でも、奇跡はここで終わり。



 ラヴィがその場で嘔吐しているのを見て、リファは、咄嗟に妹の名前を呼んだ。

 急いで駆け寄ろうとして、リファは自分を蝕み始めていた全身の気怠さに気付く。

 ふらつきながら、なんとかして倒れこんだラヴィの元へ辿り着く。

「なんか、外ってこんなに寒いんだね」

「ラヴィ……大丈夫?」

「うん」

 大丈夫なはずが無かったが、それは二人とも同じだった。肩を掴んで立ち上がろうとしたリファは、立ち上がる力が出せずにそのままラヴィと一緒に倒れこんだ。

 お互いの顔は、今まで見たことないくらい酷い色をしていた。でもラヴィだけは、変わらず幸せそうだった。

「もう終わりなんだね」

「……ラヴィ」

「寒い……」

 互いの体をきつく寄せ合って、際限ない怖気を誤魔化そうとする。

 細胞が壊れていく。

 終わりが来ているのを、二人はその肌でひしひしと感じ取っていた。

 リファは不安で仕方なかった。このまま終わってしまうのが、怖かった。

「ラヴィに言わなきゃいけないこと、あるの」

「うん」

 震えていて、でも力の籠った声で頷いた。

「あの、さっきの骨、おばさんなの」

 その言葉に、ラヴィは少し目を見開いた。でも、すぐ同じように頷いた。

「うん」

「私が殺しちゃったの……私が」

 締め付けられる心に体を丸めるリファを、ラヴィは静かに抱きしめた。

「その……口減らしにって、おばさんはラヴィを外に出して殺そうとしたの……ほら、ラヴィはよく食べるでしょ」

 消え入る声でそう言った後、リファははっとした。

 ラヴィの目が自分を見ていた。

 曇りなき目は、汚れた自分の心を見透かしてしまう気がした。

「ごめん、ごめんなさい、嘘ついた」

「大丈夫」

 ラヴィは力を振り絞って、姉の身体を強く抱きしめる。

「ごめんなさい、ラヴィぃ……ごめんなさい」

「だいじょうぶ、私はお姉ちゃんを嫌いになったりしないよ」

 リファは何度も謝り、吐血と嗚咽を漏らしながら、妹の胸の中で泣いた。

「一緒にいてくれてありがとう」

 ラヴィはそんな姉をもっともっと強く、抱きしめてあげた。


 太陽が沈みはじめた。

 水面は赤く輝き、浮かぶ二人の生き物は、今は互いに額を突き合わせて、丸くなっていた。

 さいしょの時みたいに。

 一つの遺伝子の旅は終わった。

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