4.吸血鬼、メリア
歩き始めて、どれくらい時間が経っただろうか。すでに外の音も聞こえず、ただ前を歩くメリアについていくだけの時間が過ぎていく。
ただ、二人とも無言で歩いているわけではない。
メリアは私の質問には基本的には包み隠さず答えるつもりらしく、いくつか彼女について分かったことがあった。
メリアの家は、王都から外れたところにある森の中にあるという。前から住んでいた場所らしく、普通の人間ではまず辿り着くことができないようになっている、とか。
影の中を移動するのと、外を移動するのではまた距離感も違うらしく、メリア曰く『そろそろ到着する』とのことであった。
家族は他にいない、というのは少しばかり親近感が湧く。
ちなみに、吸血鬼は人間を眷属にすることも可能だが、眷属となった人間は完全な吸血鬼とは違い、眷属を作り出すことはできないという。
眷属になった人間も吸血鬼と呼ぶ、と聞いていたけれど、吸血鬼側からすれば『眷属は眷属に過ぎない』とのことであった。
「吸血鬼同士、仲間はいないの?」
「仲間、というのはあまりないですね。徒党を組むほど弱くはない、というのが吸血鬼の信条らしいです。眷属は自身の配下になりますから」
「……私は、メリアの眷属になるってこと?」
「それはありませんね。眷属にするには、私の血を貴女に分け与える必要があります。そうすると、貴女の血の『味』が劣化してしまう可能性があるので」
あくまで、メリアは私の血が目当て、というスタンスは崩さない。
実際、こうやって誰にも見つからずに王都から脱出できるくらいなのだから、本当に彼女は私の血が好みで、言う通りに『パートナー』として迎え入れる予定なのかもしれない。
先ほどから話していて、なんとなくそんな風に思えるようになってきた。
メリアは紛れもなく人とは違うけれど、話しているとだんだん普通に思えてくる。
見た目自体は、私と変わらないくらいの年齢なのだ。
「そう言えば、メリアって何歳くらいなの?」
「私ですか? いくつくらいに見えます?」
「十五か、十六くらいにしか見えないけど」
「ふふっ、そうですか。若く見えるのはいいことなので、嬉しいですね」
「いや、喜んでないで教えてよ」
「私はあまり自分の年齢に興味がないので、具体的に何歳か、っていうのは覚えていないんですよ」
「じゃあ、百歳くらい、とか?」
「今度は随分とお祖母ちゃんになっていまいましたね」
「だって、見た目からだと分からないし」
「私の年齢、そんなに気になります?」
「いや、別にそういうわけじゃ――」
「止まってください」
「っ!」
会話の途中で、不意にメリアがそんなことを口にする。
私は彼女の言葉に従い、そこで足を止めた。
もしかすると、目的地に到着したのだろうか。
けれど、メリアはここから出ようとするような仕草は見せない。むしろ、何かを探っているような感じであった。
「どうしたの?」
「アンさん、私は影魔法について、先ほど『リスクや制約が付き物』、というお話をしましたね」
「……? うん、それは聞いたけど」
「では、そのリスクについてお話しておきましょう。まず、影魔法自体は外から一切干渉ができない、というわけではありません。たとえば、魔法を発動している時に作り出した『空間』にはいくつか外と繋がる出入口が同時に発生するわけですが、そこからなら魔法によって干渉することが可能です。つまり、腕の立つ魔導師であれば、この魔法の中に侵入することが可能なんです」
「! それって、誰かに入られたってこと……!?」
影魔法は誰にも干渉されないものだと思っていたが、どうやらそんな万能な魔法は、やはり存在しないようだ。
メリアが許可した者しか出入りができないのではなく、メリアが許可した者であれば誰でも出入りはできるが、無理やり入ることもきできる、ということ。
メリアの言葉から察するに、すでにここは安全な場所ではないということだろう。
だが、メリアは私の問いかけに首を横に振る。
「半分、正解ですね。ここに入ってくる人間の魔導師がいれば、確かに驚異ではありますが、少なくともこれほど早く、王都の側から私に追いつくことができる者はいないはず」
「それじゃあ、どうしたって言うのよ?」
「そうですね、回りくどい話はなしにして、もう一つのリスクについて説明しましょう。影魔法はその名の通り、『影』の中に魔力によって空間を作り出すことができます。ですが、その空間は別に『個別の空間』というわけではないんです。早い話、別の影魔法が干渉してくると、この空間同士が『融合』してしまう場合があります」
「別の影魔法と融合……? それって、今この空間は、誰かの影魔法を交わっているってこと?」
「理解が早くて助かります。まあ、要するに今、ここには私達以外の何者かがいる、というわけですが――嫌がらせを受けたみたいですね」
「嫌がらせ……?」
メリアの言葉と共に、ズンッと大きな足音が耳に届いた。
私のすぐ後ろからで、先ほどまでは存在しなかった気配だ。
まるでこの影の空間全体を揺らすような振動させ、感じてしまう。
私はすぐに後ろを振り返ることができなかった。
一体、何がそこにいるのか――先に振り返ったメリアの視線は、随分と上を向いている。
私も、メリアを真似るようにゆっくりと振り返った。そこには、
「ヒュウウ、ゴォオオオ」
大きな呼吸音。まるで大木そのままを武器としたような棍棒を握る、赤黒い肌をした『オーク』の姿があった。
通常のオークに比べると、明らかにサイズが大きい――さらに筋肉質で、今にも血が噴き出しそうなほどに、血管が浮き出ていた。
「な、魔物……!? こいつが影魔法を使ったってこと!?」
「少し違いますね。いるんですよ――こうやって、たまたま見つけた移動経路にわざわざ干渉して、自分の作った眷属を送り込んでくる、性格の悪い吸血鬼が」
メリアの口調は随分と淡々としていて、そして機嫌が悪そうであった。
私はオークを前にして、すぐに動くことができない。
動けば、すぐにでもオークの方が棍棒を振り回し、呆気なく潰されてしまう気がしたからだ。
「アンさん、少し下がっていてもらえますか?」
「……」
「アン、下がりなさい」
「っ!?」
メリアを聞いて、私は思わず驚いて振り返る。変わらぬ少女の声であるというのに、底冷えするような感覚があったからだ。
そこにいるメリアの姿は変わらない――だが、瞳は赤色のまま、それ以外の部分が黒色に変わっていた。
「この出来の悪いオークを作ったのは誰でしょうか。まあ、大体予想はつきますが……せっかく今日は良き出会いの日なんです。すぐに終わらせて差し上げましょう」
「フゥウウ、シュウウウウ――バアアアアアアアアアアアッ!」
大きく息を吐き出し、今度は大きな声でオークが叫んだ。
鼓膜が破れるのではないか、と思うほどの衝撃があり、私はすぐに耳を塞ぐ。
この生物はやばい――全身の細胞に理解させられて、身震いが止まらない。
だが、それ以上に危険な存在が、私の目の前にはいた。
「ガ……ッ!」
オークの声が途切れ、呻き声が響く。
オークの首は、メリアの腕から伸びた『赤色の剣』によって貫かれていた。
いつそれを出したのか、どこにあったのかも分からない。
気付けばメリアは武器を手にしていて、それを軽く振るう。
メリアよりも圧倒的に大きなサイズのオークの首は刎ねられ、宙を舞った。
さらにメリアが数回、刃を振るう。空中で切り刻まれたオークの頭部は、そのまま原型をとどめることなく細切れになった。
「この程度の雑魚を寄越して、私の手を煩わせないでほしいですね。さあ、終わりました。先に進みましょうか」
そして、何事もなかったかのように、メリアは倒れ伏したオークを背にして歩き始める。
この時、私は初めて――そして、本当の意味で、メリアという吸血鬼の実力を目の当たりにした。彼女は紛れもなく、最強の存在だと理解させられた。
「ああ、それと……」
メリアは歩きながら、こちらにわずかに視線を向けて、
「今の相手くらいなら、これから貴女でも簡単に倒せるようになりますから」
笑みを浮かべて、そう言い放ったのだった。