6
結局、昼頃から始まった水魔法のコントロールは夕方に差し掛かってもできることはなかった。割れたコップは数知れず。うっかりテーブルに手をついてしまい、手のひらがぱっくりと裂けてしまった。
「レイヴン様!」
顔を青くしたブルーベルが手のひらを抑える。
「気にしないでくれ。平気だ」
ブルーベルの肌は貴族の娘らしく、白く美しい。そんな手のひらが己の血で汚れることを恐れてレイヴンはすぐに手を離した。メイドからハンカチを受け取り、自分で抑える。
「こちらに医者は…」
「いない」
「そんな…!」
「定期的に来ることはあるが、それだけだ。このくらいなら血はすぐ止まるし、心配しないでくれ」
「心配いたします!」
焦った声音に、目元が緩むのがわかった。こうした、下心や恐怖心などがない純粋な心配をしてもらうことは前世ならいざ知らず、今世ではありはしなかった。
「ブルーベル嬢、ありがとう」
「……」
青い瞳がじっとレイヴンを見つめる。同じく見つめ返せば、諦めがついたのか眉を下げた。
「…わかりました。でも、今日はここまでといたしましょう」
「まだできるぞ」
「なりません。怪我をなされているのですから」
ブルーベルは頑なであった。メイドに持ってこさせた包帯をテキパキとレイヴンの手に巻き、微笑む。
「まだ始めたばかりです。焦らなくて良いのですよ」
「……そう、だな」
促されるようにこくりと頷いたレイヴンを見て、ブルーベルは「では、こちらを片付けましょうか」とメイドを呼んだ。メイド自身も、主人であるレイヴンに呼ばれるよりも安心なのかキビキビと動く。恐れられているレイヴンの指示では動きも鈍るのだろう。特に、ここに連れて来られた使用人達の殆どが下流貴族達なのだから。
「できた!」
一週間、水と格闘してようやっと己の意識通りの水の量を出現させることができた。キラキラと目を輝かせるレイヴンにブルーベルは嬉しそうに両手を叩いた。
「素晴らしいです!レイヴン様」
「ああ。嬉しい」
表面張力で溢れない水に安心する。一時期はうまくいかない苛立ちのあまり、洪水のように水を溢れさせてしまっていたから、ここまで進歩することができてよかった。
「お前達も、割れたコップの数々の片付けありがとう」
喜びのあまり、普段しないことをしてしまったと気付いたのは、その発言をした後だった。ブルーベルに向けていた笑顔のまま礼を言われたメイド達は肩をびくつかせ、オロオロと互いの顔を見つめ合わせた後、慌てて頭を下げた。
「それが私達の仕事でございますので」
そう言われて、眉を下げる。今まで冷遇し本人からも避けられていたメイド達との距離をブルーベルと出会ってから計り損ねてしまっていた。しっかりと引き締めなければ、と己を奮い立たせていた時だ。
「魔力の制御の成功…おめでとうございます」
頭を下げたまま、メイドの一人が言った。一拍間を置いて、もう一人も「おめでとうございます」と口を開く。
「……あ、りがとう」
そんなこと、今まであったこともなく咄嗟にブルーベルを見た。彼女はレイヴンを見つめ、嬉しそうに笑う。
太陽に反射し優しく光る青の瞳を見て、肩の力を抜いて、レイヴンも笑うことができた。