8.そんなこんなで文化祭
そんなこんなでやってきた、文化祭当日。
早朝から、ぼくらは学校に集まり、開催の準備をした。
当日の天気は秋晴れ。雲一つないといっていい快晴だった。この天気は一日継続する予報だった。
そして気になるこの日の気候は、ニュースキャスターの言葉を借りれば、「平年を下回る寒さ」。
ギャンブルの勝ちは濃厚だった。
そんなぼくらの模擬店の準備は、午前中の早いうちに終わった。
ただし最も売れるお昼に合わせて、長い時間をかけて、おでんを煮込んでおく必要がある。
ぼちぼち買う人が増えてくるはずの午前十時半まで、時間ごとに、五、六人ぐらいの担当の生徒が割り振られる。
その他の生徒は、特にやることもなかった。
ぼくも早々と担当の時間を終えると、クラスメイトの男子と校内を回った。
人ごみを避け、美術部や、書道部の展示から回る。
その後、校内を一通り巡る。
その途中で急な人ごみと遭遇した。
狭い廊下の向こう側から、スマートフォンを宙に掲げたきゃあきゃあと騒がしい集団が、後ずさりしながらぼくらに近づいてきていた。
「あれ、たぶん例のユーチューバーだな。動画でもとってるのかな」
クラスメイトの一人が、そんなことを口にする。
だが三年生らしき先輩たちが集まっている背中が見えるだけで、『らおたんチャンネル』の二人は目視できなかった。
「俺、見にいってくる」
「あ、俺も」
ミーハーなクラスメイトが二人、ぼくらから離れてその集団に加わった。
残ったぼくと二人のクラスメイトは、そのまま集団を避け、校内見物を続けた。
体育館の中では、カラオケイベントの準備が進んでいた。
工事現場にあるような赤い三角コーンと、黄色と黒のしましまのポールで、ステージを中心とした半分程度が立ち入り禁止にされていた。
ステージには、多くの音楽機材や照明がセットされている。
その機材の操作や演出は、『らおたんチャンネル』が用意したスタッフがやってくれるらしい。
「なんだ、ずいぶん本格的だな」ステージを遠目に眺めながら、クラスメイトが感心したように言う。「ユーチューバーって、金になるんだな」
ぼくはその本格的な機材が、水原の心理にどのように働くのか、少し心配になった。
「どうしたの、近藤。ぼんやりして」
「いや、水原、あんなとこで歌えるのかな、と思ってさ」
クラスメイトはじっとぼくの顔を見つめ、それから軽い口調で言う。
「だいじょうぶだろ。水原さんって結構、歌うまいんだろ」
彼はカラオケのメンバーにはいなかった。
だから、水原の歌を噂でしか知らない。
そしてまた、当然のことながら、水原の本当の歌を知らない。
そのあたりのことを説明するわけにもいかず、うまく伝えられる自信もなく、ぼくは自分の心配を表現することを諦めた。
「ま、なんとかなるか」
楽しみにしていた文化祭も、校舎を一通り回ってしまうと、あとはそう目新しいこともなかった。
同級生がやっているメイド喫茶や、お化け屋敷なんかを無心で楽しむわけにもいかない。
結局、再集合時間である午前十時半が来る前に、多くのクラスメイトが自分たちの模擬店へと戻ってきていた。むろんその中には水原もいた。
「あのステージ、見た?」
どこからか手に入れたらしい、ソフトクリームをなめていた水原にそういう。
彼女は渋い顔をした。
「甘いもの食べてるときに、そんなこと思い出させないで」
多くのクラスメイトが集まってきていたのは、結果的には正解だった。
晴れていて、さほど風も吹いていないのに、お昼が近づいても気温は一向に上がらなかった。
結果、おでんがよく売れた。
予想よりも早い午前十時から、多くの人手が必要になっていた。
あらかじめ仕込んであった具材は早くも在庫がつきかけてしまった。
減り具合を見て担任が用意してくれた新たな材料を、女子たちが家庭科室を使い、手分けして緊急の下調理を行った。
そんな中で、料理があまりできず、手際も悪いらしい水原は、最初のうちはただ、あわあわとしているだけだった。
そうしていつの間にか家庭科室と模擬店の間で具材を運ぶ男子のグループに混じって、働いていた。
ぼくはその具材を受け取り、おでんとして提供できるように、ひたすら煮込む作業を行っていた。
広い鍋の前に立ち、具材が売れていく矢先からどんどんと補充を行った。
味がしみこんでいくのを待つ余裕も、味見をしているヒマもなかった。
店頭に立ち、販売を行っているクラスメイトが、まだ薄味だろうと思われるおでんを持っていった。
ぼくはそんな様子を横目で眺めていた。
そうでもしていなければ、売れ行きに手が追いつかなかった。
そして、そのあたりのどこかで、水原の姿が見えなくなった。
サボったわけではないらしい。
そろそろカラオケイベントの時間が近づいてきたので、クラス委員にかけあって、そちらの方へ向かったらしかった。
正午を迎えたとき、ぼくは時計とにらめっこをしていた。
他の出場者はさておき、水原のステージだけは見ておきたかった。
しかし午後になってもおでんの売れ行きは一向に衰えない。
おでん作りの延々と続く単純作業に、やがてぼくはすっかり集中し、時の流れが過ぎ去るのを忘れようとしていた。
そんなとき、不意に、クラスメイトの男子がいった。
「近藤、体育館に行かなくていいの?」
ぼくはその言葉で我に返り、時計へと目を向けた。
イベント開始時刻である午後一時の、五分前になっていた。
にも関わらず、未だに模擬店の前にはお客であふれている。
やむを得ず、ぼくは言った。
「こんなとき、手を離せないだろう」
「そんなことないよ。みんな、結構サボってる。ユーチューバーを見に行きたいんだろ」
確かに周りを見渡すと、クラスメイトの何人かが姿を消している。
どうりで忙しいわけだ。
「ひどいクラスメイトたちだな」
「だから、近藤だってサボっても構わないよ。これだけ売れたんだから、いま出来てるやつだけ売り切っちゃえば、それでいいさ。それより近藤は、彼女の晴れ姿を見てこないとダメだろ。あとで怒られるぞ」
ぼくは額の汗をぬぐい、クラスメイトに言った。
「彼女? 誰が?」
「水原さん。あれ、お前たちって付き合ってないの?」
ぼくは首を横に振った。
「ただのカラオケ仲間だよ」
「はたから見てると、そうとは思えないけど。まあ、それならそれで、カラオケ仲間の晴れ姿だって、見る必要はあるんじゃないのか?」
ぼくは少し考え、それからずいぶん長いこと着用していたエプロンを外した。
「その通りだ。だけど、本当に任せてもいいのか?」
「何度言わせるんだよ。さっさと体育館に行ってこい」
サムズアップしてぼくを送り出すそのクラスメイトに、ぼくは大きくうなずいて走り出す。
ひどいクラスメイトもいれば、頼もしいクラスメイトもいるものだ。
そして模擬店の暑い調理場を離れるにつれ、なんだか頭の中が冷静になってくる。
なぜぼくはあのクラスメイトと、あんなテンションでやり取りしたのだろう?
どうしておでん作りに、あんなにも使命感を燃やしていたのだろうか。
調理の熱で、自分で考えていた以上に、ハイになっていたらしい。
とはいえ、イベントのはじまる時間に体育館へこれたことは、確かに感謝しておくべきことなわけで。
廊下の先には、体育館の入り口が開かれていた。その奥は、暗くなっており中が見えない。
すでにイベントははじまっているらしく、歓声が聞こえてきていた。
その歓声に招き入れられるようにして、ぼくは足取りを早め、そうして体育館の中へと足を踏み入れた。