6.つまり、ハードルが低い
カラオケからの帰り道で、駅へ向かうのはぼくら二人だけだった。
つまりさ、とその道中でぼくは水原に言った。
「みんな、本当の水原の歌を知らないんだ。声が小さくて歌が下手な人だと思われてるから、あの歌で十分、うまく聞こえる」
ちなみに水原の後で、ぼくも歌った。
その結果は当然、ひどいブーイングと爆笑の渦だった。なんでお前はそのままなんだ、という声も聞こえた。
みんな、水原がうまくなっていたのと同様に、ぼくも多少はうまくなっていることを期待したらしい。
「ハードルが低いってことだよね」水原がぼくの言葉を受けて言い、続けてつぶやく。「それもなんだか、悔しいな」
普段からハードルをあげないよう、歌がうまいのを隠しているくせに。
「……だけど、水原は安心できたんじゃないの」
彼女が考えるときに訪れる、ちょっとしたタイムラグ。
「どうして」
「だって、あのぐらいでも歌えれば、みんなはそれなりに満足する。ハードルが低いことがわかっていれば、緊張だってあんまりしないだろ」
「そっか。……そうかも」
少しはほっとしたらしい。
カラオケコンテストの出場を聞かせて以降、彼女ははじめて明るい表情をみせた。
「でもあのぐらいの歌じゃ、歌手への道は開けないけどな」
「あっ、すぐそういうこと、言う」
「だってそうだろ? お前はもっと、圧倒的にうまい歌が歌えるんだから。あのぐらいの歌でよし、なんて思ってたらダメだよ」
「……それは、そうだけど」
「だからさ、時間があったらまたカラオケ行こうぜ。『らおたんチャンネル』の曲、練習しにさ」
うん、とうなずき、それから、水原が唐突にたずねてきた。
「なんで、近藤くんって、そんなにわたしのカラオケに付き合ってくれるの?」
ぼくはその言葉の意味がのみこめない。
変な顔をしていると、やがて水原が付け加えてくる。
「だって、家でもカラオケ出来るんでしょ。動画サイト見ながら、歌ってるって」
そういうことか。
「それは、また、本物のカラオケとは違うじゃないか。水原の歌だって聞きたいし」
「そこも気になるの。他の人のカラオケなんか聞いて、楽しい?」
「そりゃ、楽しいよ。水原と同じで、ぼくも歌が好きだし。好きな曲をうまく歌っているの聞いて、楽しくないわけがない。当然のことだろ」
水原はその答えを聞いて、なぜか唇を尖らせる。
不満があるのを示すその表情だけれど、なぜそんな顔をされるのかわからない。
「どうしたんだよ、水原。なんかぼく、悪い事でも言った?」
そのときのタイムラグは、少しばかり長かった。
「そうじゃないけど」それから少し首をかしげて、続ける。「わたしばっかり、近藤くんに利用されてるみたいで、なんかやだ」
「やだって……お前だって、ぼくの歌を聞いて喜んでるじゃないか」
「喜びのレベルが違うと思わない?」
そりゃまあ、確かに。
水原は馬鹿にして喜んでいるだけだし。
「コンテストにも出ろ、って言って、出させられるし」
「うーん……」
「みんなの前でわたしの歌、うまく歌えたら、なんかちょうだい」
水原にしては、ずいぶん即物的なことを言う。
とはいえ、まあ、何かモチベーションをあげるきっかけになるものがあっても、悪くないような気もした。
「じゃあ、いいよ。何かそれなりのもの、あげる」
「やった」と、本当に小さなガッツポーズをして、水原が言う。
「でも、何がいいの」
「……それは、まだ決めてない。うまく歌えたとき、近藤くんに改めてお願いする」
「んー?」
水原は、どんなものが欲しいのだろう。
まあ、車とか常識はずれなものは断るとして、CDアルバムとか、そのぐらいのものだったら買ってやろうかと考える。
「近藤くんからのご褒美か。少しは、やる気出たかも」
つぶやくようにそういって、水原はにっこりと笑った。