4.やっぱりわたし、やめようと思う
放課後の教室のメンバーは、いつもと変わり映えしない。
部活のない、帰宅部の人間たちが緩いつながりの中でだべっている。
以前は放課後になるとまっすぐ帰宅するだけだった水原も、今はその輪の中にいる。
かつて、水原は地味で、本を読むのが好きなクラスメイトだと認識されていた。少なくともぼくはそう思っていた。
だが今ではあんまり積極的に発言はしないが、世間知らずでどこか感性のずれた、一緒にいると不意に何か面白いことをいうやつ、というキャラが定着していた。
その日もそんな緩い放課後メンバーの中に水原はいた。
だが彼女はただ会話のために教室に残っていただけではなく、ほかに明確な目的があったらしい。
ふんふん、と誰かの話を聞いてうなずいている最中、教室に戻ってきたぼくを発見すると、席を立ってこっちへ近づいてきた。
「近藤くん。あの、例の話だけど」
きたな、とぼくは思った。
「何の話?」と、わざとしらんぷりしてやる。
「あの『らおたんチャンネル』のカラオケコンテストの話。あれ、やっぱりわたし、やめようと思う」
真剣なトーンでそんなことを言う。
「ぼくのススメに従っていれば、悪いことにはならないんじゃなかったっけ?」
「ほら、たまには近藤くんも間違えるかなって思って」
黒い長い髪をなでつけながら、平気な顔をして前言を撤回しにかかる。
このあたりの根性というか、図太さにはある意味感心する。
なのに他人の前ではうまく歌えない。
それは、それだけ水原が歌に自負を持ち、歌に賭けているという表れかもしれないけれど。
とはいえ一度承諾させた以上、ぼくもそう簡単に退く気はないわけで。
出来るだけ軽いトーンでぼくは言ってやる。
「あー、ごめん。あれ、もう応募してきちゃった」
「え」
「希望者はそんなに集まらないと思うから、出場は当確だと思う。がんばれよ、水原」
水原は目を見開いて、この世の終わりだとでもいうような顔をしている。
そして水原が何か言いかけるその前に、耳ざといクラスメイトの男子が遠くから話しかけてきた。
「近藤たち、何の話してんの」
ぼくは少しためらい、それから、彼らを味方につけることに決めた。
「水原がさ、カラオケコンテストに出るって話。あの『らおたんチャンネル』の」
教室に残っていた全員が戸惑う、その一瞬の空白。
「ちが」とタイムラグから復帰した水原が、否定にかかる言葉にかぶせるように、ぼくは強めに言った。
「ぼくに任せるって言ったもんな?」
「うっ」
そう言ったっきり、彼女は唇を尖らせ、上目遣いにぼくをにらむ。
言ったのは、間違いなく事実だ。
「ねえねえ、美紀子ちゃん、本当にコンテストに出るの」
「水原って、歌、うまかったっけ?」
そう水原にたずねるクラスメイトたち。
顔を赤らめ、唇をかんでうつむく水原に代わって、ぼくは言った。
「少し前にみんなでカラオケにいったことあるじゃん? あれから結構練習したのだよ」
そうして集まってきた何人かのクラスメイトがぼくに言う。
「水原さん、嫌がってない? だってなんかそういうの、苦手そうだし」
「近藤、水原のことあんまりいじめるなよ」
冗談交じりではあれど、半ば本気のクラスメイトにぼくは答える。
「水原だって、いいよ、って引き受けてくれたんだってば」
そうしてぼくは水原に目を向け、「な?」と声をかける。
うつむいていた水原は、あきらめたように、しぶしぶうなずいた。
うすうす気づいていたけれど、やっぱり、強引な展開に弱い水原だった。
「へー、すごいな、美紀子ちゃん。私だったら、とても無理」
「……わたしだって、無理。わたしが歌うくらいなら、近藤くんが歌えばいいと思う」そう言うとクラスメイトのみんなが鼻で笑う。ぼくの音痴は有名だ。「でもなんか、もう申し込みしちゃったみたいだし」
「そういうわけだ」
ぼくがそう補足すると、なぜかクラスメイトのみんなが拍手をする。
自分が変に目立つのは嫌だけれど、クラスメイトが目立つのは、不思議と歓迎したい気分らしい。
「でも水原さん、『らおたんチャンネル』の曲、知ってるの?」
「……知らない。さっき歌ってるの、ちょっと聞いたぐらい」
「じゃ、今から練習に行こうぜ」
クラスメイトの男子の一人がそんなことをいう。
いつか、似たような展開があったな、とぼくは思い出す。
「カラオケか。いいね」
「美紀子ちゃんがいくなら、私も行く」
「もちろん、俺たちもだな」
そんなこんなで、やっぱり放課後に残っているクラスメイトのほとんどが、カラオケに行くことに決まった。
そうして最後にぼくは水原に聞いた。
「いこうぜ、水原。いい練習になるぞ」
水原はぷいとそっぽを向いてぼくに応じた。