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1.悪くはないのだけれど

「今度の文化祭に、『らおたんチャンネル』が来るんだってさ」


 そんなクラスメイトの男子が発した聞きなれない言葉の羅列に、ぼくはたずねる。


「何それ」

「知らないの? 音楽系ユーチューバー。なんか、文化祭で歌のコンテスト企画やってくれるらしいよ。生徒会ががんばって、呼んでくれたんだって」

「ふーん」


 クラスメイトは興奮している、とまではいかないものの、声を弾ませてはいた。

 それなりに有名なユーチューバーなのだろうかと思う。ぼくはまったく知らなかったが。


 部屋のパソコンで、ユーチューブを眺めることは多かった。だがユーチューバーのことはほとんど知らなかった。

 ぼくは主にユーチューブを、カラオケの練習にしか利用していない。


「なんだ、興味なさそうだな。仕方がないか、近藤、音痴だもんな」

「それ、関係ないだろう」


 クラスメイトの男子はにやにや笑うと、また別の男子に呼ばれて、席を立った。

 すでに放課後になっている。じゃあまた明日、という彼に対して、ぼくは軽く片手をあげて応じた。


 その日、ぼくには特に用事はなかった。

 放課後の教室では、クラスメイトもすでに半分ほど姿を消していた。

 そろそろ帰るか。そう決めて立ち上がろうとしたそのとき、目の前にまた別のクラスメイトが現れる。


「近藤くん」そのクラスメイトの女子は椅子に座ったままのぼくを見下ろしながら言った。「今日の放課後、時間ある?」

「あるよ」ぼくは立ち上がりながら、彼女に聞いた。「なに、またカラオケでも行きたいの?」

「うん」目の前にいるそのクラスメイト、水原美紀子はうなずいて答えた。「そろそろ近藤くんのド下手な歌も聞きたいな、って思って」


 彼女はにこりとも笑わずにそんなことを言う。それが冗談なときも、そうでないときもある。

 ぼくはもう、面倒くさいからいちいちつっこんだりはしない。

 代わりに別なところに触れてやる。


「そろそろ、って、先週もカラオケに行ったよな」

「一週間も空けば、近藤くんの歌だって過剰摂取にはならないだろうし」

「ぼくの歌、別に毒物でもなんでもないんだけど」

「それで、どうするの。カラオケ、行く?」


 ぼくの答えは決まっていた。実際、ぼくの方でもカラオケにはいきたかったし、水原の歌も一週間ぶりに聞いておきたかった。

 うん、とうなずいたぼくの返事を聞いて、水原はそのときはじめてにっこりと笑った。




 水原美紀子というクラスメイトがいて、時々、二人で一緒にカラオケに行く。

 仲良くなったのは、この半年ぐらいの話でしかない。


 半年ほど前、つまり今年の春に同じクラスになった後もしばらくは、ぼんやりとしていて静かな水原とは、ほとんど話もせず、全然親しくもなんともなかった。

 そんな水原とまともに会話をするようになったのは、彼女の歌が、とんでもなくうまいということを知ったからだった。


 プロ並みか、あるいはそれ以上にうまく歌える水原は、残念なことに、極度のあがり症だった。

 人前ではこっちが恥ずかしく思えるほど、緊張のために声が全然出なくなってしまう。


 だけどもいま、そんな水原はぼくの目の前で、駅前のカラオケの暗い部屋の中で、最近練習しているハイテンポなラブソングを歌っていた。

 流行っている曲の中でも難しいはずのその歌を、水原は平気で歌いこなしている。

 水原が最後のフレーズを歌い終え、アウトロが終わると、ぼくは言った。


「それにしても、水原、ぼくの前なら普通に歌えるようになったよな」


 水原は小首をかしげ、長い黒い髪を揺らして答える。


「まあ、それは、慣れたし」


 はじめは、スマートフォン越しに、ぼくに歌を聞かせるのすら恥ずかしがっていた水原だった。

 なのに今では、顔を突き合わせていたって何のためらいもなく歌える。


「じゃあさ、また、他のみんなともカラオケに来ようぜ」


 そう提案すると水原は、うっ、と声を上げたきり、言葉に詰まる。

 やっと言葉が返ってくるまで、少々のタイムラグ。


「それはまだ、少し、きつい」


 ぼくの前で普通に歌えるようになってから、もう二か月の時が流れていた。


 ぼくは彼女をみんなの前で歌わせることを目標としていた。

 こんなうまい歌、誰も知らないまま埋もれているのはもったいない。

 最初の一か月半で、二人でカラオケに行けるぐらいにはなっていた。

 まだ声は小声で、恥ずかしそうに歌っていたが。

 次の半月で、水原は今のようにぼくの前で平気で歌えるようになった。


 そこまでは順調だったが、その後の二か月間はどうも、水原は足踏みをしている。

 というより、なんだか今の状況に甘えている。


「そうやって人前で歌うのを苦手そうにするから、より苦手になっていくんじゃないの」

「うーん……うーん」


 うなりながらも、水原は、次の歌を選曲するためのタッチパネルを操作していた。

 やがて、最近ぼくがもっとも練習している曲が流れだし、水原がマイクをぼくに向ける。


「ほら、今度は近藤くんの番。いつもの盆踊りバージョン、はじまるよ」


 この曲には盆踊りバージョンなんてものはない。

 だが、ぼくが歌うとそんな感じに聞こえるらしい。

 ぼくはごく真剣に歌い、そして水原が、あははは、と声を上げて笑って、手を叩きはじめる。


 まあ、悪くない。

 悪くはないのだけれど。

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