八話 テスト勉強と音楽
「お前、勉強しねーの?」
「え?」
ポータブルゲーム機で遊んでいた俺に、蒼汰がそう声を掛けてくる。
「やってるじゃん、真面目に授業聞いてるよ?」
「そんだけでいいのか……?」
「まぁね。俺は毎度思うんだけど、テストってのは普段の学力を測るもんだろ? そのために勉強でかさましするって、なんか変じゃね?」
「ムチャクチャ言ってやがるなお前。健康診断も引っかかったら嫌だろ? だから一週間前から全食ソバの通過方法とかあるんじゃねーか」
いや、普段通りにしてろよ。
「くそ、英語もムズくなってきてるしよォ……」
「それ訳が違うよ、なになにしてきた、っていうやつ。現時点でそれをしてる状態って意味。現在完了形だね」
「……お前、オレに勉強教えてくれる気あるか?」
「別にいいよ。暇だし」
「すまん、今度なんか奢る」
蒼汰の勉強に付き合って、俺自身も復習の機会を得る。
得意なのは古文のようだ。すらすらと解読していく。
そして、英語になると詰まる。
「英語苦手なんだな、蒼汰」
「日本にいるんだから日本語だけでいいと思わねーか?」
「ま、それは確かにね。でも、外国人のお客さんが来たらどうするの? 最低限、単語だけでも喋れる方がいいと思わない?」
「酒屋でどういう風に使うんだよ」
「そちらの日本酒はどういう風味ですか? と英語で聞かれたら?」
「え……!?」
「そんな時、It's smoky.とか、Fruityとか、Mellow tasteとか言えるようになれれば、接客の幅も広がるよ」
「……どういう意味なんだ?」
「最初のスモーキーは煙たい感じ。フルーティはまんまだね。甘く果実のような風味がする。最後のはまろやかな味って意味だよ」
「……どれも酒で使う」
「だろ? ま、覚えておいて損はないから」
「お、おう」
文法と単語をひたすらに教えていく。
英語と国語はよく似ている。数をこなすしかないんだ。
漢字なんかを覚える時と一緒で、一度見て覚えられなかったら、反復するしかない。
できるまでそれをやり続ける。これが近道。
「サンキュー、吾妻。すげえ捗った。あ、あと昨日のノート取ってないか?」
「取ってはないけど、黒板の板書は丸暗記してるから、書いてやろうか?」
「……お前、何モンだよ……。まぁ、頼む」
ガリガリとチョークで脳内の板書を再現する。
五分ほどで完成。
「ほい」
「……なぁ、あれあってんのか?」
「……合ってる。全く一緒だ……」
同じく勉強で居残ってたメガネ君が驚いていた。
「内容も反復してやろうか?」
「マジでか! 頼む!」
「お、お願いします!」
「分かった」
自分達が問題を解く時間を削り、二十分の授業を行う。
先生の言動を完コピしているだけなので、役に立つかどうかは不明だ。
「現在完了形のこれは、先生がテストに出すっつってたぞ」
「マジか……」
「聞いとけよ……」
「英語とか眠いだろ!」
「いやキレられても……」
その日は、みっちり勉強した。
「う、うう……」
目の前には、ミニテストの結果。
四十点。
椎名柚葉の苦手科目は、数学だった。
「あのねえ、ゆずちゃん。俺の友達じゃないんだから、ちゃんと勉強しとかなきゃ……」
「ほっといてください!」
「ほっとけないよ。ほら、教科書出して。教えてあげるから」
「す、すみません……」
「いいよ。他ならないゆずちゃんだからねぇ」
親戚で唯一仲がいいこの子を放っておけるわけがない。
そもそも、高校一年生の中間テストなんて、中学の復習みたいなもんだし。
「絶対私立文系にします……それまでの我慢です」
「そだね。最低限は取れるようになろう」
数学は数式を当てはめていけるか、に掛かっている。
これも反復するしかない。
適当な問題を量産して、ゆずちゃんに解かしていく。
「お兄さん、自分の勉強はいいんですか?」
「俺、テストで九十点以下を取ったことないよ」
「うぐっ……!?」
「だから、安心して勉強に励みなさい」
「はーい……」
うーん。
やっぱ、俺は普通じゃないのかなぁ。
うすうす気が付いてはいたけど、俺も兄貴と同類なんだろうか。
でも、関係ないな。
打ち込むものを、絶対に見つけてやろう。
テストは、無事に終わる。
成績表が貼りだされるが、これは結構珍しいらしい。
「あ、やべ」
そう言えば手を抜くの忘れてた。
現代文の小説読解で一問△だった場所以外は満点を取ってしまっていた。
こういう時、何が起こるか。
経験上、面倒なことが起きる。
『二年二組の東雲吾妻君。生徒指導室まで来なさい』
ほらね。
「お前、何したんだよ」
「成績トップだから、多分特進コースに編成を要求されるよ」
「うわぁ……。で、お前はどうすんだよ」
「断るに決まってんじゃん。勉強なんかに時間割いてるわけにゃいかないの」
「そ、そうか」
言われた通り、生徒指導室にやってきた。
「どもです、郡山先生」
「座りなさい」
彼女の対面に腰を下ろす。
やっぱ郡山先生か。二年一組、特進コース担任。
「貴方が、こんなに勉強できるとは思ってなかったわ。馬鹿と天才は紙一重ってよく言ったものね」
「馬鹿だと思ってたんすか……」
ひどすぎるだろ。
「率直に言うわ。特進クラスに入りなさい」
「嫌でーす」
「なんで?」
「俺は、高校生活の中で、かけがえのないものを見つけたいんです。勉強なんかに構ってる余裕はありません」
「学生の本分は勉強なのだけれど、理解しているのかしら?」
「ぶっちゃければ、勉強に興味ないっす。ほら、ちゃんと勉強してなくても成績はこういう感じだから問題ないと思うんですけど。大丈夫っすよ、次からは手を抜くんで」
「……まぁ、成績は問題ないわね。でも、その才能は腐らせたらダメよ。貴方は、もっと凄い人間になれるの」
「俺、例えば、官僚とか総理大臣を凄いとは思いませんよ」
「……変な人間ね、貴方。じゃあ、社長とかはどうなのかしら」
「そりゃ自分で商売して成功してるのは凄いと思いますけど、俺には関係ないですね。楽しく暮らせるんなら、俺ホームレスでもいいし」
「子供ね……」
「そりゃそうよ! 俺子供だもーん。だから、子供のうちに打ち込みたいものか心が熱くなるようなこと、探すんだい!」
「……見つからなかったら?」
その一言が、サクッと胸に突き刺さる。
「貴方が見つけようとしている、かけがえのない打ち込めるものを探す。素敵な事だと思うわ。でも、見つからなかったら? 現実に折り合いをつけて、生きるしかない。そんな時は、どうするの?」
「……まぁ、そん時はそん時でしょ」
「そのための保険、というのも悪くないと思うの。うちの特進コースは偏差値七十二よ。大抵、どこの大学でも希望がある。選択肢を広げるためにも、悪くないんじゃない?」
「ヤダ」
「……まぁ、そう言うと思ってたわ」
「じゃあ何で呼んだんすか」
「一応伝えておかなければならないしね。後、もったいないと思って。誰にでも、できることではないのよ」
「……はい。でも、俺は嫌なんです。みんな、打ち込めるものや好きなものを見つけてるように見えるんです。でも、俺はトクベツ好きって言うものがない。先生はなんかあります?」
「……音楽が好きよ。ヴァイオリンは今でも続けているし……時折、コンサートに行くのも楽しいわ」
「ほら、そう言うのが……俺には、ないんすよ」
「……じゃあ――」
何でこうなった。
「吹奏楽部の新入部員を紹介します。幽霊部員の予定だし、コンクールとかには参加させないけど……東雲君、自己紹介を」
「あー……東雲吾妻です。サッカー部と掛け持ちします。そういや楽器は試したことないなーって思ったので、よろしくお願いします」
まばらな拍手が飛んでくる。
音楽を好きになる可能性があるなら、やってみろとのことで連れてこられた。
言うだけあって、いろんな楽器がある。
「うちは軽音楽部もやっているの。どう? みんな、一曲披露してくれないかしら」
「分かりました」
構えをとる。
演奏が始まった。
こんな近距離で演奏を聞いたことがなかったが、中々腹に来るサウンドだ。
クラリネットが躍る、サックスが跳ねる、チューバが音域を押し上げ、パーカッションが盛り立てる。
何の曲だろう。
知らない曲だ。
でも、全員が一体となって――あ、今、フルートがミスった。
全体的にミスは少ない。
けれども、何というか……
兄貴といったオーケストラコンサートが与えてくれる、高揚感のようなものが、欠けていた。
演奏が終わる。
「どうだったかしら」
「うん、いいんでない?」
「率直に言ってくれて構わないわよ」
「地方のコンクールで銅賞くらいなんじゃない?」
全員が唖然としていた。郡山先生も驚いている様子だった。
「貴方、分かるの?」
「印象はそんな感じ。演奏は技術的には申し分ないんだろうけど、なんか、感情が伝わってこない。全体的に硬いよ」
「……貴方、どんな音楽を聴いてきたの?」
「無節操に。でも、オーケストラとか吹奏楽団とかは兄貴の付き合いで何百回とか見てるから、耳が肥えてるのかも」
「……なるほど。じゃあ貴方が何かやってみなさい」
「って言われてもなあ……。あ、先生のヴァイオリンも聞きたいな」
「……もう」
ケースを取り出すと、弾き始める。
ゆっくりとした入りに、中盤の激しい主張、からの、後半の穏やかな流れ。
なるほど、そうやって弾くのか。
「ふう……」
「貸して。それなら弾けそう」
「あのねえ、さすがにヴァイオリン素人がやれる曲じゃないから。というか、素人がヴァイオリンを弾けるわけないでしょう」
「まーまー、貸してくださいよ」
渋々、貸してくれる。
俺は弓を引いて、音階を確かめていく。
「え!? ひ、弾けているの!?」
「……――――」
集中。
楽曲は、ギャルゲーのケルティックアレンジから。
音楽は、やってる時は楽しい。
段々と気持ちが乗り始める。
体がリズムとメロディーに突き動かされて揺れていく。
引く弦が、弓が、勝手に動く。俺の感情に合わせて音を奏でていく。
「……ッ!」
終わる。
またもや、全員が唖然としていた。
「ありゃま。どしたの? 下手だった?」
「貴方、本当に素人なのよね……?」
「えー? 先生の手本見ればどういう楽器かわかるし、弾けるじゃん」
「おのれ天才め……」
全員が俺に向かって拍手をくれる。
なんか照れ臭いな。
「東雲君、そうやって音に感情を乗せるってどうやったらできるの!?」
「ああ、これは……譜面守らないとーとか、絶対リズム取らないとーとか思ってると出ないよ。自然と滲み出てくるものだから。だから、緊張してると、張り詰めた音しか出ない。それが迫力を生む場合もあるけど、そんな演奏はどこもやってるからね。リラックスして、自然体でやるといいと思うよ」
「め、メンタルまで……」
がっくりと膝をついた郡山先生だったが……。
「うん、音楽もやっぱ違いますよ。ありがとう先生」
「……貴方のせいで、私のプライドがズタズタなのだけれど……」
「えー……」
何故か、郡山先生は俺を睨んでいたが。
吹奏楽部兼軽音楽部は、予想以上に楽しい場所だった。