六話 ファンタジスタ
「は? 取材が来てる?」
「そうなんだ!」
そう言ったのは、爽やか代表、ミッドフィルダーにして二年生キャプテン、九条碧だ。
女性っぽい名前に体が応えたのか、非常に中性的だ。
何というか、どんな部活のスタンスにも寛容な人格者で、努力の人。実力もあってか、部の中では中心的な人物。
「是非、僕と吾妻君とでって!」
「何で俺!? 半分帰宅部だよ、俺!」
「この間の練習試合、あったでしょ?」
「ああ、あったな」
一試合一万円で先生に連行されたのだ。
他校との試合とか公式戦で出る気は更々なかったのだが、電子書籍代が思ったよりも響いていた。財布事情的に仕方なかったんだ。
まぁバイトしてる分が今週末に入るので、それまでつなごうと思ってたんだけど、自炊するようになってから色々と物入りなのも確かで……。
断り切れなかった俺の落ち度なんだけどね。
「あれを見てたんだよ! 凄かったよ、十連続セーブに加えて、後半十分だけオフェンスに加わった時の個人プレイ!」
「個人プレイは五人抜いたくらいで……後は碧との連携だろ」
「僕なんて、最後にアシスト上げたくらいでしょ? そこから空中でトラップからの回転蹴りでシュート、しかもゴール決まったし」
「いや、俺より凄いのがいるぞ」
「え? 誰」
「有栖先生」
「あー……なんで必殺シュート何て撃てるんだろうね、あの人」
「謎だよなぁ」
意外に出自が気になるのだが、まぁそれはさておいて。
「適当に言っといてくれよ。俺はサッカーに興味ないし」
「じゃあ、何で部活に入ったの?」
「有栖先生に頼まれたから。丁度、紅白戦ができる人数だーって」
「な、なるほど」
「んじゃ、ばいなら」
部室を出ると、メモ帳を持ったメガネのおばさんが近づいてきた。
「東雲吾妻君ですよね!? 今、お話を――」
「俺、サッカーに興味ないんで。んじゃ。それ以上近づくとプライバシーの侵害で警察呼びますよ」
「え、え? プロに、興味ないの?」
「全く。将来性を考えるなら、絶対無しでしょ。選手寿命は短いし、日本はサッカーなんてワールドカップでもなけりゃ見てる人少ないし。スポーツは適度に体を動かすものだと思ってるんで、限界まで体を苛め抜くようなマゾ集団に身投げしませんって。プロの解説に転向とかもありますけど、狭き門だし、選手能力とは違った分野を要求されるのでノーサンキューですね」
いや、プロはプロで尊敬してるし、全く心にもないことを言ってるが、目の前の記者は動揺するばかりだった。目論見通り。
よし。このまま逃げよう。
「待てよ!」
そう言ったのは、碧だった。
聞いていたのだろう。眉がつり上がってる。
「お前は……才能あるのかもしれないけど、それを馬鹿にするようなこと言うなよ!」
「……」
ガシッと碧と肩を組む。そして、顔を近づけた。
(アホ、演技だよ! こうしないと取材受けなきゃいけないじゃん。俺は嫌なの)
(あ、ああ。なんだ、びっくりした)
突き放すように肩を抜く。
そのまま、俺は踵を返した。
「九条碧選手ですよね! 東雲君をデスクは推してたけど、私は貴方を推してるの。陰で言葉を多く使ってフォローに回る、このチームの実質の中心」
「こ、光栄です!」
ほらな。
見てる人はちゃんと見てるんだ、そういうの。
サッカーに大事なのは確かに技術が一番だが、どれもこれもにつながる要素と言えばメンタルとフィジカルだ。
味方のメンタルケアも重要なキャプテンの仕事。そういう素質を持ってるやつは、中々少ない。
特に、プロという絶対的な技術者が犇めく世界では。
実力のない奴の言うことなんて聞かないのが普通。
だから、適度に実力があって、努力する姿を見せていて、それでいて周りにも臆さず物事をきっちり言う。
そういうヤツこそが、プロになるべきなのだ。
俺みたいな遊びでやってる奴なんか、絶対誘っちゃいけない。
駐輪場に来たところで、俺は胸ぐらをつかまれた。
「……なんだよ、有栖先生」
「ふっふっふー、やってみたかったのだ!」
「なら離してよ……」
「いーや、離さない」
にんまりとした笑みを消して、有栖先生は俺に問いかけてくる。
「……ねえ、そんなに面白くなかった? サッカー。あずにゃんなら、プロに行けるよ!」
「悪い、有栖先生。どーも無理なんだ。サッカーじゃ熱くなれない」
「……」
「プロは、正直凄いことだと思う。でも、俺みたいな不真面目な奴は絶対に浮く」
「違うよ。やってる時、誰よりも真剣だった。目の前のことに集中してた。じゃなきゃ、普通手を抜くもん」
……痛いところを突くなぁ。
確かに、俺は試合や練習は、自分のパフォーマンスを最大限に発揮することしか考えていない。
それがレベルの高い集中力なのは分かってるけど、だからと言って、この競技が好きかと言われたら首をかしげる。
「じゃあ先生は? 何で、教師の道を選んだんだ? それだけの才能があって?」
「……背が、低かったから――」
「――って言い訳を、経験者が通すと思った? アホ言え、どれだけ練習したのかアホでも分かる。あれだけのフィジカルなら文句なく合格だよ。何で女性クラブに入らなかったの?」
「……女の子だから」
「は?」
「……女の子らしく、なりたかったの。勉強と、部活ばっかりでさ。ずっと、こんなことだけしてていいのかなーって思って。有名なクラブから誘いが来てたんだけど、断って、勉強して……安定した職業に就こうと思ったの。教師にね。で、教師やってて思った。みんな結婚していく中で、置いてけぼりになってる自分……」
「……」
「海外でサッカーしてた時は凄く充実してた。でも、目先の将来で教師を選んだんだ。以来、ずっと後悔してる。……だから、女の子らしくなって、第二の幸せを掴もうかなって。もう、諦めかけてるけど」
そう苦笑する彼女は、いつもの子供じみた笑みではなく、どうしようもないような、年季の入った笑みを浮かべていた。
「……あずにゃんには、向き合ってほしいの。サッカーと」
そういうことね。
「生憎と真面目にやる気はありませーん。先生みたく、情熱もないしね。というかスポーツ全般好きじゃないんだよ。疲れるし、汗かくし。だから、違った青春が欲しい」
「というと?」
「うーん、何だろう。やっぱ、あれかな? 女の子とイチャイチャしたいな!」
「……あずにゃんらしいや。だから、ムカつくの!」
思いっきりだ。
有栖先生に睨まれる。
「そんだけの実力があって! こうして、運にも恵まれてるのに! どうしてやる気にならないの! 何で! どうして……!」
「……」
「憎いよ! 憎い……! ムカつく! ムカついてるの! 何で、そんなこというの! 行っちゃえよ、プロに! わたしの叶わなかった念願を、果たして来てよ!」
涙混じりだったが、それで心が動くことは、全くなく。
むしろ、冷たい風が心に吹き込んでくる。
「何でこんなことでマジになってんの? やっぱ理解できん。何でそんなに、必死になれるの? 何でそこまで一生懸命になれるの? 俺には分からないんだ」
「……ッ! 勝負しようよ……」
「勝負ぅ?」
なんかとんちきな事言いだしたぞ。
「持てる才能全部使って、わたしと一対一をしなさい。負けたら、何でも言うこと聞く。けど! わたしが勝ったら、真剣にサッカーに取り組んで!」
「え!? 何でも!?」
「勝ったら、だけどね。わたしが欲しいでもいいし、お金でもいいよ」
「やるやるー! よっしゃ、叩き潰してやるぜ!」
「その言葉、後悔するよ!」
グラウンドに上がって、ギャラリーがいる中、PK三本が行われることになった。
お互いに三本ずつ、どれだけゴールを決めたかで勝敗を競う、ひどくシンプルなもの。
彼女にあって、俺にないもの。
それは経験値の数。
俺にあって、彼女にはないもの。
それはフィジカル的なものだ。瞬間的な筋力は俺の方が強いだろうし、何よりリーチも背の高さも圧倒的に違う。
「来い!」
「……」
コーナーを狙う、というのがセオリーなんだけど。
いいや、力でねじ伏せてやる。
全力で真ん中を撃ち抜いてやろう。
「――――ッ」
「え―――」
鈍い音。
咄嗟に反応した有栖先生だったが、跳んで、唸りをあげたボールは丁度有栖先生の顔面に吸い込まれて、跳ね上がり、ネットの中に入った。
「あちゃー……」
倒れる有栖先生にギャラリーが駆け寄り、俺はサッカー部の連中から胸ぐらをつかまれる。
「テメェ! 何してんだ!」
「いや、まさか跳ぶなんて思ってなくて……見てたろ、上空狙ったの」
「ま、まぁ、そうだけど……」
俺は掴まれた腕を強引に弾き飛ばし、有栖先生に迫る。
「起きろよー。まだ一本目だぞ。それとも、俺の勝ちでいいー?」
「せ、先生! 保健室行きましょう、危ないですよ!」
「……ふ、ふふふ……!」
「せ、先生……?」
「いいじゃない、あずにゃん。気合入ったいいシュートだよ。そうでなくっちゃ!」
今度は有栖先生が走っていく。
仕方なしに、ゴール前で構えた。
「……いっけえ!」
すげえ綺麗なカーブシュートだ。
だけど、綺麗ゆえに見切るのも容易い。
スライディングで着地点に向かい、右手を上げてパンチング。
「……これで、1-0だな」
「むむむっ……!」
「今なら、やっぱなしが有効ですよー」
「誰が言うもんか! さ、こーい!」
……。
めんどくさいなぁ。
「もう一回! もう一回だけ! ね? ね?」
「何十回目だよ! もういいよ! 飽きたよ!」
あれから、俺の連戦連勝が続き。
結局、有栖先生が食い下がっている。
「お願い! 泣きの一回! ね? ね? ねー?」
「もう暗いんだけど……」
ギャラリーもろくにいない。
あれ、郡山先生だ。それにゆずちゃんも。何やってんだろう。こっちを見てるけど……まぁいいや。
「じゃ、今度こそ終わりだよ? 俺ももう疲れたから……」
「ふっふっふー、今度は勝つ!」
「はいはい、そうだといいね」
サッカーに真剣になるのは御免だが、もう二十七回目。そろそろしんどい。
キッカーは俺。
神経を研ぎ澄ます。
蹴り放たれたボールはやはり彼女の背丈的に届かず、ネットに突き刺さる。
「くそ、集中力凄過ぎでしょ……。でも、今度の必殺シュートは防げないよ!」
「はいはい、なんでっしゃろ」
「…………ッ!」
――ヤバい!
勘が告げている。放たれるのは渾身の一撃だろう。
思わず勘に従い、蹴ると同時に左へ素直に飛んだ。
だが――
「え……?」
緩やかな曲線を描き、ふわっと浮いたボールは反対方向にカーブして突き刺さった。
「チェンジアップシュートだぁ! いやー、早いボール撃ち続けた甲斐があったー!」
その場に倒れる有栖先生。
俺も近づいて、同じく横になった。
「いや、まさかフェイントと緩急とは。動けなかったよ」
「ふっふっふー、早けりゃいいってもんじゃないでしょー」
「勉強になりました」
「……あれ? なんで戦ってたんだっけ?」
「え、馬鹿なの有栖先生!? 真剣にサッカーやってないって……」
「あー、あれね。いいんじゃない、別に。そりゃちょっち悔しいけど、人には人のモチベーションがあるもん。考え方の違いだし、うん、わたしは尊重するよ!」
「なんじゃそりゃ!?」
夕方のあの熱い語りは何だったんだよ。
「そっかー。サッカーじゃなかったのかー、一生懸命になれること」
「……うん。ごめんな、有栖先生」
「いーよ。その代わり、大会には出てもらうから。お金ハズんじゃうぞー!」
「弾むなら大きな胸が良いなでへへ」
「むっ、貧乳を馬鹿にしてる! どっちも等しくおっぱいなんだぞー!」
「いや、小さいのも可愛いけどねー。あ、そうだ。俺の言うこと、聞いてくれるんだよね?」
「……ぴゅー! ひゅるるるー!」
「こら、さすがに俺が哀れすぎんだろこのままじゃ」
「うっ……やっぱりダメ?」
「しかも二十七回もあるしなー」
「げっ、そんなに負けたっけ!?」
「何してもらおうかなー」
「う、うう……」
「んじゃ、一回目はほっぺたにチューしてもらおうかなー!」
「……」
「なーんちゃって――」
ちゅ。
と、頬に軽く、有栖先生が口づけをする。
……。
…………。
い、いかん、意識が飛びそうだった。
「こ、これで満足?」
「う、うん」
「あー、照れてるー!」
「照れるっしょ! 照れるっしょ!? 有栖先生だって顔真っ赤だよ!」
「あははっ、お揃いだね! あは、あははははっ!」
何が楽しいのか、爆笑する有栖先生につられて、俺も笑っていた。
……。
そうだな。
たまには、こうやってつかれるのも、悪くないな。