三話 サッカーとメシ
暇だ。
紅白戦、とはいえども。
実力伯仲の試合だと、中々ゴールにまでボールが辿り着かない。
俺は今、キーパー用のグローブを両手に装着し、ポスト――赤い奴ではない。ゴールの縁――にもたれかかっていた。
コーチがやってくる。男の人だ。
「やる気ないなー、お前」
「遊びの範疇ですから。いや、放課後に適度に運動させてもらってるだけです」
「まーいいけどな。ここそんな強くないし。お、来そうじゃない?」
「あのビブスの11番、動きがいいですから。ほら取り返した」
「でも、また取り返して、来るみたいだぞ」
「あー……なーにやってんだか」
トラップミスでこぼれたところを奪われている。
攻撃と防御が流動的なサッカーの試合は、一つ一つの動作が命取りになるゲームだ。
あっという間に陣形が崩れ、足の速いフォワードがショートレンジにまで迫る。
真ん中で待機。
蹴り足は右か。フェイントは――ない。
素直に左方向へステップして、蹴られたボールに飛びついた。
キャッチして、地面に倒れ落ちる。
「嘘っ!? マジかよ……! ドフリーのシュートを、止めやがった!?」
「狙いが素直過ぎ。ここに蹴るぞーって全身が言ってるって」
すぐさま、前線に向かってボールを蹴りだす。
また試合は、膠着状態に陥った。
「……お前、何で真剣にサッカーやらないわけ? どこも欲しいと思うけどなぁ、お前」
「うーん、なんか違うんですよ。ここじゃない、っていうのは分かるんすけどー」
「……もったいねえ」
「オラァッ!」
右に飛んだボールをキャッチ。
「なんでだ!?」
「だから、狙いが素直なんだって。もうちょっとフェイント入れようぜ」
最前線にボールを送って――
「もう全員攻撃! ゴールを奪っちゃえー!」
「そんな有栖先生酷い!?」
二十一人が一斉にこちらを狙っている。
だが、ボールは一個しかない。
目まぐるしいパスからのシュートを、三十分間止め続け、結局は体力切れで押し切られるのだった。
「はぁ、はぁ……ま、マジになりすぎだろ……」
ぐったりとグラウンドと校舎に続く芝生の坂道に寝転がる。
隣に腰掛けてきたのは、有栖先生だった。
「あははっ、凄い汗ー」
「鬼か! か弱い半帰宅部に何するんだよ!」
「だって、本職のゴールキーパーがすごく悔しがってたよ。で、初得点の男の子は声高に言ってた。あいつの初めてを奪ってやったぞって!」
「いやぁぁぁっ!? 俺犯されてんじゃん!?」
「うんうん、青春だねぇ」
「これが!? マジで!?」
求めてたのとなんか違うんですけど!
「はい、スポドリ」
「サンキュー……」
……。
「不味っ! え、こんな味薄かったっけ!?」
「普通は希釈するんだよー。そのままじゃ栄養的に濃すぎるからね」
「……そうだったのか」
小学校とか中学校の頃はそのまま飲んでたけど。
……うーむ。
そういえば、部活で常備されてるのはこんな感じの奴ばっかだった気がする。
「ねーねー、体力はまだある?」
「なんぞ」
「シュート練習に付き合ってよ! 鬱憤たまっちゃってさぁ」
ああ、なるほど。
だからジャージだったのね。
「いいよ、それくらいなら」
「やったー! じゃあ、ゴールについてね!」
車輪の付いたボールの籠を持っていく有栖先生。
俺は部のグローブを着けて、ゴールを守る。
早速一つ取り出して、リフティングからのダイレクトボレーシュート。
あっさりと片手で止める。
「よーし、感覚は鈍ってない! いっくよー!」
投げ返すと、その場にボールを置いて、キックを繰り出す。
――高い。
っ!?
「っだあ!」
咄嗟にパンチで守ったが、今の――急激に落ちて――
「ドライブシュート!?」
「ちぇーっ、とめられちった」
……。
見た目はまるで子供なんだが、今のボールの重さといい、コーナーをつく正確な狙いといい――
運動できないイメージは捨てよう。彼女は万能選手だ。
「とりゃーっ!」
「いっ!?」
ボールが――回転してない!?
思っていたのと違う方向に曲がって、ネットに突き刺さる。
いかん、疲れからか勘がさえない。
「いぇーい!」
「くっそー……」
「じゃあ必殺! カミソリシュート!」
急激なカーブを描いたが、軌跡が分かれば――
地面に一度落ちて、反対方向に跳ねた!?
無情にも、ボールはネットに刺さる。
「どーだぁ! ツイストスピンキック!」
「カミソリシュートは!?」
「ご所望とあらば! ふっふっふ、ありとあらゆる必殺シュートをマスターしたわたしに勝てるかな!?」
プロに行け。
その後、日が暮れるまで、俺は彼女の必殺シュートの相手になるのだった。
くったくたに疲れた今日。
こんな日は何もせず、ゆっくり泥のように眠りたい。
そう思って風呂に浸かる。
湯船派なんだけど、ここ浴室が狭い。
まぁ贅沢は言わないけども。今度温泉とか行こうかな。バイクがせっかくあるんだから。
オプションのスマホホルダーも注文したし、問題ない。
風呂から上がり、栓を抜く。俺一回分というのが、なんとももったいない気もするが、まあしゃあない。普段はシャワーだし、今日くらい。
あ、晩飯くわないと。
でも、今から作る気力はないなぁ。
買い置きのカップ麺ってあったかな……。
と、インターホンが鳴る。
「はーい」
今の姿は……寝間着のジャージだけど、まあいいか。そんなにファッションに気を遣ってないし、裸よりゃマシだ。
扉を開けると、鍋を持った頼子先生が。
「ありゃ、頼子先生」
「はい、こんばんは」
「なんすか、俺今超絶暇してるんで、あ、デートしたいとか?」
「ふぇあ!?」
「ふふん、どこがいいかなー! ラブホかなー!」
「そ、そんな愛のないデート先は嫌です!」
「愛を育む場所だよ?」
「そんな場所で芽生えたのは愛ではありません!!」
言い切った。ピュアだなー、可愛いなー。
「な、なんですかそのホクホクした顔は!」
「頼子先生可愛いなー。初心なんだからー!」
「……」
「冗談ですよ。で、何ですか、その鍋。……はっ!? まさか……!?」
「まさか?」
「首桶!?」
「そんなわけないでしょう! 蓋を取ってみてください!」
「……ごくり」
「いや、そんな大したものではないですから、そんなに緊張しなくても……」
「……待てよ」
「この期に及んでまだ何か?」
「この鍋の蓋を開けたら、タイムリープが!?」
「そんな仕組みはありませんからさっさと開けてください!」
仕方ないので、ぱかっと開けてみる。
ほわ、と上がる蒸気。
甘辛い醤油の香り――ホクホクしてそうな芋、そして肉、玉ねぎ。
「おお、これは嫁の必須技能、肉じゃが!」
「ひ、必須なんですか……?」
「派生してカレーやシチューに応用できますからね。とりあえず、これを作れれば最低限はできるレベルでしょう」
「は、はぁ。よろしければ、どうぞ」
「くぅぅ……! 頼子先生万歳! 最高! ああ、白米があればより最高だったんすけど……」
「え!? お家におこめないんですか!?」
「つか炊飯器すらないっすね」
「お、お夕飯どうしてるんですか、いつも!?」
「スーパーの半額弁当か、カップ麺! いやぁ、最近の文明の利器は素晴らしい! お湯を入れて三分で……ってあれ? なんで、そんな眉をつり上げて……?」
またもや怒っている様子だ。迫力はないが。
迫力と言えば冷血爬虫類こと郡山先生を見習うといいぞ。
いや、マジで見習わられたら俺がアヘ顔で失禁するけど。
「自炊してください!」
「ヤですよ。一回こっきりならそりゃ作りますけど、めんどくさすぎますって」
「ああ、もう! 成長期にそんな栄養のないものを食べてどうするんですか!」
「死ななきゃいいんっすよ。ああ、それともあれ? 頼子先生が作ってくれる系?」
「……分かりました。作ります」
「あはは、ラッキー……っていやいやいや!」
さすがにダメだろう。
同じ寮のよしみ、とでも納得しようと思ったが、やはり、納得しがたい範疇にある。
「わ、分かりました! 今度から自炊しますって! うん、心配ない!」
「そもそも、お料理できるんですか?」
「ふふん、米を洗うのに洗剤は使わないぜ!」
「当たり前です!」
え!? これ当たり前なの!? マジで!?
驚愕の事実に打ち震える。
「やっぱりだめです! わかりました、こうしましょう。うちで食事を摂ってください!」
「いや、悪いって! 出会ったばかりの人間にそこまで迷惑かけられんって!」
「……」
「? どうしたの?」
「いえ、意外とまともな事を言うなぁって……」
「そ、そうですか? フツーですよ」
「アナタは普通じゃありません」
ひどくね!?
「俺割と普通じゃん!」
「こんなのが普通だったら常識が揺らぎます!」
「あのね、頼子先生。常識は、人の数だけあっていいんですよ。迷惑でなければ、それは決して間違いでは――」
「少し、迷惑していますが」
「はい、すみません。ゴミのように踏みつけてください」
「這いつくばってスカートの中を見ようとしないでください」
「すみません」
転んでもただでは起きないが座右の銘だ。
絶対に損はしたくない。
まぁ損したい人間なんているわけがないか。
「ていうか、センセも女の子なんだから。自分の部屋に、男をホイホイと上げるんじゃないです」
「あ……っ」
気づいて、顔を赤くしている。
うん、よし。丸め込めれそうだ。
「んじゃ、肉じゃがありがとう! 食べたら洗ってもってくから」
「……もう。ちゃんと自炊するって、約束してください」
ジッと真剣なまなざしが、俺を射抜く。
……。
「…………分かったよ。頑張ってみる」
「よろしい!」
ちょっとおどけて笑う彼女が。
なんだか、いやに可愛かった。
……自炊、頑張ろう。
余談ではあるが――
「やべっ、何だこの肉じゃが……! 俺の食ってた肉じゃがってなんだったんだ……!?」
肉じゃがは二十分もかからずに俺によって食いつくされたのだった。