序話 始まり
「……」
窓枠に切り取られた夜空を見上げる。
都会の空と言うものは、狭い。
ビルの群れの向こう側の世界は、満天の星空だというのに。
都会じゃ、あんまり星はお目に掛かれない。
夜でも昼のように明るいんだし。
それも、今日で終わり。
明日には、ここを発つ。
福岡に、俺は編入を希望した。
なぜ福岡か。
そこなら、後見人になってくれる人がいて、一人暮らしをしていいらしい。お金も、出してくれるそうだ。
なんせ新婚だからな。再婚したのはごく最近の話で、親父も新しい母さんもラブラブしたいんだろうし。
何にせよ。
明日を迎えるだけだ。
俺は、自分を変える!
かけがえのないものを、絶対見つけるんだ。
……。
「僻地……?」
えっと、第三の都市福岡のはずなんだけど。
なんでこんな……田園風景が見えて来てたんだ?
駅周辺はさすがに整備されていたが、それを外れて住宅街に差し掛かってから怪しくなる。
田舎だな……。
いや、別に田舎であることを馬鹿にしているわけじゃない。
田舎は空気が美味いと聞くし――
「……焦げ臭い」
漂う空気は、キナ臭かった。
何か燃やしているんだろうか。
それとも四月の田舎はこういう焦げた臭いがするのだろうか。
まぁいい。
駅前にコンビニがあったので最低限それはいいんだけど。
「うわぁぁぁぁッ!?」
今! 何か! 細長い何かが道を横切っていった! 多分蛇だろう。
もうヤダ、怖いよ田舎。
ヤバすぎる。
これから毎日こんなデッドオアアライブが続くのか……!?
「引きこもりたい……都会に帰りたい……」
とも言ってられないのか。
その後、飛ぶバッタや道に陣取るカマキリとの死闘を乗り越えて、目的の家に着く。
「こ、ここか……」
整備されている一軒家。真新しい。
小さい頃に行ってた記憶はあるんだけど、全然覚えてない。
こんな建物だっけ。
いや、建て替えてるよな。
前の一軒家は木製の引き戸だったけど、これは金属製になってるし。
とりあえず、インターホンを鳴らす。
……。
…………。
「しかも留守かよ!」
車庫に車がない時点で嫌な予感はしていたんだ。
全く、仕方がない。
クソ重たい荷物が入ったボストンバッグを置いて、その場でスマホをいじり始める。
そのまま、家の中にいるはずだった叔父さんに電話を掛ける。
あ、いきなりで申し訳ないが簡潔に今の状況を説明すると、俺こと東雲吾妻は、一人暮らしの後見人になってくれる叔父さんたちに挨拶に来た、という次第なのだ。
『やあ、吾妻君。どうしたんだい?』
「家、誰もいないんですけど……」
『え!? 柚葉が家にいるはずだけど……』
「ああ、ゆずちゃんが?」
小さい頃はそれこそ毎日のように遊んだ記憶のある、あのゆずちゃん。
椎名柚葉。ちょっとませた子だったけど、素直で可愛かったなぁ。
いるのか? 死んだように静かだけど。
「では、召喚を試みます」
『どうやって?』
「まずインターホンを押します」
『うん』
「そして叫びます」
すぅ、と息を吸い込んで、腹式呼吸からの――
「ゆずちゃんのパンツはましろ色ぉぉぉぉ――――ッ!!」
やまびこしていった。裏の山に反響している。
『吾妻君、実の親の前でマジで容赦ないね』
「手加減してへんなボケするよりも高確率で反応してくれると思うんです」
『僕が柚葉なら勢いつけてぶん殴るかなぁ』
「俺もそうします」
『実はマゾだったり?』
「マゾでもありサドでもあります」
『性質悪いなぁ』
お、二階から音。
「来たみたいです。では」
『うん、家で待ってるといい。帰ってきたら、案内するから』
「お願いしまーす」
通話を切る。
その間にも、ドタバタと階段をだろうか。降りてくる音がしている。
玄関の引き戸を開け放ったのは、黒髪ロングを二つに結っているゆずちゃんの姿。
……あんまり成長してないな、背。その他発育は普通だ。
相変わらずかわいいけど、緊張はしない。
「ゆずちゃんのパンツは――」
「お兄さん死にたいんですか!? 気づかなかった私が悪かったですから、早く家に入ってください!」
「で、白いの?」
「今日はピンクです、鮭の柄が入ってます」
「鮭!?」
ヤベぇ、いやらしい意味はなしで実物が見たい。
「ていうか、敬語はいいのに」
「いや、その、なんていうか……学校では敬語で通してますので」
「なるほど、慇懃無礼なんだな」
「無礼ではないです。無礼では」
「で? いつパンツ見せてくれるの?」
「そういう、ド直球な部分は変わってませんね」
「うん、ゆずちゃんも相変わらずチビだな」
「殴られたいんですか?」
「優しくしてね……痛い痛い」
ほっぺを抓られる。
「色々、私も成長しています」
「ほほう。確かに胸そこそこあるよな。揉んでいい?」
「いい加減セクハラです」
「だね。じゃ、つまんない再会の挨拶でもしとくか」
言って、頭を下げた。
「どうも、お世話になります。お久しぶり、東雲吾妻です」
「ご丁寧にどうも。椎名柚葉です」
「冗談抜きで可愛くなったね」
「でしょう? お兄さんは……相変わらず甘い顔立ちですね。で、どうです? あれから、身に着けると言っていた根性はないんですか?」
「ないよそんなもん」
「うわぁ……。後、外見もチャラくなりましたね。余裕でナンパとかしてそうです」
「俺、そんなことできるほど度胸ないって」
「結構成功確率高い気がしますよ。何というか、イタリアのナンパ男のような……ルックスは」
「それは褒めてるの? 貶してるの……?」
「ほ、褒めてるつもりです」
やっぱ慇懃無礼じゃん。
「んじゃおっじゃましまーす! あ、これゆずちゃん用のお土産」
「あ、すみません。何でしょうか」
「下着じゃないから安心してね!」
「従妹に下着贈ってたらビビりますて……」
バリバリとその場で包装を開け始めるゆずちゃん。
「わ。カラフルなクッキーですね」
俺が贈ったのは、瓶詰のカラフルクッキー。
ゆずちゃんは昔からよく食べてるから、食べ物だと鉄板だろうと思って用意した一品だ。
「これは、食べるのもったいないですね……」
「食べてよ、味も結構いい感じだし」
「あれ、食べたことあるんですか?」
「そうじゃなきゃ渡さないよ」
「……そう言うところ、律儀ですよね。ありがたく食べるとします」
ゆずちゃんは文句を言いながらも、手招きする。
「あれ、座敷とかじゃないの?」
「寒いですよ。私の部屋でいいでしょ」
「女の子の部屋かぁ。ドキドキするな」
「思ってもないくせに」
「はい! 宝探しがしたいです!」
「? それは、男子の友達の部屋に入って発生するイベントでは?」
「下着探し」
「……変態」
「もっと言って!」
まぁ、こうやってたらゆずちゃんも緊張しないで済むよな。
いつものように、馬鹿な俺のまま行こう。
ゆずちゃんが愛読しているらしい少女漫画を読んでいると、二人が帰ってきた。
この家は三人家族。叔父さんの椎名和樹さんとその嫁さんの椎名薫さん、そしてゆずちゃんの三人家族。
「柚葉に殴られたかい?」
「もう、お嫁に行けません」
「婿でしょう、行くとしても」とゆずちゃんがボソッと突っ込んでいた。
「ちなみに下着はピンクらしいですよ」
「……なんで堅物な兄さんの息子が、こうなんだろう……」
和樹さんが頭を抱えている。
よく見るなぁ、このポーズ。
「親父もいっつも頭を悩ませてるそうですよ」
「というか柚葉も見せないの。もう子供じゃないんだから」
「いえ、子供でも見せませんて。自己申告です」
「何をしたんだい吾妻君!?」
「ふふっ、仲がいいわねぇ」
「ゆずちゃんが変わってないからねぇ」
「……お兄さんも相変わらずでした」
そうか、その印象ならよかった。
四人乗りの車で、そのアパートの前までくる。
あれ、バイク?
「このバイクは?」
「僕から。普通自動二輪持ってるんだろう? お祝いだよ」
「あざまっす! いやー、原付でも買おうと思ってたんっすよ!」
ナンバープレート確認。小型だ。
型は――見覚えがあるな。
エンジンガードの形も、教習所で見たあれと似ている。
「CBF125、かな」
「うん、そうだよ。新品を安くしてくれたから、遠慮なく乗ってくれ」
「やったー! ありがとうございます!」
「吾妻君は最近の子と違って、喜怒哀楽がハッキリしてるね」
「喜びを喜び、悲しみを悲しむ男ですから!」
「それって、お兄さん、自制できてないだけじゃ……」
いいんだゆずちゃん。
俺、無感動な大人になりたくないし。
「大家さんを呼ぶから。待っていなさい」
「はーい。ゆずちゃんゆずちゃん、反復横跳びしようぜ。回数負けた奴がそこの自販機でジュース買うかその場で逆立ち」
「いや、逆立ちって……。私スカートなんですけど」
「だから提案してるんじゃん」
「はぁ……。じゃあこうしましょう。一分間に百回出来たらパンツ見せます」
「マジで!? おっしゃ、吐いた唾飲ませねえからな」
「え? あ、いや、お兄さん!?」
「フォオオオ――――ッ!!」
その場で高速でビートを刻み始める。
速度でか、奇行でか、ゆずちゃんはあんぐりと口を開けていた。ちなみに、おばさんは動じない。ニコニコとこちらを眺めている。
ちゃんと脳裏では回数を数えていく。
「百ッ! よっしゃ、タイムは!?」
「……よ、四十秒ジャスト」
「さぁ、パンツと行こうか」
「ま、また今度で!」
「うん、俺も鬼じゃないから二人っきりになったらね」
「どうしよう、とんでもない約束をしてしまいました……」
「柚葉、ちゃんと可愛いの履かないとダメよ?」
「親なら止めてください」
「だって柚葉から持ち掛けたんだもの。不誠実じゃない」
「うう、もっともらしいことを……。忘れてました、お兄さんスポーツ万能でしたね……」
「体力はないけどな」
弾んだ息を整える。
うん、瞬発力だけだ。
「大家さんを呼んできたよ……ってまた何で息が切れてるんだい吾妻君」
「あ、あの、汗が……」
出てきた女の子。可愛いので、とりあえず迫ってみる。
「ハアハア! お嬢ちゃん、俺と合体しない!? 一時間一万円払うからさぁ!」
「ひぃぃぃぃっ!?」
「吾妻君、悪乗りしすぎだよ。大家さん怖がらせちゃダメじゃないか」
「はい」
「先ほどまでの行いがなかったかのように従順に!?」
にしても、大家さんか。
…………。
え!? 大家さん!?
「女子中学生?」
「お、大人です!!」
「お兄さん、この人、私が通ってる学園の教師さんです。お兄さんの通う学園でもありますよ」
「あ、そうなの。どもでーす、東雲吾妻って言います」
「あ、はい、どうもご丁寧に。堂島頼子と申します」
「じゃあ今日からよりぴーね。で? よりぴーは一時間おいくらなんですか……あいてっ!?」
ゆずちゃんが跳んで俺の後頭部を叩いた。
「ボケをかまさなくていいんです! ちゃんと挨拶してください」
「わかったよ」
その場に正座する。
「へっ!?」
「失礼いたしました。この度、ご尊顔を拝謁賜り恐悦至極に存じます。何卒、よろしくお願い致します」
「は、はぁ。あの、椎名さん。彼、いつもこんな感じなんですか?」
「ええ。歩く下ネタスピーカーにして、ピュアな変態です」
「ま、まぁ。なにか、大変そうな方ですね……」
「隙あらばパンツの柄を聞いてきます」
「そ、それは、困った人ですね」
「全くです、うんうん」
「いや、お兄さんは黙っててください」
「すみません」
「あ、あはは。賑やかすぎて、他の住人の方に迷惑をかけないでくださいね?」
「大丈夫です、俺一人でいると死んだように静かなんで」
「そ、それも怖いような……」
そう苦笑する大家さんは、マジで中学生に見える。
幼そうで、可憐。美少女と言うカテゴリが似合うのに、教師の属性まで。
田舎め、中々やりおるわい。
「ワタシの実家も、近所にあるんですよ。ワタシ、このアパートを経営しながら教師をしています。何か、実家から贈り物が来たら、アパートのみんなで分け合っているので、遠慮せず貰ってくださいね?」
「嫌です」
「ええええ!?」
「お兄さん!」
「ジョークですよ。HAHAHA、メキシカンジョーク」
「な、なんでメキシコなんでしょう……」
「すみません、お兄さんは頭逝ってるんです、先生」
そんなひどい。
確かに思ったことを考えずに垂れ流しているけども、頭逝ってるは酷くない?
「で、どこが俺の部屋?」
「二〇三号室です。ワタシの隣ですよ」
「分かった、今度盗聴器でも買うから」
「何に使うんですか!」
「え、聞きたいの?」
「……き、聞きたくないです。あの、冗談ですよね?」
「大家さんが冗談だと思えば冗談だし、ホントと思えばホントなんじゃない?」
「自分のことなのに適当過ぎませんか!?」
「というわけで、よろしくお願いします、よりぴー」
「なにがというわけなのかさっぱりわかりませんが……まぁ、よろしくお願いします」
手を差し出し、握手を促す。
白い手が完全に触れる前に、中指を立てた。
当然、彼女と握手することはない。中指が邪魔して触れられない。
「拒否」
「…………」
「ウソウソ、冗談だってばさ! よりぴーそんな怖い顔しちゃいやん!」
「……はぁ。もういいです。アナタも子供っぽいからって馬鹿にするんですね」
「いやいや。俺は誰に対してもこんな感じですよ」
「ええ、そうですよ。一応弁明しておくと、お兄さんはたとえ青いツナギのガチムチな男でも、プロのサッカー選手でも、恐らく大統領でさえ態度は変わりませんから」
「……そ、それは、凄いですね。大統領とか、会うだけで緊張しそうです」
「なんで? 同じ人間じゃーん」
「相手が、その、可愛い女の子なら?」
「お近づきになりたいな、でへへ」
「相手が、綺麗な女性だったら?」
「お近づきになりたいな、うへへ」
「不細工でも?」
「それをだしに可愛い女の子召喚してもらうからね。へへへ」
「……こういう人間なんです」
「よ、よくわからなくなってきました……」
「まぁ人を差別とかしませんよ。それは保証します」
「……な、なるほど?」
イマイチ俺のことが伝わってないな。
うーん、どう言えば伝わるんだろう。
「脱ぐか」
「へ!?」
「ありのままの俺を見てくれれば、いらん疑念も晴れるはずだ!」
「もしもし、警察ですか?」
「いやん馬鹿、やめてよゆずちゃん。ジョークじゃない。ブラジリアンジョーク!」
「……兄さん……兄さんの子供が、よくわからないよ……」
頭を抱える叔父さん。
とりあえず。
俺はこのアパート――刀忠家荘にお世話になることになった。
新シリーズを始めようと思います(唐突
うん、機械録とか色々止まってるけど……。機械録はいずれ全編リメイクする予定……予定は未定……。
新シリーズ以外は、気長にお待ちいただければ幸いです……。