浪漫艶話#番外編『ふらいんぐ☆ぱんぷきん』
紅葉とは縁遠い、メトロポリスL.A.も、この時期になると街はオレンジ色に染まる。ハリウッドヒルズを望む高級住宅街の一角にあるジェームズ・王の邸でも、それは例外ではなかった。
大小さまざまなオレンジ色のカボチャをくりぬいて作られたオバケカボチャ(ジャック・オー・ランタン)が、邸の至る所に飾られている。
「トリック・オア・トリート」のかけ声と共にやって来た子供たちに、お菓子の入った小さな包みを渡しながら、王は愛想良く微笑んだ。青い、清朝時代の正装を模した衣装が、いつもより尚更白く見える肌を引き立てている。
「暗い道は気をつけるんだよ」
一言添えて渡すと、十二、三歳くらいの、可愛らしい魔女に扮した女の子たちは、熱気にでも当てられたかのように顔を赤らめてぼんやりと見上げてくる。
帰り際、門を出る際に、パンクロッカーさながらに髪を逆立てた男の子たちが、オバケカボチャの飾りを持ち上げて放り投げると、オバケカボチャは宙を舞った後、Uターンして子供たちの背後から浮遊したまま追いかけて行く。きゃあきゃあと甲高い喚声を上げながら去っていく子供たちを監視モニター越しに見ながら、王はくつくつと笑いを漏らした。
「意地悪いぞ」
隣で一緒にモニターを見ていた巽 幸星が、肘で王の脇腹を小突いた。着ているものがもこもこしているだけに、あまり痛くない。
「毎年やってる悪戯だよ。みんな承知してるさ。楽しみにされてるくらいだよ」
肩を竦めてそう返すと、軽くウィンクをしてみせる。巽はフラッシュでも炊かれたみたいに目を瞬かせた。燕尾服の上着だけ着たその下に着込んだ全身を覆う着ぐるみは、毛足の長いシルバーグレイの、本人曰く狼の仕様らしいのだが、巽が着るとどうしても狼というより子犬のようだ。初夏に高嶺夫妻の別荘を訪れた際に着た『ごきげんアニマルパジャマ』を、たいそう気に入ったらしい巽は、ハロウィンの為に狼の『ごきげんアニマルパジャマ』を特注していた。着用者の感情に連動する耳と尻尾が緊張気味にぴんと立っている。
「どれ投げるかわからないのに、全部のカボチャに仕掛けてあるの?」
狼の鼻面を模したマスクを着けたまま、小首を傾げる巽の様子に、王は目を細めた。
「仕掛けは何もしてないよ。だから、こうしてモニターの前で待機してるのさ」
王の長くしなやかな指が差し示すモニターの向こうでは、きれいに苅り揃えられた前庭の中、オバケカボチャが未だ宙をさまよっている。
「あれ、あんたがやってるの?」
王の特殊な能力ならば十分可能であることを思い出し、巽は大きな黒い瞳を更に丸くしてみせた。益々、子犬か小型犬に見える。
「話ながら、よく出来るね」
カボチャは前庭を離れ、ふらふらと宙を舞いながら邸の方へと向かい始める。王がモニターを再び見やり、形の良い眉を顰めた。
「あれは私じゃないぞ?」
「え?」
じゃあ誰なのだと、言いかけた巽を黒江が呼びに来た。
「巽、パンプキンタルト、食べる?」
巽の身の回りの世話を焼く彼の秘書クロエ・黒江・グランデは、褐色の肌と髪に映える緑の瞳を細めて、にこやかに笑みを見せた。盆に盛った小振りなタルトの山から一つ取り、巽に渡す。
「ありがとクロエ」
二日前から巽と一緒に王の邸に泊まっている黒江青年は、朝から王家の執事・白竜を手伝って、なにやら準備に忙しそうだ。
「お客さん、来た」
片言の日本語と身振りで、王に玄関ホールを映し出すモニターを指し示す。モニターには、巽も見覚えのある女性が二人映っている。ただし、二人とも頭に何か刺さっていた。
画面を確認する王がため息を吐く理由が、巽にはなんとなくわかってしまい、つい、吹き出してしまった。
出迎えた王と巽に対して、二人の女性客は異口同音に感想を述べた。
「なに、その格好?」
頭に刀剣だの斧だの刺さってる人に言われたくない。と、内心思ったことなどおくび
にも出さず、王はいつものように愛想良く微笑んだ。頭に斧を刺したキャロル・キャリエンティは、一瞬彼に見蕩れたようにぼんやりとしている。しかし、王の幼なじみで頭に刀が刺さっているミルラ・ダンリーは相変わらず辛辣な評価を下す。
「いつもと変わらないじゃない。それで仮装してるつもり?」
ボンテージ風のエナメルのニーハイブーツに、黒いコルセットとホットパンツ、首には鋲打ちの首輪を着け、額からは赤い血を流している黒髪のミルラといい、レースをふんだんに使ったゴシック風のドレスを着た金髪のキャロルといい、確かに普段とは打って変わった変身ぶりだ。彼女たちに比べると、普段から白い東洋風の長衣を身につけている王は、着ているものが青くなったくらいで、大した違いはないように思われたが、本人は心外だと眉を上げてみせた。
「勿論だよ」と、内ポケットから取り出した帽子を見せて続ける。「ほら、こうして帽子を被れば、キョンシー」
「きょんしー?」
女性陣ばかりか、巽にまで怪訝な顔をされて、王は困惑気味に眉を曇らせた。
「あれ? 知らない?」
「バン・シーじゃなくて?」
「違うよ。キョンシーだよ。中国のゾンビみたいなものさ」
つばの折れた弁髪帽を被り、何やら呪文の書かれた黄色い紙を顔に貼付けて、両腕を前に突き出したまま、関節を曲げずにぴょんぴょんと跳ねてみせる王に、他の三人は冷たい視線を投げ掛けた。
「かっこ悪い」
女性二人はともかく、巽にまで不評を買ってはさすがにショックを隠しきれず、王はがっかりと肩を落としてため息を吐いた。顔に貼った御札が吐息を受けて揺れる。
一人、孤独を感じて佇む王を余所に、キャロルたちは今度は巽に関心を移す。
「巽の格好はなに、犬?」
もこもことした手触りの耳や尻尾を撫で回しながら、キャロルが問いかけると、巽は口を尖らせた。
「違うよ。狼男だよ」
巽が狼の口を模したマスクを着けて見せても、あまり迫力は出ない。
「狼っていうより、犬ね。それも子犬」
ミルラの評価は手厳しい。巽の耳と尻尾が悄然と項垂れると、益々捨てられた子犬のようだ。
「あら、動くの? この尻尾」
「うん。動くよ」
キャロルは興味深げに質問するのに答えて、巽が機能を説明すると、なぜか尻尾も得意気に揺れる。これには辛辣な女性陣も興味を示した。王は、巽の体をあちこち触ろうとする彼女たちから、慌てて彼を救出すると、いつまでも玄関ホールで立ち話もなんだから、と、中庭の見えるリビングルームへと移動を促した。
「ところで二人が知り合いだとは思わなかったな」
キャロルとミルラを交互に見やる王に、彼女たちは顔を見合わせた。
「いいえ、今逢ったばかりよ」
ミルラが生真面目に答えると、キャロルが人懐っこい微笑みを浮かべて素早く握手を求めた。
「キャロルよ。よろしく」
「ミルラよ。こちらこそ」
握手に答えてミルラも挨拶を交わすと、二人ともくすくすと笑い出した。
「なに、にやにやしてんのさ? いやらしいな」
先に立ってリビングの扉を開けてやりながら、巽がそう言うと、彼女たちは一際高い笑い声を上げるのだった。
広いリビングの中央に置かれたソファセットのテーブルには、既に色とりどりのタルトやカップケーキが山と盛りつけてあり、ワインクーラーにはスパークリングワインが冷やしてあった。壁に備え付けのマントルピースの上にも、部屋の一角にあるバーカウンターにも、オバケカボチャの灯りと、脚の高いコンポート器に盛られた軽く摘める菓子類と果物が用意されている。部屋の二辺を占めるフランス窓からは、中庭へと続くテラスに出られる作りになっていた。綺麗に苅り揃えられた芝生と、その向こうに見えるひょうたん型のプールサイドにも、大小さまざまなオバケカボチャが所狭しと飾りつけられていて、夕暮れ時の薄闇に光る姿は中々に見応えがある。
楽しげな歓声を上げてテラスへ出たキャロルが、小さく驚きの声を漏らし、その場に立ち竦む。彼女の前方、プールの上辺りをオバケカボチャが一つ、宙に浮きながら横切るのを、他の三人も部屋の中から目撃していた。巽があっと息を呑み、ミルラが呆れた視線を王に向ける。
「まだやってるの? ジェームズ」
幼なじみの彼女は、彼の特殊な能力についても承知している。しかし、王は首を振って否定した。顔に貼った御札が揺れる。
「私じゃないぞ」
「他に誰があんな芸当出来るっていうのよ?」
ミルラは疑わしげに目を眇める。考古学者を父に持ち、自身も考古学を専攻する彼女は学者肌と言うべきか、物事に対して冷めたところがある。一方、駆け出しの映画女優キャロルはリアクションも大きい。バタバタと部屋に戻って来たかと思うと巽のもこもこした手を取り、明るい茶色の大きな瞳を不安げに潤ませて彼を見上げた。
「見た?!」
「見た見た見た」
キャロルの勢いに釣られて巽が何度も頷き返す。
「いま、カボチャが飛んでたわよね? 飛んでたよね?」
「飛んでた飛んでた」
「お、お、おばけ……!」
「おばけかもね」
ついうっかりそのまま返事をしてしまって、巽はしまったと思ったが、もう遅い。キャロルが長く尾を引く悲鳴を上げた。
「落ち着いて!」キャロルに負けじと声を張り上げ、ミルラは王を指し示す。「ちゃんと仕掛けがあるのよ」
「だから、私じゃないって」
ミルラの努力を踏みにじるような王の返答に、彼女は鋭く睨みつけ、王の顔から御札を引き剥がした。
「いて」
「いい加減にしなさいよ!」
「本当に何も仕掛けなんてないよ」
両手を掲げて降参のポーズをとる王。ミルラも流石に表情を曇らせる。
「じゃあ誰の仕業だっていうの」
「本物のおばけ?」
巽の言葉に、キャロルはますます怯えて彼にしがみついた。
「いやだ、やめてよ! おばけなんていないわよ!」
「おばけか、おばけじゃないかは、捕まえてみればわかるわ」
ミルラの言葉に、キャロルは疎か巽までも首を横に振る。
「やめようよ。本当におばけだったらどうすんのさ?」
「本物のジャック・オー・ランタンですって? だったら大発見だわ!」
好奇心に目を輝かせるミルラは既に捕まえる気満々だ。巽は助けを求めて王を見やったが、彼は降参の姿勢のまま肩を竦めてみせただけだった。ミルラを説得する気はないらしい。
ミルラは早速テラスから庭へと降りて、先ほどオバケカボチャが去っていった方角を確かめる。王が仕方なく後に続き、巽とキャロルは手を握り合ったまま、テラスで待っていた。
皆が目にしたところでは、オバケカボチャは前庭から来て中庭を横切って行った。中庭は、今いるリビングと、隣のシガールーム、半分ドーム型に張り出したガラス張りの温室、ダイニングルームとティールームに続く廊下に面している。プールの向こう側は庭木が生い茂り、木々の間を抜けると邸の裏の広いイギリス風庭園に出ることも可能だ。
「どっちへ行ったと思う?」
「コンサバトリーが開いてる。中に入ったんじゃないか?」
ミルラの好奇心を満足させる為、王は仕方なく答えた。温室の、庭へと続くフランス窓が開いている。中を覗くと、沢山置いてある植木鉢の一つが倒れて土が零れていた。温室からティールームへと続く扉は自動になっている。赤外線センサーがキャッチ出来ないものは通り抜けられない筈だが、温室の中には観葉植物の鉢が所狭しと置いてある以外は、鉄製のテーブルセットの上に小さなカボチャの灯りが三つあるだけだった。
「これか?」
片手に収まる程度のランタンを手に取る王に、ミルラは片手を振って否定する。
「そんなに小さくなかったわ。人の頭くらいか、もっと大きかったわよ」
温室の中をくまなく見て回るが、大きなオバケカボチャは見つからなかった。
その時、またしてもキャロルの甲高い悲鳴が響いた。
王が急いで中庭に出ると、中庭の奥の茂みから飛び出したオバケカボチャがふらふらとテラスの上、二階のバルコニーへと入って行くのが見えた。
「二階ね!」
ミルラが温室からティールームへの自動扉を足早にくぐる。そこに、件のオバケカボチャが浮遊しているのを見つけて、彼女は息を呑んだ。
「ジェームズ!」
ミルラが王を呼ぶと、オバケカボチャは慌てたように奥の廊下へと続く自動扉から出て行ってしまう。王が来た時にはオレンジ色の塊が廊下へ飛んで行くところだった。
「追うわよ」
「待った」
気の急くミルラの腕を引いて制し、王は一旦、巽たちの待つテラスまで、ミルラを引っ張って戻った。
「浮かれたカボチャは二体いるらしい。二階に入って行ったのと、一階の廊下に逃げた奴だ。君たちはここで待っていてくれ。私が調べて来るから」
「俺も行く」
巽が果敢に立候補すると、ミルラも自分にも調査させろと言い、キャロルが一人で残るのは嫌だと半泣きになった。
「じゃあ、幸星は私と一緒に。レディたちはここで待ってるんだ。いいね」
「いいえ。私も行くわ。二手に別れましょ。貴方たちは一階。私とキャロルは二階を調べるわ」
王の意見に耳を貸す様子も、キャロルの意向を確認することもなく、ミルラは勝手に決めてしまう。
「ちょっと、待ってよ! あたしも行くの?」
「そうよ。一人で残るのは嫌なんでしょう?」
キャロルの抗議にも、ミルラはにべもなく答える。言い出したら聞かない性格なのは、幼なじみの王が一番よく知っていた。説得を諦め、王は銀髪の執事を手招きした。
「白竜。彼女たちに付いていてやってくれ」
見かけは王たちとさほど歳の変わらぬように見える執事の白竜は、「畏まりました」と、恭しく頭を下げる。
「二階を案内してくれ」
執事に指示を出すついでに小声で「ミルラが危ないことをしでかさないように」と、付け加えることも忘れない。先に王が巽を伴って部屋を出て行くと、執事は女性陣に向き直って、慇懃なまでに完璧な笑みを見せた。
「お嬢様がた。冒険の前にその頭のお召し物は外していかれては如何でしょうか」
執事に言われて、ミルラとキャロルは自分たちの頭に刀だの斧だのが刺さっていたことをやっと思い出した。
「そうね。預かっておいて」
ミルラの付けていた刀の先と刀の柄の部分がカチューシャの右と左にくっ付いている代物を受け取り、執事は妙に感心した様子で言った。
「これはまた、シンプルなトリックですね」
巽たちがリビングを後にすると、廊下を挟んで斜め向かいの厨房から、ちょうど黒江が顔を出した。
「どうしたの、巽。おなか空いた?」
大食漢の主人に対して、開口一番、こう訊ねるのが彼の習慣になっているようだ。巽は首を振って、代わりに黒江にオバケカボチャを見なかったか訊いた。
「カボチャ、見た。いっぱい」
黒江は廊下の灯り一つ一つにまで丁寧に飾り付けられた小振りのカボチャを指差しながら、真面目腐って答えた。
「そうじゃなくて、飛んでいくカボチャを見なかったかい?」
「見た。あっちに行った」
「ありがと」
廊下の奥を指し示す黒江に礼を言って、巽と王は足早に先へ進む。
突き当たりは左右に分かれて廊下が続いている。片側は裏庭に面して背の高い窓が連なり、反対側の壁には扉が幾つも並んでいた。
「どっちへ行ったと思う?」
巽の問いに、王は右の廊下に目を向けながら、思案気に指で顎をなぞる。
「奴はティールームからこっちに向かって出て行ったからな。右はティールームとダイニング、左はキッチンと小さめのリビングと客室が幾つかある――左を捜して見るかい?」
「うん。あっちに行ってみよう」
巽も左右に延びた廊下を見比べて、左を指した。右より左の方が長く、脇に逸れる角も幾つか見受けられた。
右手に裏庭を見ながら廊下を進み、部屋を一つずつ覗いてみるが、収穫はなかった。
「あんな大きなカボチャなんだから、目立ちそうなもんなのに」
巽がぼやくと、王も腕組みをして考え込む。黙ってそうしていると、白皙の哲学者が世界の成り立ちに思いを巡らせてでもいるかのような雰囲気があるが、実際考えているのはカボチャの行方である。王が宙を睨むと、僅かに瞳が青く輝く。
「なんか見える?」
同じようにして天井の辺りを見ても、巽には綺麗に飾り付けられた照明以外、特に見出せるものはなかった。
「そもそも、どうしてカボチャがおばけになっちゃったんだろ?」
「カボチャは灯りだよ。〝ランタン〟だろ」
王が次の部屋を覗きながら、ジャック・オー・ランタンの伝承について語った。
「諸説あるが、『ウィル・オ・ウィスプ』の伝説に近いものがあって、極悪人だったウィルという男が霊界で聖ペテロを騙くらかして、もう一度人間界に生まれ変わったものの、ちっとも改心しないで悪行三昧の末に死んだところ、『お前はもはや天国にも地獄にも行き場はない』と、暗闇を彷徨うことになった。それを、悪魔が憐れんで、石炭の火を灯りとして男に渡したんだ。彼は干涸びたカブにその燃えさしを入れてランタンにしたとも、カブに憑依して彷徨っているとも言われている」
「カブ? カボチャじゃなくて?」
「カボチャに変わったのは、アメリカ大陸に移民したアイリッシュたちが、カブの代わりにカボチャを使うようになってかららしい。――いないな」
部屋を一通り見て回り、何もいないことを確認すると、二人は再び廊下に出た。
「裏庭に出てみるかい?」
タッチパネルに手を翳すと、ガラス張りの扉が音もなく左右にスライドする。そこから煉瓦敷きの小道が芝生の中に続き、ワイルドローズの咲く庭へと誘う。
裏庭もやはり、例外なくオバケカボチャの飾り付けが施してある。この家の執事に、手抜きという言葉はないようだ。
「これじゃぁ、どっかに隠れててもわかんないな」
巽は裏庭のカボチャの幾つかを中まで覗き込んでみたが、小さなLEDが光っているだけで、何もなかった。
「さっきの話だとさ……」
ローズガーデンに続く煉瓦の道を歩きながら、巽が続ける。着ぐるみの耳が忙しなく立ったり伏せたりして、何か考えているらしいことが見て取れる。
「オバケカボチャは暗闇に落とされた男の人が彷徨ってるんでしょ。だったら、明るい火があったら、寄って来ないかな? 暖かい火の傍が恋しくならないかな?」
「さぁ……どうだろう? あれはただの伝説だし。それに、どうやって火を起こすんだい。ライターを取りに戻るか?」
「ヒイロたちに出してもらえばいいよ!」
いいことを思いついたと思ったのか、巽の狼仕様の尻尾がぐるぐると回り出す。
ヒイロはある事件をきっかけに、巽を主と認めて懐いている小さな火竜である。世間一般に広く愛玩用として認識されている、遺伝子操作によって生み出された人工の小竜とは違い、その神通力とも呼ぶべき超常能力と、独自の文明を持ちながらも、人と交わり、人間の主人を選び、どちらかの寿命が尽きるまで守護する習慣があるのだ。ヒイロとシュイロという双子の兄弟は火の力を持つ竜であり、黒江は地の竜。白竜は王が生まれる前から、王の母に仕えていた風竜だ。地球生まれをルーツに持つ竜たちの殆どが、人間の姿に変えられる変身能力を持っている。
「邸のどっかに隠れてる筈なんだけど……」
「彼らに端末を持たせてあるのか?」
巽が携帯端末を取り出すのを見て、王が問い質す。
「あ。持ってない」
「じゃあ、彼らの方法で呼び出さないと」
と、言って、王は自らの胸を指し示すジエスチャーをして見せた。
「えと、どうやって呼び出すんだっけ?」
「ペンダントを持ってる?」
竜たちから預かっている、特別な輝きを放つペンダントを、巽はもこもこした狼の着ぐるみの下から引っ張り出した。プラチナの鎖に緑の石を擁したペンダントヘッドが一つと、赤い石のものが二つ付いている。
「火竜を呼び出すなら、赤い石を指で叩いて名前を呼んで」
王が試しにペンダントヘッドを軽く叩いても、コツコツと硬い音がするだけだった。
しかし、巽が言われた通りに二つの赤い石を叩き、ヒイロとシュイロの名を呼ぶと、忽ちの内に石が赤い光を放ち、風が巻き起こった。目映い光と強風に目を眇める。
だが、そこに現れたのは、目当ての火竜たちではなかった。
「お……っ、オバケ……!」
捜し求めたオバケカボチャが、それも二体とも、目の前に現れたのだ。二体はお互いにぶつかって地面に落ちると、ごろんごろんとやたらに転がって、片方がまたふらつきながら浮かび上がった。
「待っっ、た!」
急いで浮遊するカボチャに飛びついた巽ごと、羽が風に舞うほどの軽やかさで宙に浮く。慌てて王が巽の腰を捉え、カボチャごと地上へ引き戻した。その隙に逃げ出そうと浮き上がるもう一体を、王の見えない力が押さえ込む。
カボチャの口の中では、鳥のようなものが羽をそこら中にぶつけているような激しい音を響かせている。巽が注意深く中を覗くと、果たしてそこにいるのは、トカゲのような顔に、頭には角を生やし、赤い鱗を全身に纏い、背中にコウモリのような羽の生えた、巽のよく知る生き物だった。
「ヒイロ! なにしてるんだ?!」
「じゃあ、こっちはシュイロか?」
王がもう一つのオバケカボチャを抱えて言った。ヒイロと瓜二つの火竜が、カボチャの中で怯えたように固まっている。
ヒイロはカボチャの中で慌てふためき、鋭い爪で内側の皮を一生懸命削っている。
「ヒイロ。どうしたの? 俺だよ、タツミだよ」
優しく声をかけると、竜は驚いたように目を見開き、キュウキュウと鳴き出した。
竜の言葉は、竜同士以外では、主と定まった人間にしか意味を解せない。巽はヒイロの言葉に鷹揚に頷いて、破顔した。
「なぁんだ。違うよ。オバケの格好をしてただけだよ、ほら」
狼仕様のフードとマスクを外して素顔を晒すと、竜は一際大きく鳴きながら、カボチャの口から飛び出して巽に縋り付いた。更に、しきりに何事か訴えている。
「そうか、そうか。怖かったか〜〜。よしよし」
巽は猫の子を抱くようにヒイロを抱いてやり、羽の付け根の辺りを宥めるように撫でてやった。王がカボチャごとシュイロを抱えて傍に来ると、シュイロもカボチャの口から這い出して、巽の肩に飛び移り、不思議そうに王と巽を見比べていた。
「みんなハロウィンで仮装してたでしょ。てっきりオバケになっちゃったと思ってびっくりして逃げてたんだって」
火竜たちの言葉を巽が通訳すると、竜たちは何度も頷いてみせた。
自分たちの方がよっぽどモンスターみたいなのに。という、感想は心の中だけで呟くことにして、王はちょっと肩を竦めるだけに留めておいた。
「ジェームズ!」
頭の上から声がして、振り仰ぐと二階の窓からミルラが顔を覗かせていた。
「捉まえた?!」
答える代わりに、王は持っていたカボチャを掲げてみせる。「すぐ行く」という声と共に、二階の廊下を走る彼女たちの姿が見えた。
「でも、ヒイロたちのこと、どうやって説明するの?」
巽の問いに、王は片方の眉を上げて答えた。
「ミルラは火竜のことも承知しているだろう」
「キャロルは?」
王は思案気に眉を曇らせる。
「愛玩用の人工小竜ということに出来ないかな?」
彼の提案に、巽はううん、と唸った。
「でも人工小竜は空飛べないよ。火も吐かないし」
愛玩用の小竜は見かけばかりの翼を持つ種類もいるのだが、宙を飛ぶほどの筋力はなかった。ましてや、カボチャの中に入ってカボチャごと飛んで回る芸当など出来る筈もない。
ふと庭に目をやると、ローズガーデンの入り口に東屋が見える。ドーム型の天井を冠した、円形の休憩所だ。何を思ったか、王は巽を促して東屋まで来ると、作り付けのベンチにカボチャを置いた。巽の持っているカボチャも隣に置くよう手振りで示す。
「なに、どうするの?」
王は「ちょっとね」と、ウィンクしてみせ、火竜たちに目線を合わせるよう屈み込む。
「お前たち、鬼火は作れるかい? 明るくて、触っても熱くない炎だよ」
火竜の兄弟はちょっと首を傾げてから、キュウキュウとねずみのような声で鳴いた。
「出来るって」
巽の通訳に、王は満足気に微笑み、ベンチに並べた二つのカボチャを指差した。
「あの中に鬼火を作ってくれないか。今すぐ」
竜は承知したとばかりに短く一声鳴くと、飛んで行って、カボチャの口に頭を突っ込みふぅっと息を吹きかけた。火竜の吐息は忽ち目映い光を放つ火の玉となって、カボチャに灯りを点す。
ちょうどそこへミルラたちが到着した。
「ジェームズ!」
「カボチャは?」
ミルラとキャロルが東屋を覗き込むところを遮るように立った王は、唇に人差し指を当て、「静かに」と、言った。その隙に、彼女たちに見えないように巽は自分のフードの中に小竜たちを隠す。
「生憎とオバケカボチャの正体はウィルじゃなかったよ」
東屋から離れるよう女性陣を促しながら、王はこっそりと巽に目配せした。
「ウィルでもジャックでもいいわ。どうしてカボチャが空を飛んだのよ?」
ミルラが食いつくと、王は悪戯っぽく片目を瞑ってみせる。
「まったく、人騒がせな人たちだよ。――名前は、ジョセフと月花だ」
「レディ・ウォン?!」
キャロルが飛び上がらんばかりに驚きを露にする。彼女は、今は故人となったかつてのシネマスター、レディ・ウォンに憧れて女優の道を選んだのだ。そして、レディ・ウォンとは、王の母、王月花の芸名である。ジョセフとは、月花の夫であり、王の父の名だ。
「レディ・ウォンの魂が帰ってきたっていうの?」
「ああ。ハロウィンにはよくあることさ」
しれっとすっとぼける王の言葉を信じたのか、キャロルは東屋に目を向けると、名残惜しい様子で言った。
「レディ・ウォンなら話をしてみたいわ」
「話すことは出来ないよ。なんとなく、存在を感じるだけだよ」
王がキャロルの相手をしている隙に、巽はミルラだけにこっそりフードの中を見せた。驚いて口も目も丸くなったミルラだったが、辛うじて声には出さず、身振りで東屋のカボチャと小竜を交互に指し示した。巽が頷くと、全てを理解した様子で、一つ大きく頷いてみせた。そして、わざとらしく大げさなため息を吐く。
「昔っから、おじさまたちは子煩悩で有名だったものね。きっとジェームズが頼りないんで心配して見に来たんだわ。ああ、大騒ぎして損したわね!」
やってられないわ、と、大げさに肩を竦め、率先して母屋への小道をすたすたと歩き出す。キャロルが渋々とその後に続き、王が巽の肩を抱いて、邸に戻るよう促す。母屋の扉の前では白竜と黒江が出迎え、パンプキンパイが焼き上がったことを告げていた。
巽はふっと気になって、もう一度東屋の方に目を向けた。
すっかり日の落ちた闇に浮かび上がるオバケカボチャの群れは、なぜか皆、苦笑いを浮かべているように見えるのだった。