婚約破棄ですか、そうですか。2
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実家に帰って父上の職務室のドアを開けた私はいきなり父上に抱き着かれた、褒められた、撫でられた。
「よくやった、アンティ!」
ん、何のこと?
「魔道具科で主席を取ったことですか?」
ご褒美でミスリルの万年筆をいただけた。
いざというときに現金に換えられる便利アイテムゲットだよー!
箱から出して、父上に見せびらかしてみる。
「おお、すごいな! キラッキラッしてるな! 輝いてるな! でも今褒めたのはお前の婚約の話だ」
婚約……私は何もしていませんから、褒められるのはナンカチガウという気分にしかなれません。
「そして」
と言いながら父上がまじめな顔を作り、まじめな声でこう言った。
「アンティリヌム、よく頑張ったな」
ああ、これが主席の分ですか。
わざわざ2回に分ける意味はないと思ったけど、これは地味にくる。
「はい」
いやだな、泣くつもりがないのに涙がにじんでくる。
というか父上、このタイミングでの頭ぽんぽんとかやめてください、余計に涙が出てきます。
「はあ。卒業してしまったんですね、私」
「そうだな。……お前には1分だけ悲しむ時間をやろう」
厳格な顔で父上がおかしなことを言う。
「ふふ、短いですね」
「人生はそれなりに長い方がいいんだが、だからといって悲しみの時間が長くてもな」
そうですか? そうですね。
母上の……ときも、父上はそういえばそんな感じでした。
「さて、しんみりするのはここまでとしてだ。トロはどこだ? そしてお前の婚約者殿は?」
「はい。2人ともまだ学園だと思います」
「アンティは空間転移で帰ってきたのか」
「ええ」
「そうか。それじゃあ帰ってきたばかりのところ悪いが、私を連れて学園に戻ってくれるか?」
早速書類の作成ですか。
学園に着いてすぐに卒業パーティーの会場へ向かったのだが、すでに会場は閉められた後だった。
「ふむ、次はお食事会か。どうだアンティ、ついでに飯食ってくか?」
「ええ」
私たちも食事会の会場へと向かう。
こちらの参加は義務ではないが、多くの人が出席していた。
もう書類の作成は終わったのだろうか? それともこれからだろうか?
これが最後の貴族の食事とばかりに口いっぱいに頬張る姿があちらこちらでちらほらと……。
しかも持ち帰り用の容器は持参がデフォルトですか、そうですか。
さて、肝心のヒペリさまとトロちゃんはどこにいるのかな?
「お、あそこにいらっしゃるぞ」
え、なんで父上の方が先に見つけられるの?
いや別に悔しくはないけど?
つかつかとヒペリさまに近づいていった父上は、その真横に立つなり首をかしげてこう言った。
「やあ、王子殿下。そちらはどんなお味ですかな?」
え、めっちゃ軽い。
え、どうしたの、父上? ヒペリさまは他国の王子さまですが??
「そうですね、さっぱりとしたコクと上品な辛さがとてもいい感じです。……それよりも、やっと父上と呼べますね、マユス伯爵!」
「おお、なんだい? 私の息子よ」
なにこれ、2人は知り合い? 仲良しなの?
「あの、父上?」
と詳しく話を聞こうとしたのだが、
「アンティ、紹介しよう。こちらは黄の国の第1王子殿下で、ヒペリカム・パツルムさまだ」
分かりきっていることを言われてはぐらかされてしまった。
「知ってますよ!」
「そして私の息子になることが決まった人だ」
「それも知っています」
「それじゃあ、僕の側近となる人も紹介しましょうか」
ヒペリさまもですか。
こちらもどうせ、いつもお連れになっている黄の国の方でしょう?
「こっちの人は今更なので省略しますね。で、そこの2人、ちょっと来てくれるかなー?」
あ、まだ他にいたんだ。
あれ? 何か見覚えがある2人なんだけど。
「こっちの武官っぽい人がギヌラくん。そっちの文官っぽい人がサンケジアくん。君風に言うと、騎士団長さんちの7男くんと王弟陛下さんちの9男くんだね」
やっぱりか。
「あの、そちらのお2人は、我が国の第5王子さまの側近候補でいらしたのでは?」
「ん、違うよ? 君のお姉さんの側近候補だよ?」
初耳です。
「でも王家には連れていけないらしくって宙に浮いてたから、僕がもらうことにしたんだ」
んー、何かドラマがあったようですね、こちらでも。
「さて、それでは父上。善は急げといいますし、場所を移して書類の作成といきませんか?」
「おお、そうだな。どうせサインをするだけだ。よし、行こう。ささっと終わらせて、改めてみんなで食事をたのしもう」
あの、お2人とも。
婚約者が急に変わったというのに、なんでもうサインをするだけの段階までいっちゃってるんですか?
なんでメインであるはずの書類作成が、前菜みたいな扱いになってんですか?
どこかに台本があるなら、私にも見せてくださいな。
「ほら、そう睨むな、心配するな。それだけ俺の息子がずっと前からお前のことを想ってたってことだ」
だから、頭ぽんぽんってしないでください、父上。
泣きたくなるんですよ、甘えたくなるんですよ。
「ふうん?」
ヒペリさま、なんでそんなに興味深そうな目で私を見てるんですかね?
◇
「これは一体……?」
と、フルティコサ男爵がこちらの顔を見ながら実に困惑した顔つきで座っている。
それはそうだろう。
彼の目の前には私を含めた若い男性ばかりが10人も並んでいる。
私もまたフルティコサ男爵と同じように、いやそれ以上に困惑しながら、
『私は何を間違えたのだろう?』
と考えている。
卒業パーティーが始まったばかりだったほんの2時間前までは、ほとんど晴れがましい気持ちしかなかった。
成績には満足し、婚約者候補にも満足し、主候補には少し不満があったがまあ許容範囲で──。
これからも多少の苦難はあるかもしれないが、大体においては満ち足りた日々が続くのだと私はそう信じていた。
なのに、そのパーティーが終わった今、私の未来予想図はずいぶんとおかしな方向へと書き換えられてしまっていた。
私の名前はトロリウス・ホンドエンシス。
赤の国のホンドエンシス侯爵家ゆかりの、赤の国の筆頭魔術師の8男だ。
父は貴族ではなかったがそれと同等の権力とカネを手に入れ、私たちも同等の暮らしをしてきた。
だが父は貴族の位も欲しかったのだろう。
女子ばかりが生まれるいくつもの下級貴族の家に目をつけ、
「いずれそちらの家に男子が生まれても婚約関係はそのままで」
という『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる作戦』で次々と長女たちと息子たちの縁を結んで行った。
だが所詮はどこの家も子沢山、別の意味での鉄砲が当たって、どこの家でも息子が生まれていった。
結果、私の婚約者候補だけが男爵家の跡取り令嬢のままで卒業パーティーの日を迎えたのだった。
「運がいい」
と7人の兄と3人の弟たちには羨ましがられたし、私もそう思っていた。
「よくやった!」
と父も散々に褒め倒してきた。
私からすれば黙って見ていたら転がり落ちてきただけの幸運だったが、それでも父に認められたとひどく晴れがましい気持ちになったものだ。
なのにどうしてこうなった。
きっかけは第5王子の婚約破棄、そして新たな婚約宣言だろう。
本来であれば仮の婚約の段階であったとしても、そう簡単に破棄なんてできない。
だから土壇場の卒業パーティーで思いつめられてのあの奇行かと思った者もいたかもしれないが、同じ家の双子の姉と妹との取り換えだ。
しかも所属する国も全員同じ。
話の進め方さえ間違えなければさほど波風立てずに解決できたはずだった。
そう、あの双子は中身はともかく見た目は同じなんだから、もっとひっそりこっそりと進めれば良かったのだ。
なのにあの王子は、いったい何を考えていたのか……。
何も考えていなかったんだろうな。
私も考えていなかった。
だから第5王子が動き出したときに、咄嗟に止めるという選択をとれなかった。
言い訳になってしまうが、でもあの王子はずっと言っていたのだ、
「父王の期待をうらぎりたくない」
と。
今まで誰からも期待されてこなかった末の王子だ。
特段優秀というわけでもない。
父の期待にこたえたいというその気持ちは分からないではなかったし、それならそれでまあいいかと思っていたのだが……。
いつの間にだれに毒されてしまったのか。
だが第5王子はまだいい、あれでも私の主になるのだしフォローするのは私の仕事だ。
問題は私の同僚となる、長女の婚約者候補であった男だ。
あいつがあの後すぐに次女と婚約するならそれで良かった。
そしてあいつもそうするつもりだったはずだが……。
くそっ、だから普段からもっと優しくしとけと言ったのに!
何が『あいつには俺しかいない』だよ、学園に入ってからは黄の王子がずっと傍にいたじゃないか。
あいつ目が腐ってんのか?
それとも腐ってんのは脳みそか?
いっそ私が奪いに行けば良かったのか?
……無理だな、第5王子が協力してくれるのならまだしも。
『あの次女と話してはいけないという呪いでもかかっているのか?』
という勢いで、次女を避けていたからな。
いま思えば、黄の王子が何かしたんだろうが。
いや、黄の王子の思惑なんてどうでもいい。
問題なのは、
『なぜ長女の婚約者候補だった男と私が婚約者を共有する関係になったのか?』
ということだ。
……ああ、あれも第5王子が原因だったな。
私の婚約者候補に最後のチャンスとばかりにたくさんの男たちが群がっているのを見かねて、第5王子の傍へと連れて戻った時のことだった。
あの時にあの口から飛び出たあの言葉が原因だった。
「ああ、トロリウス、ちょうどいいところへ」
その言葉の時点でいやな予感はしていたんだが、
「ラナンがさ、俺の婚約者の妹にふられたらしくってさ、明日から平民に墜ちるってへこんでんだよ。可哀想だからさ、お前の婚約者殿にこいつも一緒にもらってもらえるように言ってやってくれないか?」
さすがにあれはないと思った。
あれは幻聴だと思いたかった。
助けを求めようと騎士団長の7男と王弟陛下の9男の姿を探したが、気が付けば視界から消えていた。
そういえば彼らは私と同じ第5王子の側近候補ではなく、マユス伯爵家の長女の側近候補だった。
長女が王家へ嫁ぐなら、男の側近は連れていけない。
『明日から無職』という状況に突然追いやられた彼らが、いつまでも元主候補である長女に侍っているはずがなかった。
周りをもう1度見回してみたが、ほかはただの傍観者だ。
あるいは、何かを期待して目を輝かせているハイエナどもだ。
くそっ、私に味方はいないのか!
「いえ、さすがにそれは……」
と私はすぐに反論したのだが、
「お前はコイツが可哀想だと思わないのか?」
と王子は重ねて言ってきた。
正直、自業自得だとしか私には思えなかった。
むしろ、いきなり婚約者を自分以外の男と共有するように説得されている私の方が可哀想だと思った。
いくら私の主となるべき人の言葉だからといって、これは受け入れられない。
「いえ、私は……」
とさらに反論しようとしたのだが、
「じゃあ、コイツも拾ってやってくれませんかね? 入学直後からずっと片思いしてたんですよ」
「お願いします、僕、3番目でも構いません!!!」
と横から遮られてしまった。
「いえ、だから私は……」
と重ねて否定しようとするのだが、
「では私もいいだろうか? たとえ4番目だとしても、私自身は1番に彼女を愛すると誓うよ」
「5番目はうちのお兄さまでお願いいたしますわ。それはそれは彫刻のように美しい殿方ですのよ?」
「6番はうちの叔父でお願いします!! まだ若いんです!! 顔だけは誰にも負けません!! 青の国所属ですので、すぐに呼び出せます!!」
ああ、だれも聞いちゃくれないよ。
「7番目は私の兄で……」
「8番は僕の父で!」
……父?
「いや、本人の意思が大切だろう。うちは従兄を連れてきたんで、この従兄が5番目で頼む」
「えっと、お願いします?」
おい、何だそのいかにも寝起きですって感じのパジャマ姿にぼさぼさ頭は!
しかも男のくせに無駄にかわいいとか。
ああ、ダメだ。
もうこの流れを止めるには情けないが彼女に頼るしかない、と目を向けたのだったが……。
「まあ、わたくしの身で高貴なる方々をお救いできますの? では5人でも10人でも、受け入れられるだけ受け入れさせていただきますわ」
と両手を祈るように絡めて目をキラキラさせながら言ったあの言葉。
あれで、思い描いていた私の未来が終わった。
いま、私の左右にはずらりと9人もの男たちが並んでいる。
みんな同じ1人の女を婚約者として共有することになった仲間たちだ──仲間だなんて思いたくはないが。
これから婚約の書類を作るという段なのだが……どうしよう、逃げ出したい。
だって10人もの男で1人の女性を共有するというのもイヤだがそれ以上に、ここにいる私を含めた10人の男たちのうち8人が無職、あるいはこれから無職になる男たちなのだ。
貴族の中では最底辺の、男爵家の中でも貧乏な部類に入るフルティコサ家でも、かわいい婚約者とその妹たち9人のためなら頑張れると思っていたが、ヒモ男8人とその飼い主のためには頑張れない。
というか、頑張りたくない。
「まあ、そんなに落ち込まないで? 愛しいあなた。たとえあと何人の夫を迎えようとも、あなたを誰よりも1番に愛して差し上げますから。……どうしても無理ってなった時でも、ちゃんと妹たちに下げ渡してあげますから」
どうしよう、さっきまで天使にしか見えなかった私の婚約者が毒婦にしか見えない。
ああ、窓の外の景色はきれいだな。
キラキラと太陽の光がかがやいて、こことはまるで別の世界のようだ。
『いっそ逃げてしまおうか?』
という思考が頭から離れない。
第5王子の希望や父の願いというものは頭にあったが、彼らもここまでの状況は想像していただろうか?
今までは誇りとしていたその笑顔を、今は裏切りたい気持ちでいっぱいだ。
だって今なら逃げ出せる。
正式な婚約の書類となるはずだった書類は目の前にあるのだが、状況が変わりすぎてもう使えない。
これから新しく作成しなおすしかないのだが、そちらの方はまだ白紙だ。
それに私には魔法がある、魔法薬科首席の成績がある。
そして主席の証である、希少金属のミスリルでできた万年筆もある。
贅沢を言わなければ平民に墜ちても生きていけるのではないか?
だってその辺の下級貴族よりも権力もカネも持っているあの父上だって、準貴族でしかないんだぞ?
……よし、逃げよう。
そして食事会に参加して、最後の贅沢を味わおう!